「よし、今日から頑張るぞ」と決意した翌朝には、もう気持ちがしぼんでいる。その気合いは、せいぜい最初の1時間しか持ちません。かつて25メートルも泳げなかった僕を226kmのゴールまで運んだのは、気合いではありませんでした。
もしあなたが、「気合いを入れて頑張ろう」と思って始めたことが、一週間ともたずに消えた経験があるなら——。
もしあなたが、「自分は意志が弱い人間だ」と、心のどこかで諦めかけているなら——。
もしあなたが、「ずっと続けている人と、続かない自分は、いったい何が違うんだろう」と、本気で知りたいと思っているなら——。
この手紙は、あなたのために書きました。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226kmのトライアスロン)のサブ11時間挑戦を続けています。年間50回ほど、学校や企業で「挑戦」や「障害理解」をテーマにお話もしています。
今日お伝えしたいのは、僕が毎日大事にしている「1ミリの行動」と、世の中でよく言われる「気合い」の、決定的な違いについてです。きれいごとや一般論ではなく、僕自身が緑内障で視力を失い、仕事を失い、それでもまた立ち上がってきた道のりで、身をもって学んだことだけを書きます。読み終わるころ、あなたの中で「続ける」という言葉の意味が、少しだけ変わっているといいなと思っています。
正直に書きますね。気合いだけで何かを続けることは、僕にはできませんでした。これは精神論を否定しているのではなくて、何度も何度も気合いで挫折してきた人間の、実感です。
僕が挑んでいるIRONMANは、スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2kmを、一日で続けて行う競技です。合計226km。僕の場合、完走までに15時間から17時間かかります。朝、まだ暗いうちにスイムのスタートラインに立って、ゴールするころにはもう日が暮れている。そういう、とんでもなく長い一日です。
想像してみてください。この15時間を、「気合いだ!」「絶対にやり切るぞ!」という強い気持ちだけで、最後まで持たせられると思いますか。
答えは、はっきりノーです。気合いは、せいぜい最初の1時間しか持ちません。スイムを終えてバイクにまたがるころには、もう「気合い」という燃料は空っぽになっています。気持ちで押し切ろうとした人ほど、中盤でガス欠になって、足が止まる。僕はそういう場面を、自分の体で何度も味わってきました。
では、空っぽになったあと、いったい何が残りの15時間を支えてくれるのか。
答えは——本番の前に、毎日コツコツ積み上げてきた「1ミリの行動」です。気合いではなく、習慣。その日の気分ではなく、体に染み込ませた段取り。それだけが、長い一日の最後まで僕を運んでくれます。
僕は気合いを否定したいわけではありません。ただ、「気合い」と「1ミリの行動」は、まったく性質の違う道具なんです。同じ「続ける」ための道具に見えて、中身がまるで違う。その違いを、5つに分けて並べてみます。
ここから先は、この5つの違いを一つずつ、僕の生活の中の具体的な場面と一緒に掘り下げていきます。あなた自身の毎日に当てはめながら読んでもらえたら、うれしいです。
まず一番大きいのが、これです。気合いは、とにかくエネルギーを食う。
気持ちを奮い立たせるという行為そのものが、実は心の体力をごっそり削っているんです。人が一日に使えるエネルギーは限られています。気合いを入れるたびに、その日の残量がどんどん減っていく。だから気合いに頼る人は、夕方には心がへとへとになって、結局その日のやるべきことに手をつけられなくなる。
僕の場合、この問題はもっと切実です。視覚障害B2の僕は、見えない分、ただ移動するだけ、ただ人と話すだけでも、見える人の何倍ものエネルギーを使っています。駅までの道を一歩ずつ確かめながら歩くだけで集中力を使い切る日もある。相手の表情が見えないまま会話を続けるのも、想像以上に神経を使うんです。そのうえに「気合い」まで毎朝チャージしていたら、僕は昼前にはもう動けなくなってしまう。
その点、1ミリの行動は、エネルギーをほとんど使いません。「靴下を履く」のに気合いはいらない。「玄関まで歩いていく」のに、固い決意なんて必要ない。考えなくても、気分が乗らなくても、体だけ動かせばできてしまう。
だからこそ——1ミリは、どんな日でも毎日できる。これが、続けるための最大の強みです。
気合いの二つ目の弱点は、その日の体調に、まるごと左右されてしまうことです。
これだと、人生の半分くらいは「止まったまま」になってしまいますよね。人間の調子なんて、毎日上がったり下がったりするものですから。
1ミリの行動は、ここがまったく違います。
僕は今、ちょうど親知らずを抜いた直後で、まだ頬のあたりが少し腫れています。こういう日に「よし気合いで普段どおり練習だ」とやろうとしても、体がまったくついてきません。無理をすれば、かえって回復が遅れる。
でも、1ミリなら動けるんです。「散歩を5分だけ」「ストレッチを3分だけ」「水をしっかり飲む」。このくらいなら、頬が腫れていても、少し熱っぽくても、できる。そして大事なのは、その1ミリをやっておくと、「今日も自分との約束を守れた」という感覚が、ちゃんと残ることです。完全にゼロの日を作らない。この小さな連続が、続ける土台になっていきます。
三つ目は、できなかったとき——つまずいたときの、心のありようです。ここに、続く人と続かない人の、いちばん大きな分かれ道があると僕は思っています。
気合いで動いている人は、できなかった日に自分を責めてしまいます。
僕には、この自己否定の苦しさが痛いほどわかります。緑内障で視力が落ちていったあの時期、僕はまさにこの沼にいました。図面を見る仕事をしていたのに、その図面の細かい字が、だんだん見えなくなっていったんです。一回で済んでいた確認作業が、二回、三回と増えていく。「早くしなきゃ」と焦れば焦るほど、かえって手が止まる。昨日まで普通にできていたことが、今日はできない。その悔しさと情けなさを、当時の僕は誰にも言えませんでした。毎晩、自分を責めていました。
