1回で済んでいた図面の確認が、2回になり、3回になり、それでも自信が持てない。同じ書類の前で、僕だけが手を止めていました。
もしあなたが、昨日まで当たり前にできたことが、急にできなくなって戸惑っているなら——。
もしあなたが、職場で「がんばっているのに、追いつけない」と一人で焦っているなら——。
もしあなたが、その苦しさを、誰にも言えずに抱えているなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。
今日は、僕がまだ目が見えていた頃——いや、少しずつ見えなくなっていった頃の話をします。トライアスロンの話でも、講演の話でもありません。現場監督として働いていた僕が、図面を見られなくなっていった日々の話です。働くことに苦しさを感じている人に、届いてほしくて書きます。
僕は18歳のとき、電気工事の現場監督——施工管理の仕事に就きました。
正直、学生時代の僕は、勉強も運動も得意ではありませんでした。
それでも、この仕事に就いて、同じ職場の先輩たちにかわいがってもらって、僕は生まれて初めて、「自分の居場所ができた」と思えたんです。
現場を任され、図面を読み、段取りを組む。
細かい字がびっしり並んだ図面を見るのは、この仕事の心臓部です。僕は、その仕事に誇りを持っていました。
電気工事の施工管理は、図面を正確に読めることが、すべての土台になります。どこに何を通すのか、どんな順番で進めるのか。図面の中の小さな記号や数字ひとつが、現場の安全や仕上がりを左右する。だからこそ、図面を正確に読み取る目は、この仕事をする人間にとって、いちばん大切な道具でした。その道具が、僕の場合、少しずつ奪われていったんです。
このまま、ここで働き続けるんだろうな。
当時の僕は、何の疑いもなく、そう思っていました。
学生時代の僕は、自分に自信が持てない子どもでした。成績は良くなかったし、徒競走はいつもビリ。「どうせ自分なんて」が口グセでした。
そんな僕にとって、現場で必要とされ、先輩に頼られ、任される仕事があるというのは、人生で初めての感覚だったんです。だからこそ、この仕事と職場を、僕は心の底から大切にしていました。
異変に気づいたのは、27歳のときでした。
あるとき、天井の照明の周りが、虹色に見えたんです。
目が霞む。頭が痛い。最初は「疲れかな」くらいに思っていました。
でも、おかしいなと思って病院に行くと、診断は緑内障。
そのときは正直、「へ〜、そんな病気があるんだ〜」と、軽く考えていました。
本当の意味で「ヤバイ」と思ったのは、自分でパソコンで調べた夜です。
視野が少しずつ狭くなっていく病気で、進行は遅らせられても、一度見えなくなった視野は、二度と戻らない。
医者の言葉よりも、画面の前で一人でそれを知ったときのほうが、ずっと怖かったです。
その夜のことは、今でも覚えています。
画面の文字を読みながら、心臓がどんどん速くなっていく。「これは、自分の話なんだ」と、ようやく現実が追いついてきた。診断を受けたときは他人事のようだったのに、あの夜、初めて、自分の足元が崩れていくような感覚を味わいました。
そして、その「怖さ」は、まず仕事の場面から、現実になっていきました。
目薬も、飲み薬も使いました。手術も、何度も受けました。
「これで良くなるはず」。そう信じたかった。信じるしかなかった。
それでも、視力は少しずつ下がっていきました。
仕事への影響は、すぐに出ました。
細かい字が、見えなくなっていくんです。図面を見る仕事なのに、その図面が、見えない。
やがて僕は、現場ではなく、見積もりや図面を扱う内勤の仕事に移りました。
会社も、僕が働き続けられるように、いろいろ配慮してくれたんだと思います。それはありがたいことでした。
でも、内勤に移っても、結局、図面や細かい字と向き合うことに変わりはなくて、同じ壁にぶつかりました。
それまで1回で済んでいた確認が、2回に。
2回でも不安で、3回に。
合っているか、見落としていないか。何度見ても、自信が持てない。
確認の回数だけが、静かに増えていきました。
図面というのは、ほんの小さな見落としが、現場の大きなミスにつながります。
だから、確認をいい加減にすることはできません。でも、見えづらい目では、その確認に、人の何倍も時間がかかる。「絶対に間違えられない」というプレッシャーと、「でも、よく見えない」という現実の間で、僕はずっと板挟みになっていました。
周りの人には、たぶん、僕がただ「仕事が遅くなった」ように見えていたと思います。
でも、本当はそうじゃない。見えない目で、必死に文字を追って、何度も確認して、それでも自信が持てなくて、また見直す。サボっていたわけでも、手を抜いていたわけでもありません。むしろ、人一倍がんばっていた。それなのに、結果は追いつかない。あの、努力が報われないもどかしさは、言葉にするのが難しいです。
仕事には、当然、締め切りがあります。
周りはどんどん進んでいく。僕だけが、同じ書類の前で、何度も確認をくり返している。
「早くしなきゃ」
そう思えば思うほど、不思議なことに、手が止まるんです。
焦りが、視野を、さらに狭くする。
見えづらい目で、必死に文字を追って、でも確信が持てなくて、また最初から見直す。その繰り返し。
あの感覚は、今でもはっきり覚えています。
体は職場にあるのに、仕事だけが、自分の手からこぼれ落ちていくような感覚でした。
不思議なもので、焦りは、悪いほうへ悪いほうへと、すべてを引っぱっていきます。
ミスをしたくない、迷惑をかけたくない、置いていかれたくない。その気持ちが強くなるほど、体はこわばり、目はかすみ、手は動かなくなる。今思えば、あれは心と体が、限界を訴えていたサインだったのかもしれません。
でも、一番こたえたのは、それじゃありません。
