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📅 2026.07.02 | RYU NAKAZAWA
🎤 講演

視覚障害アスリートはどうやって稼ぐのか|正直なお金の話

⏱ 約8分で読めます(5,115字)
ガイドとタンデム自転車でレースを走る中澤隆

「視覚障害のあるアスリートは、どうやって稼いでいるんですか?」——講演の会場で、ときどきこう聞かれます。お金の話は、本当はあまり表に出てこないテーマです。でも、聞かれるということは、知りたい人がいるということ。今日は、そこに正直に答えてみます。

もしあなたが、「好きなことを続けながら、どう食べていくか」を考えているなら——。

もしあなたが、「障害があると、働き方が限られる」と思い込んでいるなら——。

もしあなたが、競技や夢と、生活との両立に、悩んでいるなら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、ここ3〜4年は年間50回前後で講演に登壇しています。

今日は、講演でときどき聞かれる、ちょっとデリケートな質問にお答えします。「視覚障害のあるアスリートは、どうやって稼いでいるんですか?」——。お金の話は、本当はあまり表に出てこないテーマです。でも、聞かれるということは、知りたい人がいるということ。だから今日は、具体的な金額には触れませんが、僕がどう働きながら競技を続けているのか、できるだけ正直に書いてみます。

📖 この記事の目次
  1. 正直に言うと、競技だけで食べられる人はごくわずか
  2. 軸その1:アスリート雇用という働き方
  3. 軸その2:講演という仕事
  4. 「競技の結果が、仕事に繋がった」という実感
  5. 支えられて働く、ということ
  6. 学び直しが、選択肢を増やしてくれた
  7. お金の話は、生き方の話でもある
  8. あなたへ

正直に言うと、競技だけで食べられる人はごくわずか

最初に、正直なことを書きます。
パラアスリートの世界で、競技の賞金やスポンサーだけで生活できている人は、ごくわずかです。これは、夢のない話ではなく、現実の話。多くの選手は、何かしらの形で働きながら、競技を続けています。

僕も、そのひとりです。競技だけで食べているわけではありません。僕は、支えられながら、働きながら、挑み続けています。

でも、それを「妥協」だとは思っていません。むしろ、働きながら挑む形は、僕にとってすごく自然で、納得のいくスタイルです。今日は、その「働き方」を2つの軸でお話しします。ひとつは「アスリート雇用」、もうひとつは「講演」です。

なぜ、わざわざお金の話をするのか。それは、この質問が、特に「これから」を考えている人にとって、すごく切実なものだと知っているからです。夢を追いたい。でも、生活もしていかなきゃいけない。その2つの間で揺れる気持ちは、僕自身、痛いほど分かります。だからこそ、きれいごとではなく、僕がどうやって生活と挑戦を両立させているのか、実際のところをお見せしたい。理想論より、一人の人間のリアルなやりくりのほうが、きっと役に立つはずだと思うんです。


軸その1:アスリート雇用という働き方

僕を支えてくれている働き方のひとつが、アスリート雇用です。

アスリート雇用とは、会社が、競技を続けるアスリートを社員として迎えてくれる仕組みのことです。僕は、ある会社にアスリート雇用で就職しました。最初は5年契約の契約社員からのスタートでした。そして、その後、評価していただいて、無期契約の社員になることができました。

🔑 「働く」と「挑む」は、両立できる

アスリート雇用のいいところは、競技と仕事を切り離さなくていいことです。会社の一員として働きながら、トライアスリートとしても挑み続けられる。「アスリートか、社会人か」の二択ではなく、その両方でいられる。視覚を失って一度は仕事を失った僕にとって、これは本当にありがたい働き方でした。

そして、この職場で、僕は忘れられない出会いをしました。社内のアスリート雇用の仲間の中に、70歳になっても挑戦を続けている方がいたんです。70歳で、現役。その姿を見て、僕は心から思いました。「年齢じゃない。どう生きるかだ」と。僕も、70歳まで挑戦を続けたい。アスリート雇用は、僕に働く場所だけじゃなく、生き方の目標まで見せてくれました。

