手のひらの下の背中は、少し痩せていました。それでも、そのぬくもりは、僕の知っているデネブのものでした。
もしあなたが、盲導犬の引退の話を読んで、しんみりしてしまった方なら——。
もしあなたが、大切な存在との別れを、終わりだと思っている方なら——。
もしあなたが、これから相棒を迎えようか迷っている方なら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。
これまで、1頭目の盲導犬・デネブとの別れについて書いてきました。約8年、僕の隣を歩いてくれた相棒とのお別れです。あの食いしん坊の「ピー、ピー、ピー」を、もう毎日は聞けなくなる。あのシャイな、すっと逸らされる目を、もう毎日はのぞき込めなくなる。
読んでくださった方を、少ししんみりさせてしまったかもしれません。
でも、今日は——あたたかい話をさせてください。
結論から先に言います。別れは、終わりではありませんでした。
正直に白状します。
デネブの引退の日、僕は心のどこかで、こう思い込んでいました。
これで、デネブとはお別れなんだ。
だから、あの日の僕は、何度も何度も、デネブの背中に語りかけていました。
ありがとう。ありがとう。
これでもう会えないかもしれないんだから、いま、ぜんぶ伝えておかなきゃ。そんな気持ちで、別れを惜しんでいました。
——でも。
違ったんです。
あれは、「最後の日」ではありませんでした。
引退したデネブは、いま、パピーウォーカーさんのもとで、おだやかな余生を過ごしています。
パピーウォーカーという言葉を、初めて聞く方もいらっしゃるかもしれません。少しだけ説明させてください。
盲導犬は、ある日いきなり、立派に仕事ができるように生まれてくるわけではありません。生まれてからしばらくのあいだ——だいたい1歳になるくらいまでを、ひとつの家庭で、家族の一員として過ごします。
その子犬時代を、愛情をかけて育ててくれる家庭のことを、パピーウォーカーさんといいます。
僕と出会うよりも、ずっと前。デネブがまだ、よちよちと歩いていた赤ちゃんの頃。その頃のデネブを、わが子のように可愛がって育ててくれた家庭が、ちゃんとあったんです。
そして、引退したデネブは、そのふるさとの家族のもとへ帰っていきました。
働きはじめる前に、いちばん最初に愛情を注いでくれた家庭。仕事を終えてハーネスを外したあとに、もう一度、その家庭のもとへ帰っていく。
ぐるりとひとまわりして、デネブは、いちばん最初のふるさとに帰っていったんです。
そこでいま、デネブはのんびりと暮らしています。もう、誰かのために歩かなくてもいい。段差を教えなくてもいい。曲がり角で待たなくてもいい。ただ、自分のための時間を、ゆっくり過ごしている。
それを思うと、僕は、心からよかったな、と思うんです。
先日、僕は、デネブに会いに行ってきました。
そう。会いに、行けるんです。
引退して、離れて暮らすことになっても。一緒に歩く毎日が終わってしまっても。それでも、僕はこうしてデネブに会いに行ける。
久しぶりに会ったデネブは——14歳の、すっかりおじいちゃんになっていました。
14歳。
人生をやり直そうともがいていた大学時代に、訓練センターで出会った、おとなしくて可愛い子。あれから、こんなにも時間が経ったんだな、と。その年齢に、僕はまず、しみじみとしました。
あんなに「ピー、ピー、ピー」と切なげに鳴いて、ご飯を催促していた食いしん坊が。すっかり、穏やかな空気の中にいたんです。
夕ご飯の1時間前になると、痛いくらいの視線で、じーっと僕を見てきたあの子。「まだ?」「もう時間じゃない?」と圧をかけてきたあの子が。いまは、ゆったりと、静かにしている。
ああ、よかった。本当に、よかった。そう思いました。
そばに、寄りました。
すると、デネブの体に触れることが、できたんです。
8年間、僕が毎日のように触れていた、あの背中。
少し、痩せていました。毛の感触も、僕の記憶の中にあるものとは、ほんの少しだけ変わっていました。年を取ったんだな、と、手のひらで分かりました。
それでも。
手のひらに、じんわりと伝わってくるその体温は——まぎれもなく、僕の知っているデネブのぬくもりでした。
僕は、その背中を撫でながら、たくさん話しかけました。
「久しぶりだね」
「元気にしてた?」
「ちゃんと、ご飯、食べてるか?」
最後の問いかけには、ちょっと笑ってしまいました。あんなに食いしん坊だったお前に、「ちゃんとご飯食べてるか」なんて聞くなんてね、と。
デネブが、僕のことを覚えてくれているのかどうか。正直なところ、本当のことは僕には分かりません。目が見えにくい僕には、デネブがどんな表情で僕を見ているのか、はっきりとは見えないからです。
でも。
あの穏やかな空気の中で、デネブの隣に座っていると。8年分の時間が、ふっと戻ってくるような気がしたんです。
ハーネス越しに、二人でひとつの体みたいになって歩いた日々。目を逸らされて、くすっと笑った朝。「ピー、ピー、ピー」に根負けした夕方。