この自己否定は、何より怖いものです。なぜなら、自分を責めた分だけ、明日のエネルギーが前借りで奪われていくから。今日責めれば、明日はもっと動けない。動けないから、また責める。この負のループに、人は驚くほど簡単にはまり込んでしまいます。
一方、1ミリの行動で動いている人は、できなかった日も、自分を責めません。
1ミリという基準がとても低いからこそ、できなかった日も自然に受け入れられるんです。ハードルが高い目標を立てている人ほど、届かなかったときの落差で自分を傷つける。でも「靴下を履くだけ」が目標なら、できなかった日があっても「明日履けばいいや」で済む。負のループに、そもそも入らない。これが、長く続ける人の心の守り方です。
四つ目は、目標との距離感です。気合いは、大きくて遠い目標とセットになっています。
こういう大きな目標は、確かに胸を熱くしてくれます。でも、毎朝その大きさを見上げるたびに、「うわ、気合いを入れ直さなきゃ」と思ってしまう。そして目標が大きすぎると、どこかで必ず気合いの供給が追いつかなくなる。遠すぎるゴールは、人を励ますどころか、押しつぶしてしまうことがあるんです。
1ミリの行動は、その大きな目標を、どんどん細かく分解していきます。
ここまで小さくすると、不思議なことが起きます。1ミリまで分解してしまえば、もう気合いは要らなくなるんです。「IRONMANを完走するぞ」には気合いがいるけど、「今夜21時に水着を準備する」のに、奮い立つ必要なんてどこにもない。ただ、淡々とやるだけ。それだけ。
思い出してほしいのは、僕が最初からこの226kmを走れたわけではないということです。トライアスロンを始めたばかりのころ、僕は25メートルも泳げませんでした。少し走れば1kmで膝が痛くなった。今の僕からは想像できないでしょう。でも、その僕が、半年後に出場した初めての大会で、思いがけない結果を出せたんです。あれは気合いで距離が縮まったのではありません。「今日はここまで」という小さな1ミリを、ただ毎日積み重ねた結果でした。大きな目標は、分解して初めて、自分の足で歩ける道になります。
ここで、誤解のないように、はっきり言っておきたいことがあります。「気合い」が悪者なわけでは、まったくありません。気合いには、ちゃんと活きる場面があるんです。問題なのは、気合いを「使う場所」を間違えてしまうこと。
僕は、レースの最後の1kmや、講演の登壇直前には、思い切り気合いを入れます。そこは「ここぞ」の瞬間だからです。でも、それ以外の毎日は、気合いをぐっと温存しておく。気合いは、本番のためにとっておく。日常は、1ミリの行動で淡々と回す。この使い分けこそが、続ける人がこっそり身につけている技術なんです。
気合いを毎日浪費している人は、いざ本番という大事な瞬間に、肝心の気合いが残っていません。逆に、日常を1ミリで回している人は、ここ一番でフルパワーの気合いを出せる。同じ気合いという資源でも、使いどころで結果がまるで変わります。
僕はこれまで、競技の世界でも、講演で訪れた学校や企業でも、「ずっと続けている人」にたくさん出会ってきました。アスリート雇用で働く会社には、僕と同じように挑戦を続ける仲間が何人もいて、最高齢はなんと70歳の方でした。その姿を見て、僕は「年齢じゃない、どう生きるかなんだ」「僕も70歳まで挑戦を続けたい」と思ったものです。
そうやって出会ってきた「続けている人」たちには、はっきりした共通点がありました。
そして、面白いことに、共通の口ぐせまでありました。
「とりあえず、ここまでだけやろう」
「とりあえず、靴下だけ履こう」
「とりあえず、玄関まで行ってみよう」
「とりあえず、5分だけ歩こう」
この「とりあえず」という、肩の力が抜けた一言。これこそが、続ける技術の、いちばん大事な核心だと僕は思っています。続けている人は、根性で歯を食いしばっているのではなく、上手に力を抜いているんです。
ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。最後に、あなたに一つだけ、提案させてください。
もしあなたが、何かを続けたいと願っているなら——。
どうか、気合いを入れるのを、いったんやめてみてください。代わりに、「とりあえず、ここまでだけ」という、自分だけの小さな入口を決めてあげてください。
「とりあえず」は、1ミリの行動への、いちばんやさしい入口です。そして、その1ミリは、あなたをあなた自身が想像もしていなかった場所へ、少しずつ連れていってくれます。
振り返れば、僕の人生もそうでした。緑内障で視力を失い、13年勤めた会社を去ることになった日、目の前は真っ暗でした。夜になるのが怖くて、朝起きたら何も見えなくなっているんじゃないかと、布団の中で身をすくめていた時期もあります。あのころの僕に、いきなり「IRONMANを完走しろ」と言っても、絶対に無理でした。でも、「とりあえず、今日はプールで水に顔をつけてみよう」なら、できた。その1ミリの連続が、25メートルも泳げなかった僕を、226kmのゴールまで運んでくれたんです。
これは、僕が特別だったからではありません。気合いという燃えやすい燃料に頼るのをやめて、1ミリという消えない火を、毎日小さく灯し続けただけです。あなたにも、必ずできます。
気合いは、本番のために。日常は、1ミリの行動で。これが、僕が見つけた「続ける技術」です。
あなたの「とりあえず」の1ミリが、今日、ここから始まりますように。そして、その小さな一歩が、いつかあなたを、思いもよらない景色の前に連れていってくれますように。心から応援しています。
「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
新しい記事が出たら、メールでお知らせします。すぐ下のフォームから登録できます ↓
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける