視覚障害B2、盲導犬と二人、しかも親知らずを抜いたばかりで片方の頬が腫れている。我ながら三重苦と言いたくなる朝ですが、僕にとってこれは「いつも通りの朝」です。今日はその段取りを、最寄り駅から順番に言葉にしてみます。
もしあなたが、「視覚障害者ってどうやって電車に乗っているんだろう」と気になったことがあるなら——。
もしあなたが、「盲導犬と一緒の人を見かけたとき、何をしてあげればいいのか分からない」と思ったことがあるなら——。
もしあなたが、毎朝の電車の中で、「自分は誰かに何ができるだろう」と一瞬でも考えたことがあるなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けています。
今日は、朝、僕とシュクレがどうやって自宅から待ち合わせ場所まで電車で移動するのか——その段取りと、いつも通りの朝の景色を、一次情報でお伝えします。見えない人間が、毎朝、頭の中で何を考えながら歩いているのか。少しだけ、僕の朝に同行してもらえたら嬉しいです。
今日、僕はある待ち合わせ場所に、朝の時間に向かいます。いつもの最寄り駅から、電車を乗り継いでいく道のりです。
条件を並べると、なかなかの状況です。視覚障害B2。盲導犬シュクレと二人。そこに加えて、ちょうど親知らずを抜いたばかりで、片方の頬が腫れている。我ながら、三重苦と言いたくなる朝です。
こう書くと、「大変ですね」とよく言われます。実際、よく言われます。でも、正直に打ち明けると、僕にとってこれは——「いつも通りの朝」なんです。特別な日でも、頑張る日でもない。淡々と、いつものように家を出る。その「いつも通り」を、今日は言葉にしてみます。
段取りに入る前に、どうしても先にお伝えしたいことが一つあります。これが分からないと、このあとの話が全部、ふわっとしたものになってしまうからです。
視覚障害B2の僕が、シュクレと一緒に街を歩くとき——僕がやっていることは、たった一つです。
頭の中の地図を確認しながら、シュクレに次の指示を出していく。
これが、僕の動き方のすべてです。
見えていないのだから、外の景色を目で確認することはできません。だから僕は、頭の中に地図を持っています。家のドアを開ける前から、自分が今どこにいて、次にどっちへ動くのかが、頭の中の地図で分かっています。何度も通った道を、記憶の中でなぞるイメージです。
そして、その地図を辿りながら、シュクレに次の一手を渡していく。たとえば改札を抜けるときは「ゲート」と伝えます。一つずつ、地図の次のポイントを、シュクレに伝わる言葉に翻訳して渡していく。
シュクレは、その指示を受けて、僕を導いてくれます。段差の手前では止まり、人混みではすり抜けるルートを選ぶ。僕の頭の中の地図と、シュクレの足元の判断。この二つが合わさって、僕たちは一つの旅をします。どちらが欠けても、この旅は成立しません。
では、ここから実際の段取りを、順番に見ていきます。
朝の準備で、僕がいちばん大事にしているのは余裕です。シュクレと一緒に動くとき、僕は「ちょうどよく着く時間」を、決して狙いません。
必ず15分から30分の余裕を持って家を出ます。理由は3つあります。
「急いだら負ける」——これが、見えなくなってから僕が学んだ、朝の鉄則です。急ぐと、焦る。焦ると、頭の中の地図が乱れる。地図が乱れると、シュクレへの指示も曖昧になる。だから、余裕は「優しさ」ではなく「安全」なんです。実はこれ、トライアスロンのレース運びとまったく同じで、序盤に飛ばして余裕を失うと、後半で必ず崩れます。朝の電車も、226kmのレースも、原理は同じです。
頭の中の地図で、家から最寄り駅までのルートをなぞりながら、シュクレに方向を指示します。すると、シュクレは僕の左側を歩きながら、いつもの道を進んでくれます。
朝の街は、通勤の人で賑やかです。足早に歩くスーツ姿の人、横をすり抜けていく自転車、信号待ちで固まる人の群れ。視覚はなくても、音と気配で、街が動き出しているのが分かります。
シュクレは、こうした人混みをすり抜けるのが得意です。僕のコツは一つ、「迷ったらシュクレに任せる」。下手に僕が判断するより、足元のプロに委ねたほうが、ずっと安全に進めます。
