中澤 隆(なかざわ りゅう)です。手紙を書くような気持ちで、この記事をあなたに宛てて綴っています。
視覚障害B2クラスのパラトライアスリートとして、盲導犬シュクレと一緒に、人生現役で挑み続けています。今の挑戦は、IRONMANのサブ11時間。世界記録を超えること。まだまだ道の途中です。
この記事は、2025年のIRONMAN JAPAN(ジャパンみなみ北海道)の完走記です。記録は15時間08分45秒。決して思い通りのレースではありませんでした。けれど、僕がこの一日を最後まで進み続けられたのは、間違いなく「支えてくれる人たちがいるからこそ」でした。そのことを、できるだけ正直に、あなたに伝えたいと思います。
レースは、スタートラインに立つずっと前から始まっています。
前々日は、まずアスリートチェックインと競技説明会でした。受付で書類を確認してもらい、ゼッケンとタイミングチップを受け取る。チップを足首に巻いた瞬間、「ああ、本当に出るんだ」と、急に本番の実感が押し寄せてきました。
目が見えにくい僕にとって、知らない場所での受付は、それだけで一つの関門です。どこに並ぶのか、どこで何を渡されるのか、隣にいてくれる人に教えてもらいながら、一つずつ確認していく。慣れた人なら数分で済むことに、僕は何倍も時間をかけます。でも、急ぎません。急ぐと、かえって手が止まることを、僕は経験から知っているからです。
気持ちが、少しずつ引き締まっていきます。緊張と、ほんの少しの高揚。この感覚が、僕は嫌いではありません。「またここまで来られた」という、静かな感謝のような気持ちが、胸の奥にありました。ここに立てているだけで、もう十分にありがたいことなんだと、毎年この日に思い出します。
前日の午後は、嵐のような雨と強風でした。
窓の外で風が唸る音を聞きながら、「本当に明日はレースができるのか」と、不安になるほどの天候でした。波の音も、いつもより荒く聞こえます。音でしか海の様子を測れない僕にとって、その荒い音は、そのまま胸のざわつきになっていきました。
それでも、やるべき準備は淡々と進めます。T2にランギアバッグをセットし、T1にバイクギアバッグをセット。このバッグは、僕にとって「翌日の自分への手紙」のようなものです。どこに何を入れたか、指で触って分かるように、いつも同じ順番で詰めていく。シューズはここ、補給はここ、と。本番で「あれがない」と慌てないために、前日のうちに段取りを全部すませておくのが、僕のやり方です。
ただ、この日は試泳が荒天のため中止になりました。波を自分の体で確かめることができないまま、翌日を迎えることになる。これが、僕にはこたえました。
僕はもともと、波が苦手です。視覚に頼れない分、水の動きや音、体に当たる感覚を頼りに泳ぎます。だからこそ、本番前に一度でも海の様子を体で確認しておきたかった。それができないまま、不安を抱えたままホテルへ戻る夜は、正直、落ち着きませんでした。布団に入っても、頭の中では明日の海の音が鳴り続けていました。
それでも、目を閉じて思い出すのは、ここまで一緒に準備してくれた人たちのことでした。ガイド、応援してくれる仲間、いつも見守ってくれる家族。「一人で明日を迎えるわけじゃない」。そう思えたから、なんとか眠りにつくことができました。不安は消えなくても、支えてくれる人を思い出すと、不安と一緒に眠れるようになる。これも、長く挑んできて身につけたことの一つです。
当日は、午前3時30分に起床しました。
普段から、僕は朝4時30分から6時の間に起きるのを毎日のルーティーンにしています。だから、早起き自体はそれほど苦ではありません。けれど、レース当日の3時30分は、やはり特別です。暗闇の中で目を覚まし、軽く朝食を済ませ、4時20分にホテルを出発。4時30分のバスに乗り込み、レース会場へ向かいました。
会場に着くと、前々日や前日に会えなかった仲間たちと挨拶を交わします。声が聞こえると、それだけで安心する。「おはよう」「今日もよろしく」。その短いやりとりが、こわばっていた気持ちを、すっとほどいてくれました。顔は見えなくても、声には人柄がそのまま乗っている。僕は人の声で、その人の存在を感じています。
