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📅 2026.06.25 | RYU NAKAZAWA
🌱 視覚障害

70歳のアスリート雇用の同僚に出会った日|僕が「70歳まで挑戦」と決めた理由

⏱ 約8分で読めます(4,930字)
レース会場でタンデム自転車と中澤隆

同じ職場のアスリート雇用の仲間で、いちばん年上の方は70歳。その人は今日も、当たり前のように競技と仕事に向かっています。

もしあなたが、「もう歳だから」が口グセになりかけているなら——。

もしあなたが、契約という働き方に不安を感じているなら——。

もしあなたが、定年の先を、まだ描けていないなら——。

この記事は、あなたへの手紙のつもりで書いています。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。

今日は、僕の「働き方」の話をさせてください。そして、その職場で出会った70歳の先輩が、僕の人生の地図をどんなふうに書き換えてくれたのか。少し長くなりますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

📖 この記事の目次
  1. もう歳だから、と思いかけているあなたへ
  2. 競技の結果が、新しい働き方の扉を開けた
  3. 「5年契約」から始まった、不安だった日々
  4. 評価されて、無期の契約社員になれた日
  5. 職場で出会った、70歳の同僚
  6. 「年齢じゃなくて、どう生きるか」
  7. 僕が「70歳まで挑戦する」と決めた日
  8. 締め切りを決めるのは、年齢じゃない

もう歳だから、と思いかけているあなたへ

「もう歳だから、新しいことはいいかな」

「この歳から、何かに挑戦するなんて、ちょっと恥ずかしい」

そんなふうに、自分で自分の挑戦に、そっとフタをしてしまうこと。僕にも、よく分かります。

僕は今、46歳です。トライアスロンを始めたのは31歳のとき。視覚障害になって、ほとんど泳げない、走れない状態からのスタートでした。当時の僕に「お前は46歳になっても、まだIRONMANで記録に挑んでいるぞ」と言ったら、たぶん信じなかったと思います。

でも僕は今日も、朝4時台に起きて、伴走ロープを握って走っています。そうやって挑み続けられているのは、競技の力だけじゃありません。ひとりの「先輩」との出会いが、僕の中の「もう歳だから」を、静かに溶かしてくれたからです。

その話をする前に、まず僕の働き方——「アスリート雇用」という働き方の話から、させてください。


競技の結果が、新しい働き方の扉を開けた

トライアスロンを始めて半年後、初めて出た大会で、僕は思いがけず良い結果を出すことができました。25メートルも泳げなかった僕が、です。そこからアジア選手権で2年続けてタイトルに恵まれ、世界ランキングでも最高6位まで上がることができました。

もちろん、これは僕ひとりの力ではありません。伴走してくれるガイド、コーチ、支えてくれた仲間がいたから、繋がる輪の中で生まれた結果です。それでも、その積み重ねが、思いがけない扉を開けてくれました。

その経験がきっかけで、僕は「アスリート雇用」という枠で、今の会社に就職することができたんです。

アスリート雇用というのは、簡単に言えば「競技を続けることを応援してもらいながら、社員として働く」という働き方です。練習の時間を確保しながら、会社の一員として仕事もする。競技と仕事を、両立させてもらえる。

これがどれだけありがたいことか、僕には痛いほど分かりました。

というのも、僕は視覚障害になったことで、それまで13年間勤めていた会社を、離れることになっていたからです。(その話は「視覚障害になって13年勤めた会社をクビ|それでも再就職できた理由」に詳しく書きました。)

図面を見る仕事だったのに、その図面の細かい字が、だんだん見えなくなっていく。昨日できたことが、今日はできない。確認が1回で済んでいたものが、2回、3回と増えていく。「早くしなきゃ」と焦るほど、手が止まる。そうして、長く自分の居場所だと思っていた場所を、僕は手放すことになりました。

真っ暗だった、あの時期。だからこそ、競技がきっかけでもう一度「居場所」をもらえたことは、僕にとって、ただの就職以上の意味がありました。「お前はまだ、社会で働けるんだよ」と、もう一度言ってもらえた気がしたんです。