シュクレが立ち止まったら、何かがある。シュクレが進んだら、進んでいい。これだけ守れば、まず転ばない。
この信頼は、最初からあったわけではありません。毎日一緒に歩いて、「シュクレが止まったところには、本当に段差や障害物があった」という経験を、一つずつ積み重ねてきた結果です。信頼は、言葉ではなく、足で作るものなんだと、シュクレが教えてくれました。
最寄り駅から電車に乗って、乗り換えの駅まで向かいます。
ホームに立つときは、白杖で点字ブロックを確認します。足の裏と、白杖の先。この二つで、自分がホームのどのあたりに立っているのかを把握します。シュクレもホームの端で止まってくれるので、二重の安全です。
朝のラッシュの時間。電車の接近を知らせるアナウンスが流れます。「まもなく、電車が参ります」。その声と、レールが伝えてくる振動で、電車が近づいているのが分かります。
実は、見えない人間にとって、電車に乗るときに一番怖いのは、「どの扉が、今、目の前で開いたのか分からない瞬間」です。音はする。人は動き出す。でも、自分の真ん前が扉なのか、それとも車両と車両のつなぎ目なのかが、確信を持てない。あの一瞬の宙ぶらりんが、何より緊張します。
そんなとき、誰かが声をかけてくれると、本当に助かります。「こちらが扉ですよ」——たったその一言で、僕は安心して足を踏み出せます。手を引かれなくても、声だけでいいんです。声は、見えない僕にとって、何よりの道しるべです。
短い乗車時間。でも、この一区間が、見えない人間にとっては、一日の中でも特に神経を使う時間です。
シュクレは僕の足元で「フセ」をして、揺れに合わせて静かに姿勢を保ちます。盲導犬の訓練では、混んだ電車に乗ることも、みっちり叩き込まれています。乗客の足の間で、じっと、賢く待っていてくれます。
たまに、隣の人が「大きいワンちゃんですね」と話しかけてくれます。でも、シュクレは反応しません。仕事中だからです。どんなに優しく声をかけられても、尻尾も振らず、じっとしています。
シュクレが反応しないのを見て、「冷たい犬だな」と思わないでほしいんです。あれは、僕の命を預かる仕事の最中だから。集中を切らさないのが、シュクレのプロとしての優しさです。
そして、僕自身は、話しかけてもらえること自体が、実はとても嬉しいんです。シュクレに「すみません、仕事中なので触らないであげてください」とお願いしながらも、心の中は「気にかけてくれて、ありがとうございます」という気持ちで一杯になります。声をかけてくれたその人は、見えない僕とシュクレの存在に、ちゃんと気づいてくれた。それだけで、朝の車内が、ほんの少し温かくなります。
今日の乗り換えの駅は、見えない人間にとっては比較的わかりやすい駅です。案内のサインがしっかりしていて、人の流れも素直だからです。駅にも「歩きやすい駅」と「難しい駅」があって、僕はそれを体で覚えています。
シュクレに「ゲート」と指示を出します。シュクレは慣れた道のように、ときにエスカレーターを避けて階段の方へ、ときにエレベーターを探して、導いてくれます。
このとき、駅員さんを呼んで「乗り換えのホームまで誘導してもらう」こともあります。駅員さんの誘導は、本当にありがたいものです。
ただ、僕は毎回お願いするわけではありません。シュクレと二人で行ける道は、できるだけ自分たちで行きます。
理由は一つ。シュクレと「行けた」を積み重ねたいからです。誰かに頼るのは「行けない」ときだけ。今日「行けた」道は、明日も行ける道になる。その一本ずつの積み重ねが、僕とシュクレの行動範囲を、少しずつ広げてくれます。頼ることは大事です。でも、自分たちで行けた道の数だけ、僕の世界は広がっていく。だから僕は、その「行けた」を、毎日ひとつでも増やしたいんです。
乗り換えの駅から目的地までは、もう一本の電車でしばらく乗車します。これが今日の旅の中で一番長い区間です。
朝のラッシュの時間。座れたら座る。座れなかったら、立ったまま、シュクレと足元のスペースを守ります。揺れる車内で、シュクレを誰かに踏ませないよう、足の位置に気を配ります。
長い乗車の間、僕はいろんな景色を「聞いて」います。誰かの小さなため息、子どもの無邪気な声、駅に着いた瞬間に一斉に動き出す人の流れ、ドアの開閉のチャイム。
見えなくなって、僕の「聞く力」は、確実に上がりました。これは生まれつきの才能ではなく、毎日の通勤の中で、必要に迫られて磨いてきたスキルです。今では、ホームに入る瞬間の人の流れの「密度」で、その日の混み具合まで、なんとなく分かるようになりました。失ったものは大きいけれど、その分、別の感覚が育つ。見えない世界には、見えない世界の豊かさがあると、僕は思っています。
目的地の駅で電車を降り、改札へ向かいます。シュクレに「ゲート」と指示。改札を抜けると、集合時間まで、ほんの少しの余裕が残っています。
余裕って、こういう瞬間に効いてくるんです。長い移動を終えたあとの、ほんの数分。これがあるだけで、僕は息を整え、頭の中の地図を「到着」に切り替える時間が持てます。バタバタで着くのと、一呼吸おいて着くのとでは、その日の自分のコンディションがまるで違います。
シュクレにも、ここで一度「お疲れさま」と頭を撫でてあげます。仕事中だから尻尾は振らないけれど、目がほんの少し、優しくなる気がします。長い区間を、足元でずっと支えてくれた相棒への、僕なりの感謝です。今日も、二人で「行けた」。その小さな手応えを、心の中でそっと噛みしめます。
毎朝の電車の中で、僕は2種類の人に出会います。
ここで、正直に書いておきたいことがあります。「気を遣わない人」が、悪い人なわけではありません。ただ、知らないだけなんです。盲導犬に話しかけてしまうのも、扉の前を塞いでしまうのも、悪意ではありません。僕だって、もし立場が逆だったら、同じことをしていたかもしれない。知らないことは、責められることではありません。
だから僕は、こうやって書くんです。「気を遣ってくれる人」の行動が、見えない僕に何をくれているのか。「気を遣わない人」が、どこをほんの少し変えるだけで、僕たちを助けられるのか。責めるためではなく、知ってもらうために。知ってもらえれば、優しさは、ちゃんと届く形に変わります。
シュクレと一緒に電車に乗るようになって、4年が経ちました。出会いの日は、1頭目のデネブが引退する日でもあって、悲しさと新しい始まりが、同じ日に重なっていました。そんなふうに始まった相棒との毎日も、もう4年です。
その4年で、シュクレが僕に教えてくれたことは、数えきれません。
不思議なことに、これって、トライアスロンの走り方とまったく同じなんです。急がない。迷ったら止まる。流れに乗る。一本ずつ積み重ねる。シュクレが毎朝の電車で見せてくれることは、そのまま、226kmのレースで僕が大事にしていることと重なります。
だから僕にとって、シュクレは盲導犬であると同時に、「人生のコーチ」でもあります。仕事中は何も言わないけれど、毎日の小さな動きの一つひとつで、僕に大事なレッスンをしてくれている。言葉を持たない相棒から、僕は毎朝、生き方を教わっています。
もし、明日の朝の電車で、白杖を持った人や、盲導犬を連れた人を見かけたら——。
「大丈夫ですか?」と、無理に聞かなくてもいいんです。代わりに、「こちらが扉ですよ」と一言、声をかけてみてください。それだけで、見えない僕たちの朝が、ぐっと楽になります。手を引く必要も、特別なことをする必要もありません。声が、いちばんの助けです。
もし盲導犬を見かけたら、どうか触らないであげてください。仕事中だからです。でも、優しい目で見守ってくれるだけで——その犬が今、どれだけ頑張っているかに気づいてくれているのが、ちゃんと伝わります。
そして、もし席を譲りたくなったら、肩をぽんと叩くのではなく、声で教えてあげてください。「席、空いてますよ」と。突然体に触れられると、見えない僕たちは驚いてしまいます。でも、声でなら、安心して座れます。
今日も、僕とシュクレは、最寄り駅から電車に乗りました。乗り換えの駅でもう一本に乗り換えて、待ち合わせ場所へ。淡々と、いつも通りの朝でした。
もしかしたら、あなたも同じ電車に乗っているかもしれません。気づいてくれたら、嬉しいです。でも、気づかなくても、それで全然いいんです。あなたがこの記事を最後まで読んでくれたこと——それだけで、僕たちの朝は、もう少し優しい朝に変わっていきます。
あなたの朝が、いい朝でありますように。
僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける