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📅 2026.09.28 | 著者:中澤隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2のパラトライアスリート
📖 物語・哲学

14歳になったデネブに、会いに行く|別れは、終わりではなかった

⏱ 約8分で読めます(3,959字)
盲導犬シュクレと過ごす中澤隆

手のひらの下の背中は、少し痩せていました。それでも、そのぬくもりは、僕の知っているデネブのものでした。

もしあなたが、盲導犬の引退の話を読んで、しんみりしてしまった方なら——。

もしあなたが、大切な存在との別れを、終わりだと思っている方なら——。

もしあなたが、これから相棒を迎えようか迷っている方なら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。

これまで、1頭目の盲導犬・デネブとの別れについて書いてきました。約8年、僕の隣を歩いてくれた相棒とのお別れです。あの食いしん坊の「ピー、ピー、ピー」を、もう毎日は聞けなくなる。あのシャイな、すっと逸らされる目を、もう毎日はのぞき込めなくなる。

読んでくださった方を、少ししんみりさせてしまったかもしれません。

でも、今日は——あたたかい話をさせてください。

結論から先に言います。別れは、終わりではありませんでした。

📖 この記事の目次
  1. 「これで、お別れなんだ」と思い込んでいた
  2. パピーウォーカーという、ふるさとの家族
  3. 先日、デネブに会いに行ってきました
  4. 同じ手のひらで、また背中に触れられた
  5. 別のお家に託す、という選択について
  6. 別れは、形が変わっただけだった
  7. バトンは、ちゃんと繋がっている

「これで、お別れなんだ」と思い込んでいた

正直に白状します。

デネブの引退の日、僕は心のどこかで、こう思い込んでいました。

これで、デネブとはお別れなんだ。

だから、あの日の僕は、何度も何度も、デネブの背中に語りかけていました。

ありがとう。ありがとう。

これでもう会えないかもしれないんだから、いま、ぜんぶ伝えておかなきゃ。そんな気持ちで、別れを惜しんでいました。

——でも。

違ったんです。

あれは、「最後の日」ではありませんでした。


パピーウォーカーという、ふるさとの家族

引退したデネブは、いま、パピーウォーカーさんのもとで、おだやかな余生を過ごしています。

パピーウォーカーという言葉を、初めて聞く方もいらっしゃるかもしれません。少しだけ説明させてください。

盲導犬は、ある日いきなり、立派に仕事ができるように生まれてくるわけではありません。生まれてからしばらくのあいだ——だいたい1歳になるくらいまでを、ひとつの家庭で、家族の一員として過ごします。

その子犬時代を、愛情をかけて育ててくれる家庭のことを、パピーウォーカーさんといいます。

僕と出会うよりも、ずっと前。デネブがまだ、よちよちと歩いていた赤ちゃんの頃。その頃のデネブを、わが子のように可愛がって育ててくれた家庭が、ちゃんとあったんです。

そして、引退したデネブは、そのふるさとの家族のもとへ帰っていきました。

働きはじめる前に、いちばん最初に愛情を注いでくれた家庭。仕事を終えてハーネスを外したあとに、もう一度、その家庭のもとへ帰っていく。

ぐるりとひとまわりして、デネブは、いちばん最初のふるさとに帰っていったんです。

そこでいま、デネブはのんびりと暮らしています。もう、誰かのために歩かなくてもいい。段差を教えなくてもいい。曲がり角で待たなくてもいい。ただ、自分のための時間を、ゆっくり過ごしている。

それを思うと、僕は、心からよかったな、と思うんです。


先日、デネブに会いに行ってきました

先日、僕は、デネブに会いに行ってきました。

そう。会いに、行けるんです。

引退して、離れて暮らすことになっても。一緒に歩く毎日が終わってしまっても。それでも、僕はこうしてデネブに会いに行ける。

久しぶりに会ったデネブは——14歳の、すっかりおじいちゃんになっていました。

14歳。

人生をやり直そうともがいていた大学時代に、訓練センターで出会った、おとなしくて可愛い子。あれから、こんなにも時間が経ったんだな、と。その年齢に、僕はまず、しみじみとしました。

あんなに「ピー、ピー、ピー」と切なげに鳴いて、ご飯を催促していた食いしん坊が。すっかり、穏やかな空気の中にいたんです。

夕ご飯の1時間前になると、痛いくらいの視線で、じーっと僕を見てきたあの子。「まだ?」「もう時間じゃない?」と圧をかけてきたあの子が。いまは、ゆったりと、静かにしている。

ああ、よかった。本当に、よかった。そう思いました。


同じ手のひらで、また背中に触れられた

そばに、寄りました。

すると、デネブの体に触れることが、できたんです。

8年間、僕が毎日のように触れていた、あの背中。

少し、痩せていました。毛の感触も、僕の記憶の中にあるものとは、ほんの少しだけ変わっていました。年を取ったんだな、と、手のひらで分かりました。

それでも。

手のひらに、じんわりと伝わってくるその体温は——まぎれもなく、僕の知っているデネブのぬくもりでした。

僕は、その背中を撫でながら、たくさん話しかけました。

「久しぶりだね」
「元気にしてた?」
「ちゃんと、ご飯、食べてるか?」

最後の問いかけには、ちょっと笑ってしまいました。あんなに食いしん坊だったお前に、「ちゃんとご飯食べてるか」なんて聞くなんてね、と。

デネブが、僕のことを覚えてくれているのかどうか。正直なところ、本当のことは僕には分かりません。目が見えにくい僕には、デネブがどんな表情で僕を見ているのか、はっきりとは見えないからです。