バイクに補給食をセットし、トイレを済ませて、試泳へ。空は昨日とは打って変わって晴れていました。けれど、風は依然として強く、波もかなり高い。苦手なチャプチャプとした波が、絶え間なく押し寄せてきます。試泳の時点で、もう緊張感が増していくのが自分でも分かりました。
それでも、心を落ち着け、集中を高めて、スイムスタートラインへ向かいます。「いよいよ本番だ」。深く息を吸って、長い一日の幕が、静かに開きました。
僕は視覚障害者のためPCオープンカテゴリー。スタートは6時25分、一般の選手よりも5分早いスタートでした。
スイムでは、ガイドとロープで繋がって泳ぎます。隣にガイドがいて、ロープの引っ張りで「左に曲がる」「右に曲がる」「ペースを上げる」を伝えてくれる。海の中では、僕の目はまったく使えません。頼れるのは、このロープ一本と、ガイドとの呼吸だけです。だからこそ、スイムは僕にとって、信頼そのものを泳ぐ種目だと思っています。
スタート直後は、まず気持ちを落ち着けて、冷静に泳ぎ始めることだけを意識しました。けれど、やはり波がチャプチャプと絶え間なく押し寄せ、泳ぐこと自体が難しい。呼吸を合わせようとした瞬間に波が重なって、思わず海水を口に含んでしまう場面もありました。塩辛さに顔をしかめながら、それでも腕を回し続けます。
第一ブイを越え、折り返しに差し掛かると、先頭集団が僕を目掛けるように突っ込んできました。ガイド側にも僕の側にも他の選手がいて、体と体が接触しながらの「バトル」のような展開に。見えない僕にとって、不意の接触は本当に怖いものです。どこから来るのか分からないまま、肩や足が当たる。けれど、ここで慌てたら呼吸が乱れる。冷静さを失わないよう、落ち着いて対応しながら、なんとか1周目を終えました。
2周目はテンポを意識的に上げ、集中して泳ぎを続けました。ところが第一ブイに差しかかったところで、ガイドに呼び止められます。ライフセーバーから「イエロー、イエロー」と声がかかり、ガイドが状況を確認してくれました。
どうやらブイが流されてしまっていて、想定よりも余分に泳ぐコース取りになっていたようです。見えない僕には、何が起きているのか自分では分かりません。こういうとき、ガイドの目と判断が、そのまま僕の安全になります。状況を教えてもらい、軌道を直して、再スタート。「見えないからこそ、隣の人を信じきる」。この一瞬に、その意味がぎゅっと詰まっていました。
折り返し地点では、再びバトルに巻き込まれました。それでもガイドと呼吸を合わせながら、強い波と接触の中を、一かきずつ前へ進みます。結果として、苦手なチャッピーな波をなんとか乗り越え、大きなトラブルなくスイムをフィニッシュすることができました。タイムは1時間27分53秒。決して速くはありません。でも、この荒れた海を、ガイドと二人で渡りきった。それが何より大事でした。
バイクは、二人乗りのタンデム自転車です。前にガイドが乗って操縦と先導、後ろに僕が乗って一緒に漕ぐ。二人分の脚力で、180kmを走り抜けます。前のガイドの背中越しに伝わる呼吸とペダルのリズムが、僕にとってのスピードメーターであり、安心材料でもあります。
トランジションでは、目が見えにくいため、時計やサイコンを直接確認することができません。そこで骨伝導スピーカーを装着し、Garminとペアリングして、情報を音声で受け取りながらスタートしました。「今、何キロ走ったか」「心拍はどのくらいか」を、耳から知る。僕にとって音声は、目の代わりです。
ところが、ここで一つ目のトラブルが起きていました。本来、Garminのトライアスロンモードは、手動で種目を切り替える設定にしていたのですが、スイム中に誤ってボタンが押されてしまったのか、あるいは僕自身が操作を間違えたのか、原因は分かりません。結果的に、バイクを始める時点で、表示が「ランモード」になってしまっていました。
そのため、骨伝導からは400mごとにラップ通知や心拍数などの情報が入り続けます。少し違和感を覚えながらのライド。「本当はバイクなのに、時計はランだと思っている」。なんだか、相棒と少しだけ会話が噛み合わないような、おかしな感覚でした。それでも、入ってくる数字を頭の中で読み替えながら、淡々と漕ぎ進めます。
