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📅 2026.10.05 | 著者:中澤隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2のパラトライアスリート
🌱 視覚障害

図面の仕事から外されていった日々|現場から机へ、虫眼鏡と老眼鏡の頃

⏱ 約8分で読めます(3,997字)
室内マシンでトレーニングする中澤隆

虫眼鏡を、図面の上で滑らせる。その姿を、僕は、誰にも見られたくありませんでした。

もしあなたが、見えにくさを職場で言い出せないまま働いている方なら——。

もしあなたが、昨日できたことが、今日できないという日々の中にいる方なら——。

もしあなたが、そういう部下や同僚のそばにいる方なら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。

以前、「図面が見えなくなっていく現場監督」という記事を書きました。27歳で緑内障と診断されてから、図面の細かい字が読めなくなっていった話です。

今日は、その続きを書きます。図面が読めなくなったあと、僕がどうなったか。現場を外され、机に移され、それでもまだ図面と向き合っていた日々の話です。

正直に言うと、あまり格好のいい話ではありません。でも、いま同じ場所にいる人がいるはずだと思うので、隠さずに書きます。

📖 この記事の目次
  1. 現場から、机へ
  2. 虫眼鏡と、老眼鏡
  3. 一度で済んでいた確認が、三度になる
  4. となりの席から聞こえる、さらさらという音
  5. 手帳とシャープペンが、使えなくなっていく
  6. 打ち明けたのは、入院するときだった
  7. あの頃の僕に、いま言えること

現場から、机へ

最初に変わったのは、働く場所でした。

工事の現場というのは、ただでさえ危険がたくさんある場所です。足元に段差がある。上からなにかが下りてくる。資材や機材が、昨日とは違う場所に置いてある。

見えているうちは、それを目で避けていました。でも、見えにくくなってくると、避けられません。自分が危ないだけでなく、まわりの職人さんにとっても危ない存在になってしまう。

だから僕は、現場から、デスクに移りました。内勤です。

会社が配慮してくれた結果でした。「現場が危ないなら、机で」。ありがたいことだったと、いまでも思っています。

ただ、その日から、僕の一日は音が変わりました。

朝、現場に着いて危険予知活動のファイルを開く。ラジオ体操の音楽が鳴る。職人さんの「おはようございます」が飛び交う。工具がぶつかる金属の音。幹線を引くときの「せいの」の声。

そういう音が、まるごと、僕の一日から消えました。

代わりに聞こえてきたのは、蛍光灯のかすかな音と、書類をめくる音と、キーボードの音でした。


虫眼鏡と、老眼鏡

そして、ここが、いちばん皮肉なところです。

内勤に移っても、そこにも図面はありました。

見積もりを作る。数量を拾う。図面から寸法を読み取る。結局、細かい字と数字は、どこまでも僕についてまわりました。

そこで僕が使い始めたのが、虫眼鏡と老眼鏡です。

当時、まだ20代の終わりでした。老眼鏡をかける歳ではありません。それでも、少しでも文字が浮き上がるなら、なんでも試しました。

机の上に図面を広げる。老眼鏡をかける。虫眼鏡を、紙のすぐ上で、ゆっくり滑らせる。レンズの中で、線が太くなって、数字が大きくなる。

でも、虫眼鏡で見えるのは、ほんの小さな丸の中だけです。図面全体は、見えません。だから、丸を少しずつずらしながら、紙の上を何往復もすることになる。全体像は、頭の中で組み立てるしかない。

昔の僕は、図面を広げた瞬間に、全体が見えていました。どこに何が書いてあるか、感覚で分かった。呼吸をするのと同じくらい自然に読めていた。

その図面を、いまは、虫眼鏡の丸で、一箇所ずつなぞっている。

その差が、毎日、手元で突きつけられるんです。


一度で済んでいた確認が、三度になる

道具を変えても、解決しなかったことがあります。

確信が、持てなくなったことです。

昔なら、数字を一度読めば、それで終わりでした。「よし、この数字だ」と、迷いなく次に進めた。

でも、虫眼鏡越しに読んだ数字には、いつも、うっすらと不安が残ります。「3」だったか「8」だったか。「7」だったか「1」だったか。

図面の寸法を読み違えるというのは、この仕事で絶対にあってはならないことです。ひとつの数字の違いが、現場で、取り返しのつかない形になる。それが、どれだけ怖いことか、僕がいちばんよく分かっていました。