「5年契約」から始まった、不安だった日々

ただ、最初から安定していたわけではありません。

僕の働き方は、はじめは5年契約の契約社員でした。

「5年」という数字を聞いたとき、嬉しさと同時に、正直、不安もありました。

——5年経ったら、どうなるんだろう。

——競技の成績が落ちたら、契約は更新されないんじゃないか。

——もしまた、居場所を失ったら。

視覚障害になって一度「居場所が静かに終わる」経験をしているぶん、その不安は、人より少し大きかったかもしれません。期限つきの働き方というのは、いつもどこかで、カレンダーの先を見つめてしまうものなんですね。夜、ふとんに入ってから「あと何年、ここにいられるんだろう」と考えてしまう日も、正直、ありました。

でも、ここで僕を支えてくれたのは、競技で何度も体に刻んできた、ひとつの言葉でした。

ピンチはチャンス。

視覚障害になったことも、25メートルも泳げなかったことも、ガイドに頼らないと一歩も走れないことも——最初は全部「ピンチ」でした。でも、そのたびに工夫を重ねて、支えてもらって、少しずつ前に進んできた。気合いで乗り越えたんじゃありません。「どうやったらできるか」を考える工夫と、繋がる輪の力で、ピンチをチャンスの入口に変えてきたんです。

だったら、この5年契約の不安だって、同じはず。期限を恐れて縮こまるんじゃなくて、この5年で「この人になら、これからも任せたい」と思ってもらえる自分になればいい。そう思い直して、僕は競技も仕事も、目の前の一歩を積み重ねることにしました。


評価されて、無期の契約社員になれた日

競技を続けながら、仕事も、自分にできることを少しずつ。派手なことはできなくても、頼まれたことに丁寧に向き合う。表情が見えないぶん、声と言葉で、まわりとのやりとりを大切にする。

そうやって日々を重ねていく中で、ありがたいことに、会社が僕の働きを評価してくださいました。

そして今、僕は無期の契約社員になることができたんです。

「無期」。期限の文字が、消えた。

あの「5年経ったらどうなるんだろう」という、胸の奥にずっとあった不安が、すっと軽くなったのを覚えています。もちろん、無期になったからといって、何かをサボっていいわけじゃありません。でも、「ここにいていいんだ」という安心は、想像していた以上に、僕の背中を押してくれました。

競技で覚えた「ピンチはチャンス」を、僕は働き方でも、本当に実感した瞬間でした。5年契約という不安(ピンチ)があったからこそ、それをバネに前に進めた。そしてその先に、無期という新しい景色(チャンス)が待っていた。

ピンチはチャンス。これは競技場だけの言葉じゃない。職場でも、暮らしの中でも、ちゃんと生きている言葉なんだと、僕は身をもって知りました。


職場で出会った、70歳の同僚

さて、ここからが、今日いちばんお話ししたいことです。

同じ会社には、僕のほかにもアスリート雇用の仲間が、5人ほどいます。それぞれが自分の競技を持ち、仕事と両立しながら、挑戦を続けている。同じ立場の仲間が職場にいるというのは、それだけで心強いものです。「自分だけじゃない」と思える。

その仲間の中で、いちばん年上の方が——なんと、70歳でした。

はじめてそれを聞いたとき、僕は正直、びっくりしました。

70歳。一般的なイメージで言えば、もう「現役を退いて、ゆっくり過ごす年代」かもしれません。でもその方は、70歳になった今も、アスリートとして競技に向き合い、社会の一員として働いている。挑戦を、今もなお続けているんです。

「すごいな」という言葉では、足りない気がしました。だってその人にとっては、それが「すごいこと」ではなくて、ただの「毎日」なんですから。気負うでもなく、当たり前のように、今日も自分のやるべきことに向かっている。その姿が、何より僕の胸を打ちました。

僕はその事実の前で、しばらく言葉が出ませんでした。そして、胸の奥から、じわじわと、ある思いが湧き上がってきたんです。


「年齢じゃなくて、どう生きるか」

💡 あの日の気づき

年齢じゃなくて、どう生きるか、なんだな

これが、70歳の先輩を知った日に、僕の胸に灯った気づきでした。

それまでの僕は、心のどこかで、漠然とこう思っていた気がします。「アスリートとして挑戦できるのは、せいぜい何歳くらいまでだろう」「いつかは、現役にも区切りがくるんだろうな」と。挑戦の終わりを、なんとなく「年齢」で考えていたんです。