さらに、バイク後半では、ついに時計のバッテリーが切れてしまいました。Garminが沈黙し、耳からの情報が完全になくなる。最後は、計測なしの状態で走り切ることになりました。あと何キロなのか、自分が今どんなペースなのか、数字では分からない。でも、ここでも僕は慌てませんでした。数字が消えても、脚の感覚と、前のガイドの背中越しに伝わる呼吸がある。「機械が止まっても、脚は止めない」。そう決めて、漕ぎ続けました。視覚に頼れない僕は、もともと「数字がなくても進める体」を作ってきたつもりです。皮肉なことに、その備えが、ここで生きました。
途中、2〜3回はトイレにも立ち寄りながらのバイク。長い長い180kmです。淡々と、けれど確実に、ペダルを回していきます。補給は、決めておいたタイミングで口に運ぶ。考えなくても体が動くように、段取りで自分を運んでいきました。
そして、この日いちばん効いたのは、「孤独」でした。昨年は同じ視覚障害者の選手が参加していて、周回ごとにお互いの姿が確認できるのが、何よりの励みになっていました。同じ景色の中で挑む仲間がいる。それだけで、力が湧いたんです。けれど今年は、僕一人でした。コースの上に、自分と同じ立場の選手がいない。気持ちの上では、ぐっとこたえる時間でした。
それでも、最後まで集中を切らさず、無事にバイクをフィニッシュ。バイクのタイムは6時間06分53秒。トラブルと孤独感と向き合いながらも、確実に前へと進んだ、大きな一歩になりました。コースの沿道から「ナカザワー!」と名前を呼んでくれる声が、何度も背中を押してくれました。姿の見えない誰かの声が、こんなにも力になるのかと、改めて思い知った180kmでした。孤独だと思った時間も、本当は、たくさんの声に包まれていたんです。
ランは、ガイドとロープで横並びになって走ります。お互いの手元をロープで結んで、同じペースで前へ進む。「段差」「カーブ」「坂」「給水所」。ガイドが声をかけてくれるたびに、僕は次の一歩の置き方を変えます。見えない42.195kmを、声とロープで一つずつ進んでいくのが、僕のランです。
20kmまでは、大きなトラブルもなく、淡々と前へ進むことができました。「ここからが本当の正念場だ」と自分に言い聞かせながら、リズムを崩さないように集中していました。
しかし、20kmを過ぎたあたりから、股関節に違和感が出始めました。最初は「少し重いかな」程度だったのが、走るごとに徐々に強まり、30km手前には、違和感がはっきりとした痛みに変わっていました。
32km地点までなんとか我慢を続けましたが、さすがに無理を押して走り続けるのは難しい。そこからは「1km走って、1kmパワーウォーク」というスタイルに切り替えることにしました。
走っては歩き、また走っては歩き。決してスムーズなペースではありません。けれど、止まってしまったら、もう前には進めない。一歩一歩を積み重ねていくしかありませんでした。ガイドは、痛みでペースが落ちる僕に合わせて、ずっと隣を歩いてくれました。「次の給水所まで」「次のカーブまで」。小さな目標を、声で刻んでくれる。その声があったから、僕は歩きながらでも前を向いていられました。
補給は、時計の数字に頼れない以上、感覚と決めごとが頼りです。給水所では毎回同じ止まり方をして、水を取り、口に含む。決めておいた段取りが、苦しいときほど自分を助けてくれました。考える力が残っていなくても、体が決めごとに沿って動いてくれる。これが、僕の走り方です。
苦しい時間は、長く続きました。それでも心を折らずにいられたのは、沿道の声援と、ここまで積み重ねてきた練習の日々を思い出せたからです。朝4時台に起きて、暗いうちから泳ぎ、漕ぎ、走ってきた日々。あの一つひとつが、今の僕の脚を支えている。そう思うと、もう一歩、足が出ました。
「どんな形であれ、最後まで自分の脚でフィニッシュラインに向かう」。その気持ちだけを胸に、走り続けました。
ランのタイムは7時間17分39秒。計画していた走りとは、程遠い内容です。けれど、1kmずつ積み上げたその過程こそが、今回いちばんの収穫だったと思っています。速く走れた日より、歩いてでも前に進んだこの日のほうが、僕には深く残るのかもしれません。
そして、ゴールラインへ。
見えない僕にとって、フィニッシュは「見える」ものではなく、「聞こえる」ものです。近づいてくるアナウンスの声。沿道から大きくなっていく拍手と歓声。ガイドの「もうすぐだよ、まっすぐ!」という声。それらが一つに重なって、フィニッシュゲートが近いことを教えてくれます。光ではなく、音が、僕をゴールへ導いてくれる。