だから、もう一度、見ます。

一度で済んでいた確認が、二度になり、三度になる。ひとつの数字を確かめるだけのことに、昔の何倍も時間がかかるようになりました。

そして、ここからが、いちばん抜け出せないところでした。

「早くしなきゃ」と思えば思うほど、手が止まるんです。

焦った瞬間に、頭の中がこわばる。さっきまで、なんとか読めていた数字が、急にまったく読めなくなる。気持ちだけが前に走って、目と手がついてこない。

また焦って、また止まる。手のひらに汗がにじんで、心臓だけが速くなっていく。机の上で、僕はその輪をぐるぐると回っていました。


となりの席から聞こえる、さらさらという音

机に向かっていると、いやでも耳に入ってくるものがありました。

となりの席で、同僚が仕事を進めていく音です。

書類をめくる、さらさらという音。ペンが紙を走る音。キーボードを叩く音。電話で、てきぱきと話す声。

その音が、やけに大きく聞こえました。

同僚は、なにも悪くありません。ただ、自分の仕事をしているだけです。でも、その「当たり前」が、止まっている側には、まぶしくて仕方がなかった。

昔は、僕も、あちら側にいました。さらさらと図面を読んで、てきぱきと段取りを組んで、現場で「中澤さん、これ、どうする?」と頼られていた。

その僕が、いまは、こちら側にいる。

——自分は、もう、役に立っていないんじゃないか。

そう思うたびに、胸の奥が重たくなりました。

18歳で入って、初めて「ここが自分の居場所だ」と思えた会社です。その場所で「自分は役に立っていない」と感じることが、どれほどこたえたか。


手帳とシャープペンが、使えなくなっていく

もうひとつ、静かに進んでいたことがあります。

現場監督だった頃、僕が毎日持っていたのは、予定表が書ける手帳と、ボールペンと、シャープペンでした。工具ではなく、文房具。段取りを預かる側の持ち物です。

その3つが、順番に、使えなくなっていきました。

まず、手帳のマス目が分からなくなります。今日の欄なのか、明日の欄なのか、境目がにじんで区別できない。

次に、書いた字が読めなくなります。自分の字です。自分で書いたのに、あとから読み返せない。

最後に、書くこと自体が難しくなります。行の上に書いているつもりで、行と行のあいだを跨いでいる。

あの3つを鞄から出さなくなった日のことを、僕は覚えていません。たぶん、ある日ぱったり、ではなかったんだと思います。じわじわと、減っていった。

いま、僕は、声で書いています。音声でパソコンを操作して、この文章も声で書いています。

道具は変わりました。書くこと自体は、続いています。

——でも、それが分かるのは、いまだから言えることです。あの頃の机の上では、ただ「またひとつ、できなくなった」としか思えませんでした。


打ち明けたのは、入院するときだった

僕は、このことを、職場の誰にも言えませんでした。

「目が見えづらくなっています」
「図面の細かい字が、読めません」
「仕事に、前の何倍も時間がかかっています」

たったそれだけのことが、どうしても言えなかった。

理由は、いくつもありました。

ひとつは、言ったら立場が悪くなる気がしたからです。正直に言ってしまったら、もうこの仕事をやらせてもらえなくなるんじゃないか。せっかく机に移してもらったのに、その場所さえなくなるんじゃないか。

もうひとつは、心配をかけたくなかったからです。先輩にも、まわりにも、家族にも。僕のことで気をつかわせたくなかった。

でも、いちばん大きかったのは、たぶんこれです。

できなくなっていく自分を、自分で認めたくなかった。

口に出したら、本当のことになってしまう気がした。「前のようには働けません」と自分の口で言ってしまったら、13年かけて積み上げてきたものが、音を立てて崩れる気がした。

だから、職場では平気な顔をしました。読めない数字を読んでいるふりをして、遅れていく仕事を追いかけているふりをして、「大丈夫です」と笑ってごまかして。

会社で最初に打ち明けたのは、結局、入院することになったときでした。相手は、上司です。

つまり、それまでずっと、言わないまま働いていた期間があった、ということです。

隠せなくなるまで、僕は隠していました。


あの頃の僕に、いま言えること

いま、僕は毎朝4時半から6時のあいだに起きて、練習に出ています。IRONMANという226kmのレースを、ガイドと二人で走っています。学校や企業で、講演もしています。

あの机の上の僕に、いま言えることがあるとしたら、これです。

言えなかったのは、弱さじゃなかった。

あのとき僕が守ろうとしていたのは、格好つけたい自分ではありません。せっかく手に入れた居場所と、それを作ってくれた人たちでした。だから言えなかった。順番が違っただけです。

あの頃の僕は、できないことが増えていく速さを、ひとりで数えていました。誰にも言わないと決めていたから、数える相手も自分しかいなかった。

いま、僕は同じ数え方をしていません。段差の位置はガイドが教えてくれる。足元は盲導犬が見てくれる。文字は音声が読んでくれる。できないことは、変わらずあります。でも、それを数えているのが僕だけではない。

もし、いまあなたが、あの頃の僕と同じ机に座っているなら。

言える相手が見つかるまでは、無理に言わなくてもいいと思います。ただ、「いつか言う」という選択肢だけは、消さないでほしいんです。僕が言えたのは、隠せなくなってからでした。それでも、言ったあとの人生のほうが、ずっと長かった。

見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。

いまの僕は、そう思っています。


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✍️ この記事を書いた人

中澤 隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・講演家。18歳から電気工事の現場監督として働き、27歳のときに緑内障と診断されました。31歳でトライアスロンを始め、2026年9月のIRONMAN JAPANみなみ北海道を14時間43分54秒で完走(PCクラス2位)。盲導犬シュクレと暮らしながら、学校・企業・自治体で講演を続けています。

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