そういう、なんでもない毎日のぜんぶが、手のひらのそのぬくもりの中に、ちゃんと残っている。
そう、感じました。
ここで、ひとつ、正直にお話ししておきたいことがあります。
盲導犬を引退させて、別のお家に託す。この選択についてです。
もしかしたら、こう思う方もいらっしゃるかもしれません。「8年も一緒に暮らしたなら、引退したあとも、そのまま自分の家で面倒を見てあげればいいのに」と。
正直に言えば、僕だって、できることならずっとデネブと一緒にいたかった。お別れの日にあんなに寂しかったのは、本当は、手放したくなかったからです。
引退したデネブには、これから、自分のためのおだやかな時間が必要でした。
そして僕には、新しい相棒・シュクレと、また一から信頼の道をつくっていく毎日が待っていました。
もし、デネブをそのまま家に置いて、シュクレとの新しい生活を始めたら。おだやかに過ごすべきデネブも、落ち着かない。新しく僕を信じようとしてくれるシュクレも、戸惑う。そして何より、僕自身が、二頭のあいだで心を引き裂かれてしまう。
だから、デネブを、子犬の頃に育ててくれたふるさとの家族のもとへ託す。
それは、デネブを手放すことではありませんでした。デネブに、いちばんおだやかに過ごせる場所を用意してあげること。デネブのこれからの幸せを、いちばんに考えた選択でした。
寂しさをこらえて、「お前のこれからのために」と自分に言い聞かせて、僕はデネブを送り出しました。
でも、いまなら分かります。
14歳の、穏やかなデネブのそばに座ったとき。僕は、心の底から思えたんです。
「ああ、この選択で、よかったんだ」と。
あの日、僕が「別れ」だと思っていたもの。
ただ、形が変わっただけだったんです。
毎日一緒に働く相棒から。ときどき会いに行く、大切な家族へ。
でも、繋がりそのものは、ちゃんと続いていました。二人の関係の「かたち」が、やさしく変わっていく。その節目だったんだと、いまは思えます。
それでも、僕とデネブのあいだにある、いちばん大事なもの——8年かけて積み上げた信頼と繋がりだけは、何ひとつ変わっていませんでした。
盲導犬と暮らすということは、出会ったその日から、いつか来る引退の日を、心のどこかで受け入れておくということでもあります。
別れの日は、想像以上に寂しいです。僕も、本当に寂しかった。それは隠さずに書いておきます。
でも、その寂しさを怖がって、相棒と歩く毎日のほうをあきらめてしまうのは、もったいないと思うんです。
なぜなら、別れは、終わりじゃないからです。
引退した盲導犬は、それぞれの形で、おだやかな余生を過ごします。そして、デネブのように、会いに行ける場合だって、ちゃんとある。
引退の日に感じた寂しさは、消えてなくなったわけではありません。でも、いまは、その寂しさのとなりに、「また会えるんだ」というあたたかい安心が、ちゃんと並んで座ってくれています。
最後に。
いま、僕の足元には、2頭目の相棒、シュクレがいます。
シュクレと一からつくり直している、この信頼の道。それをこんなにも自然に信じられるのは、デネブと8年かけて、一度この道を最後まで歩ききった経験があるからだと思います。
デネブが、僕に「信じて、任せる」ことを教えてくれたから。僕はいま、シュクレに安心して身をあずけられる。
デネブが引退の日に、「次は、この子と頼むな」と渡してくれたバトン。そのバトンを、僕はいま、シュクレと一緒に、一歩ずつ運んでいます。
ありがとう、デネブ。
約8年、僕の隣を歩いてくれて。人生をやり直そうともがいていた時期を、まるごと一緒に過ごしてくれて。シャイで、食いしん坊で、変な顔をする、可愛い相棒でいてくれて。
そして——こうしていまも、会いに行ける場所で待っていてくれて。
また、会いに行くからね。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
その旅は、別れたあとも、ちゃんと続いていました。
視覚障害B2のパラトライアスリート・中澤隆が、学校・企業・自治体向けに講演を続けています。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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「見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける」——その旅の話を、そのままお届けします。
中澤 隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・講演家。18歳から電気工事の現場監督として働き、27歳のときに緑内障と診断されました。31歳でトライアスロンを始め、2026年9月のIRONMAN JAPANみなみ北海道を14時間43分54秒で完走(PCクラス2位)。盲導犬シュクレと暮らしながら、学校・企業・自治体で講演を続けています。