でも、それは違った。

僕の目の前には、70歳になっても挑戦を続けている先輩が、実際に、いる。その人は「もう歳だから」なんて言わずに、今日も自分の競技と仕事に向き合っている。

挑戦をやめる理由を「年齢」にしていたのは、ほかの誰でもない、僕自身だったんだと気づきました。カレンダーが僕に「もう終わりだ」と言ってきたわけじゃない。僕が勝手に、カレンダーを見て、自分で線を引こうとしていただけ。

年齢は、ただの数字。大事なのは、その数字をどう生きるか。何歳であっても、「どうやったらできるか」を考えて、一歩を踏み出し続けられる人は、ずっと現役でいられる。70歳の先輩が、それを言葉じゃなく、その生き方そのもので、僕に教えてくれたんです。


僕が「70歳まで挑戦する」と決めた日

その日から、僕の中の「挑戦の締め切り」が、ぐんと先に伸びました。

僕は今、46歳。先輩のように70歳まで挑戦を続けるとしたら、あと24年あります。

24年。

そう考えると、急に目の前がひらけました。IRONMANのサブ11時間という目標に、これから何度でも挑み続けられる。一度や二度うまくいかなくたって、焦ることはない。長い旅のつもりで、繋がる輪の中で、挑戦を続けていけばいい。

スポーツの世界には、大きな大会でメダルを手にして、そこで現役を退く、という選手の人生もあります。それはそれで、ひとつの素晴らしい生き方です。ゴールを決めて、そこへ向かって駆け抜ける。

でも僕は、ちょっと違う道を選びました。僕が選んだのは、「人生現役」です。記録のためだけじゃなく、生き方として、挑み続けること。70歳の先輩のように、何歳になっても、自分の足で前に進み続ける人でいたい。(この考え方は「メダル後に引退する選手とは違う|人生現役」の記事に、もう少し詳しく書きました。)

「僕も、70歳まで挑戦を続けよう」

あの日、僕は心の中で、静かにそう決めました。それは、自分を追い込むための決意ではなくて、むしろ、ふっと肩の力が抜けるような、温かい決意でした。だって、締め切りが24年も先にあるなら、今日うまくいかなくても、明日また挑めばいいんですから。


締め切りを決めるのは、年齢じゃない

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。最後に、いちばん伝えたいことを書かせてください。

「もう歳だから」は、本当でしょうか。

その言葉は、誰かに言われたものでしょうか。それとも、自分で自分に言い聞かせている言葉でしょうか。

僕の職場の70歳の先輩は、今日も挑戦を続けています。46歳の僕も、今朝も4時台に起きて、ロープを握って走ってきました。視覚障害になったときも、5年契約に不安を感じたときも、「もう無理かもしれない」と思う場面は、何度もありました。でも、そのたびに「どうやったらできるか」を考えて、支えてもらいながら、ここまで来ました。

挑戦の締め切りを決めるのは、壁のカレンダーでも、年齢という数字でもありません。決めるのは、いつだって自分自身です。

もしあなたが今、「もう歳だから」とどこかで思いかけているなら。あるいは、期限つきの働き方に、僕と同じように不安を感じているなら。どうか、思い出してほしいんです。あなたの挑戦の締め切りは、まだ誰にも決められていない、ということを。

あなたの挑戦の締め切りは、誰が決めましたか。

その答えを、あなた自身の手に、もう一度握り直してもらえたら。この手紙を書いた意味が、ちゃんとあったと思えます。

70歳の先輩が教えてくれた。挑戦の締め切りを決めるのは、年齢じゃなくて自分だ。

🌱 おなじ不安の中にいるあなたへ

僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。

▶️ 動画「目が見えないのに、226km。」 📖 27歳、緑内障と診断された日|過去の自分に届けたい言葉

最後まで読んでくれて、ありがとうございます

中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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