でも。

あの穏やかな空気の中で、デネブの隣に座っていると。8年分の時間が、ふっと戻ってくるような気がしたんです。

ハーネス越しに、二人でひとつの体みたいになって歩いた日々。目を逸らされて、くすっと笑った朝。「ピー、ピー、ピー」に根負けした夕方。

そういう、なんでもない毎日のぜんぶが、手のひらのそのぬくもりの中に、ちゃんと残っている。

そう、感じました。


別のお家に託す、という選択について

ここで、ひとつ、正直にお話ししておきたいことがあります。

盲導犬を引退させて、別のお家に託す。この選択についてです。

もしかしたら、こう思う方もいらっしゃるかもしれません。「8年も一緒に暮らしたなら、引退したあとも、そのまま自分の家で面倒を見てあげればいいのに」と。

正直に言えば、僕だって、できることならずっとデネブと一緒にいたかった。お別れの日にあんなに寂しかったのは、本当は、手放したくなかったからです。

引退したデネブには、これから、自分のためのおだやかな時間が必要でした。

そして僕には、新しい相棒・シュクレと、また一から信頼の道をつくっていく毎日が待っていました。

もし、デネブをそのまま家に置いて、シュクレとの新しい生活を始めたら。おだやかに過ごすべきデネブも、落ち着かない。新しく僕を信じようとしてくれるシュクレも、戸惑う。そして何より、僕自身が、二頭のあいだで心を引き裂かれてしまう。

だから、デネブを、子犬の頃に育ててくれたふるさとの家族のもとへ託す。

それは、デネブを手放すことではありませんでした。デネブに、いちばんおだやかに過ごせる場所を用意してあげること。デネブのこれからの幸せを、いちばんに考えた選択でした。

寂しさをこらえて、「お前のこれからのために」と自分に言い聞かせて、僕はデネブを送り出しました。

でも、いまなら分かります。

14歳の、穏やかなデネブのそばに座ったとき。僕は、心の底から思えたんです。

「ああ、この選択で、よかったんだ」と。


別れは、形が変わっただけだった

あの日、僕が「別れ」だと思っていたもの。

ただ、形が変わっただけだったんです。

毎日一緒に働く相棒から。ときどき会いに行く、大切な家族へ。

でも、繋がりそのものは、ちゃんと続いていました。二人の関係の「かたち」が、やさしく変わっていく。その節目だったんだと、いまは思えます。

それでも、僕とデネブのあいだにある、いちばん大事なもの——8年かけて積み上げた信頼と繋がりだけは、何ひとつ変わっていませんでした。

盲導犬と暮らすということは、出会ったその日から、いつか来る引退の日を、心のどこかで受け入れておくということでもあります。

別れの日は、想像以上に寂しいです。僕も、本当に寂しかった。それは隠さずに書いておきます。

でも、その寂しさを怖がって、相棒と歩く毎日のほうをあきらめてしまうのは、もったいないと思うんです。

なぜなら、別れは、終わりじゃないからです。

引退した盲導犬は、それぞれの形で、おだやかな余生を過ごします。そして、デネブのように、会いに行ける場合だって、ちゃんとある。

引退の日に感じた寂しさは、消えてなくなったわけではありません。でも、いまは、その寂しさのとなりに、「また会えるんだ」というあたたかい安心が、ちゃんと並んで座ってくれています。


バトンは、ちゃんと繋がっている

最後に。

いま、僕の足元には、2頭目の相棒、シュクレがいます。

シュクレと一からつくり直している、この信頼の道。それをこんなにも自然に信じられるのは、デネブと8年かけて、一度この道を最後まで歩ききった経験があるからだと思います。

デネブが、僕に「信じて、任せる」ことを教えてくれたから。僕はいま、シュクレに安心して身をあずけられる。

デネブが引退の日に、「次は、この子と頼むな」と渡してくれたバトン。そのバトンを、僕はいま、シュクレと一緒に、一歩ずつ運んでいます。

ありがとう、デネブ。

約8年、僕の隣を歩いてくれて。人生をやり直そうともがいていた時期を、まるごと一緒に過ごしてくれて。シャイで、食いしん坊で、変な顔をする、可愛い相棒でいてくれて。

そして——こうしていまも、会いに行ける場所で待っていてくれて。

また、会いに行くからね。

見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。

その旅は、別れたあとも、ちゃんと続いていました。


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✍️ この記事を書いた人

中澤 隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・講演家。18歳から電気工事の現場監督として働き、27歳のときに緑内障と診断されました。31歳でトライアスロンを始め、2026年9月のIRONMAN JAPANみなみ北海道を14時間43分54秒で完走(PCクラス2位)。盲導犬シュクレと暮らしながら、学校・企業・自治体で講演を続けています。

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