考えてみれば、これはとても象徴的なことです。「障害がある」「もう若くない」——世間が勝手に貼りがちな、できない理由のラベル。でも、この職場には、そのラベルをはがして、それぞれの形で挑み、働いている人たちがいる。一度は「もう社会に居場所がない」と思った僕が、もう一度「ここで挑んでいい」と思える場所に出会えた。働き方そのものが、僕にとっての希望になりました。だから僕は、アスリート雇用という選択肢を、もっと多くの人に知ってほしいと思っているんです。


軸その2:講演という仕事

もうひとつの軸が、講演です。
僕は今、年間50回前後、いろいろな場所で講演をしています。学校、企業、いろいろな人の前で、僕の人生の話をする。これも、僕の大切な仕事です。

講演でお話しするのは、特別な成功談ではありません。27歳で緑内障になり、31歳で視覚障害者になって、13年勤めた会社を事実上クビになった話。そこから、テレビで見た全盲の女の子に背中を押されて、トライアスロンを始めた話。25メートルも泳げなかった僕が、ガイドと一緒に進めるようになった話。「ピンチはチャンス、カギは工夫」という、僕が体で学んできたことを、そのままお伝えしています。

僕の人生そのものが、講演という仕事になっている。これは、競技を続けてきたからこそ届けられるものです。

講演は、競技と地続きの仕事です。トライアスリートとして挑み続けているから、その話に説得力が宿る。そして講演で人に伝えることが、また競技へのエネルギーになる。働くことと挑むことが、ぐるぐると良い循環を作ってくれているんです。

視覚障害B2の僕にとって、初めての場所での講演は、移動の段取りも含めて1日がかりの仕事です。盲導犬シュクレと一緒に、慣れない駅から会場へ向かい、迎えてくれるスタッフさんと合流して、ようやく登壇する。決して楽な仕事ではありません。でも、その一回一回が、僕の人生を、誰かの背中を押す力に変えてくれる。だから僕は、この仕事を心から大切にしています。

面白いのは、講演で僕が「教える側」のつもりでいても、毎回どこかで「教わる側」になることです。聞いてくれる人の反応、子どもたちの鋭い質問、会場の空気。そこから僕がもらうものは、お金には換えられません。仕事でありながら、僕自身がいつも学ばせてもらっている。これも、講演という仕事の、正直な魅力のひとつです。


「競技の結果が、仕事に繋がった」という実感

ここで、僕がしみじみ実感していることを書きます。それは、競技を続けてきたことが、そのまま今の仕事に繋がったということです。

視覚を失っていく時期、僕はお先が真っ暗でした。図面が見えなくなって、内勤に回されて、確認作業が1回から2回、3回と増えていく。「昨日できたことが、今日できない」。あの頃の僕に、「将来は講演を仕事にしているよ」と言っても、絶対に信じなかったと思います。

でも、トライアスロンを始めて、ガイドと一緒に挑み続けてきたこと。その積み重ねが、アスリート雇用という働き方を呼び、講演という仕事を呼びました。あの時のピンチが、めぐりめぐって、今の働き方というチャンスになった。これはきれいごとではなく、僕が身をもって実感していることです。

もし、視覚を失ったあの日、僕がそこで動くのをやめていたら。テレビで見た全盲の女の子に背中を押されず、トライアスロンを始めていなかったら。今の働き方は、どれひとつ、手に入っていなかったと思います。競技は、ただの趣味でも、現実逃避でもありませんでした。結果として、それが僕の仕事を作り、生活を支える土台になった。だから僕は、「好きなことを続けることは、お金にならない」とは思いません。続けた先に、思いがけない形で、それが仕事に変わることがある。少なくとも僕は、自分の人生で、それを目の当たりにしてきました。一歩踏み出して、続けてみる。その先に、想像もしなかった道がつながっていることがあるんです。

🔑 ピンチはチャンス。それは、働き方でも本当だった

視覚を失ったことは、まぎれもなくピンチでした。でも、そこからトライアスロンに出会い、挑み続けたことが、新しい働き方を連れてきてくれた。ピンチをチャンスに変えるカギは、気合いじゃなくて工夫。そして、続けること。僕は、自分の働き方で、この合言葉が本当だと証明できたと思っています。