記録は、15時間08分45秒でした。スイム1時間27分53秒、バイク6時間06分53秒、ラン7時間17分39秒。トラブルだらけの、長い長い一日の合計です。
ゴールの瞬間にこみ上げてきた感情は、一つではありませんでした。思い通りにいかなかった悔しさ。それでも最後までたどり着けた安堵。そして何より、「また挑戦したい」という、強い気持ち。涙とも汗ともつかないものが、頬を伝っていました。
どんなに準備をしても、完璧なレースは存在しません。けれど、その不完全さの中で、自分がどう動き、どう立ち上がるか。そこにこそ、挑む意味があるのだと思います。完璧じゃない一日を、それでも最後まで進みきれたこと。それが、僕にとっての完走の意味でした。
今回のIRONMAN JAPAN 南北海道は、ただのレースではなく、自分自身と深く向き合う一日でした。何ヶ月も準備を重ねてきたのに、当日を迎えてみれば、想定通りにいかないことばかり。ブイは流され、時計はランモードになり、バッテリーは切れ、股関節は悲鳴をあげました。
それでも、一歩ずつ気持ちを切らさずに進み続けた先にあったゴールは、単なる「完走」という言葉以上の意味を持っていました。今回のレースを通じて強く感じたのは、「結果」よりも「過程」にこそ価値がある、ということです。思い通りにいかない展開やトラブルの度に、立ち止まり、工夫し、気持ちを立て直しながら進んでいく。その積み重ねこそが、IRONMANの本質なのだと思います。ピンチはチャンス。チャンスに変えるカギは、気合いではなく、工夫。これは、僕がいつも講演でお話ししていることでもあります。
そして、これだけは、何度でも書かせてください。今回も、本当に多くの方に支えられました。
海の中でロープを握ってくれたガイド。タンデムの前で180kmを引いてくれたガイド。ロープ一本で42.195kmを並んで走り、歩いてくれたガイド。姿は見えなくても名前を呼んでくれた沿道の人たち。前日まで一緒に準備してくれた仲間。そして、いつも僕を信じて見守ってくれる家族と、留守番をして待っていてくれた盲導犬シュクレ。
この舞台は、本当に、僕だけの力では立てなかった舞台です。挑み続けられるのは、「支えてくれる人たちがいるからこそ」。今年も、それを心の底から実感した一日でした。
支えてくれる人がいるから、僕は不安な海にも飛び込める。機械が止まっても漕ぎ続けられる。痛む脚でも、もう一歩を出せる。だから僕は、その人たちに胸を張れる自分でいたい。支えられている分だけ、僕もまた、誰かを支えられる人でありたい。そのために、これからも挑み続けます。
今年から新しく始まった、PCオープンの表彰式。そこでいただいた盾を、僕は今でも大切にしています。
昨年までは、僕たちのカテゴリーに表彰はありませんでした。だから、こうして「形に残るもの」をいただけたのは、本当に嬉しい瞬間でした。これは、僕一人の盾ではありません。一緒に挑んでくれたすべての人と分け合いたい、みんなの盾です。盾を手に取るたびに、海でロープを握ってくれた手や、沿道で僕の名前を呼んでくれた声を思い出します。
このランで得た経験は、次への挑戦に必ずつながります。悔しさも、安堵も、全部を糧にして、また前へ進んでいきます。さらに強く、さらに遠くへ。まだ道の途中ですが、この積み重ねが必ず次につながると、僕は信じています。
IRONMAN JAPAN 南北海道 2025。多くの学びと、それ以上の感謝を胸に、僕は次の挑戦へと歩いていきます。読んでくださって、ありがとうございました。あなたの今日の一歩も、どうか、誰かに支えられた、温かいものでありますように。
2026年9月13日、IRONMANジャパンみなみ北海道(225.8km)に挑みます。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。日々の練習やレースの様子を発信しているので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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