一番つらかったのは、これです。
昨日できたことが、今日できない。
昨日は読めた文字が、今日は読めない。
昨日はこなせた作業が、今日は時間がかかる。
進歩していくはずの仕事人生で、僕は逆向きに進んでいました。
できることが、毎日、少しずつ減っていく。
悔しくて、情けなくて。
かつて「自分の居場所」だと思えた場所で、僕は、自分がどんどん役に立たなくなっていくのを、ただ見ているしかありませんでした。
健康な人なら、努力すれば、昨日より今日、今日より明日と、できることが増えていきます。
でも僕は、どれだけ努力しても、できることが減っていく。努力の方向と、現実の方向が、真逆だったんです。あんなに無力感を覚えたことは、後にも先にもありませんでした。
そして、これが一番、書いておきたいことです。
僕は、この苦しさを、誰にも言えませんでした。
「見えにくくて、図面が読めません」
その一言が、どうしても言えなかった。
言ってしまったら、本当に終わってしまう気がした。
弱音を吐いたら、居場所がなくなる気がした。
だから、一人で抱えて、一人で焦って、一人で見直しを繰り返していました。
思えば、これは子どもの頃からのクセでした。
失敗が怖くて、できない自分を見せるのが怖くて、最初から逃げる。中学生のとき、好きな子に告白すらできなかったのも、同じ心です。「どうせ無理」「どうせ笑われる」と決めつけて、自分の弱さにフタをしてきた。
だから大人になっても、「助けて」の一言が、どうしても言えなかったんです。
今だから分かります。あのとき、僕に足りなかったのは、能力でも、努力でもありません。
「助けてって、言うこと」でした。
やがて、僕にできる仕事は減っていき、「もう続けるのは難しいよね」と言われる日が来ました。
13年勤めた居場所が、静かに終わったんです。本当に、悔しかった。
会社を離れたあと、僕の目の前は、本当に真っ暗でした。
13年積み上げてきたものが、ぜんぶ消えてしまったように感じました。
これから、どうやって生きていけばいいのか。何もかも、分からなくなっていました。
でも——ここから先は、あえて書いておきたいんです。
あんなに真っ暗だった日々の、その先に、今の僕がいます。
仕事を失ったあと、僕はトライアスロンに出会いました。
人生で初めての大学受験にも挑みました。落ちた資格もありましたが、あん摩マッサージ指圧師の資格を取ることができて、「まだ自分は終わっていない」という証明を、ひとつ手に入れました。
そして、ガイドという仲間に出会い、「助けて」と言えるようになっていきました。
図面が見えなくなって、仕事を失って、人生が終わったと思った。
でも、終わりませんでした。あのどん底は、終点じゃなくて、通過点だったんです。
ピンチは、チャンスになる。チャンスに変えるカギは、気合いじゃなくて、工夫と、一人で抱えないこと。
もちろん、当時の僕に「これは通過点だよ」と言っても、信じられなかったと思います。
渦中にいるときは、出口なんて見えません。それでも、確かに僕は、あの真っ暗な場所から、ここまで歩いてくることができました。だから、今まさに同じ場所にいる人にも、それだけは伝えたいんです。
もし今、あなたが、あの頃の僕と同じ場所にいるなら。
昨日できたことが、今日できない。
がんばっているのに、追いつけない。
そして、その苦しさを、誰にも言えずにいるなら。
まず、これだけ伝えさせてください。
それは、あなたがダメだからじゃありません。
あなたが弱いからでも、努力が足りないからでもない。あなたは、見えない重りを背負いながら、必死で走っているだけです。周りと同じスピードで走れないのは、あなたの背負っている重りが、周りには見えていないからにすぎません。どうか、自分を責めないでください。
そして、あの頃の僕に一番言ってあげたい言葉を、あなたにも贈ります。
助けてもらうことは、弱さじゃありません。
「できません」「手伝ってください」と言うことは、負けでも、終わりでもない。むしろ、そこから先に進むための、一番大事な一歩です。
僕は、あの頃、それが言えませんでした。
13年の居場所を失って、たくさん回り道をして、ようやく、ガイドや仲間に「助けて」と言えるようになりました。
あの頃の僕は、人生が終わったと思いました。
でも、終わりませんでした。今、僕は、見えなかった頃よりずっと充実した毎日を生きています。
ピンチは、チャンスになります。
チャンスに変えるカギは、気合いじゃなくて工夫。そして、一人で抱えないことです。
あなたの苦しさは、弱さじゃない。
どうか、一人で抱え込まないでください。
「助けてください」「これが難しいんです」。
その一言は、たしかに勇気がいります。あの頃の僕には、どうしても言えませんでした。でも、その一言を言えたとき、ふさがっていたはずの道が、思いがけない方向にひらけていくことがあります。僕の場合、それが、トライアスロンであり、大学であり、ガイドという仲間でした。あなたの場合は、また違う形かもしれません。それでも、「一人で抱えない」というその一歩が、必ず次につながります。
昨日できたことが、今日できない。あの頃の僕は、誰にも言えなかった。でも、助けてもらうことは、弱さじゃない。それを言える日から、次が始まる。
2026年9月13日、IRONMANジャパンみなみ北海道(225.8km)に挑みます。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。日々の練習やレースの様子を発信しているので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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