支えられて働く、ということ

こうして書いてくると、まるで僕が、たったひとりの力で道を切り開いたように聞こえるかもしれません。でも、それは違います。

アスリート雇用で迎えてくれた会社があり、競技を支えてくれるガイドやコーチがいて、講演に呼んでくださる方がいる。盲導犬シュクレが、毎日の移動を支えてくれている。僕の働き方は、たくさんの人に支えられて、ようやく成り立っているものです。

「稼ぐ」という言葉を聞くと、なんとなく、たったひとりで道を切り開いて、自分の力だけでお金を得る——そんなイメージを持つかもしれません。でも、少なくとも僕の場合は、まったく違います。僕が働けているのは、僕を雇ってくれた人、僕を呼んでくれた人、僕と一緒に走ってくれる人が、それぞれの場所にいてくれるからです。ひとりで稼いでいるのではなく、繋がりの輪の真ん中で、働かせてもらっている。それが、いつわらざる実感です。

僕は、ひとりの力で稼いでいるんじゃない。支えられて、働きながら、挑み続けている。それが正直なところです。

助けてもらうことを、僕はもう、弱さだとは思っていません。かつては、誰かに支えてもらう側になるのが情けなかった。でも今は分かります。支え合いの中で働くことは、ちっとも恥ずかしくない。むしろ、繋がりの輪の中で挑み続けられることが、僕の強みなんです。


学び直しが、選択肢を増やしてくれた

僕の働き方を語るうえで、外せない出来事がもうひとつあります。それは、30代で、人生初の大学受験をしたことです。

会社を事実上クビになって、お先が真っ暗だった僕に、相談していた方が「大学、行ってみたら?」と言ってくれました。その一言で、僕は鍼灸を学ぶ大学に入りました。勉強がとても苦手だった僕が、30代で大学生になったんです。

正直に書くと、国家資格のうち、鍼師と灸師は不合格でした。でも、あん摩マッサージ指圧師の資格には合格できた。これは、お金に直接つながったというより、僕にとって「まだ自分は終わっていない」という証明でした。そしてこの学び直しが、結果的に、僕の働き方の選択肢を確実に増やしてくれたんです。

🔑 収入の「柱」は、一本より複数のほうが強い

競技。アスリート雇用。講演。そして、学び直して得た資格。こうして振り返ると、僕の足元には、いくつもの柱があります。一本の柱に全部を預けると、それが揺らいだとき、立っていられなくなる。でも、柱が複数あれば、どれかが揺れても、踏みとどまれる。タイムや結果が思うようにいかない時期があっても、働き方が支えてくれる。これは、挑み続けるうえでの、大きな安心になっています。

もし今、僕が競技の結果だけにすべてを懸けていたら、うまくいかない時期に、心が折れてしまうかもしれません。でも、働きながら挑む形を選んだから、僕は長い目で、淡々と挑み続けられる。学び直しは、お金の話であると同時に、心の支えの話でもあったんです。


お金の話は、生き方の話でもある

「どうやって稼ぐのか」という質問は、突き詰めると、「どう生きるのか」という質問だと思います。

競技だけで食べられないなら、働きながら挑めばいい。一つの収入に頼れないなら、アスリート雇用と講演のように、複数の軸を持てばいい。これは、できる/できないの話ではなく、「どうやったらできるか」の話です。

僕は、現役の現場監督から、視覚障害者になり、一度は仕事を失いました。それでも、やり方を変え、形を変えて、今こうして働きながら挑み続けています。働き方の選択肢は、自分で思っているより、ずっと多いんです。


あなたへ

もしあなたが、「好きなことを続けながら、どう食べていくか」で悩んでいるなら——。
覚えておいてほしいのは、ひとつだけです。

夢か、生活か。挑戦か、仕事か。その二択で悩まなくていい。両方持っていい。働きながら挑むことは、妥協ではなく、立派な戦略です。

競技だけで食べられる人はごくわずか。だから僕は、支えられて、働きながら、挑み続けている。ピンチはチャンス、カギは工夫です。

お金の話は、正直に書くのが少し勇気がいりました。でも、これが僕のリアルです。きれいなだけの成功談より、こういう本当のところが、誰かの背中を押せたらうれしい。あなたの「続けながら食べていく道」を、僕は心から応援しています。

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「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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最後まで読んでくれて、ありがとうございます

中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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