「盲導犬と暮らすって、どんな感じなんだろう?」——そう思って、この記事にたどり着いてくれたあなたへ。
視覚障害B2のパラトライアスリート、中澤隆(なかざわ りゅう)です。僕には、シュクレという相棒の盲導犬がいます。この記事では、テレビでは映らない盲導犬と「歩く」日常のリアルと、シュクレと僕が一歩ずつ築いてきた「信頼で進む」関係について書きます。
これは、上手にまとめた説明ではなくて、僕からあなたへの手紙のつもりで書いています。少し長くなりますが、シュクレの足音を聞くような気持ちで、ゆっくり読んでもらえたらうれしいです。
シュクレが僕のパートナーになったのは、2022年のことでした。でも、その日のことを話すには、もう一頭の犬の話から始めないといけません。
シュクレは、僕にとって2頭目の盲導犬です。1頭目は、デネブという名前の子でした。大学に入り直した頃から、約8年間、ずっと僕の隣を歩いてくれた相棒です。表彰台にも一緒に上がった、晴れ舞台を分け合った仲間でした。
そして——シュクレと初めて会ったのは、そのデネブが引退する、まさにその日でした。別れと出会いが、同じ一日の中にあったんです。一頭を見送る寂しさと、新しい相棒を迎える緊張が、胸の中で同時にぐるぐると回っていました。正直、あの日の僕の心は、うれしさと寂しさのどちらにも振り切れない、不思議な場所にありました。
訓練士さんからは、事前にこう聞いていました。「シュクレは、ちょっと繊細な子なんです」と。だから僕も、最初はそっと、こちらから距離を詰めすぎないように接しようと思っていました。引退する相棒のことで胸がいっぱいだったぶん、なおさら静かに会おうと身構えていたんです。
ところが——僕が部屋に入った瞬間、シュクレは部屋じゅうを元気いっぱいに駆け回って、最後には僕の前でゴロンとおなかを見せて「へそ天」したんです。繊細どころか、最初から全力で心を開いてくれました。心の中で思わず、「どこが繊細だよ!」とツッコみました。
あの瞬間、張りつめていた糸が、ふっとゆるみました。「あ、この子と一緒に歩いていくんだ」。デネブを見送る寂しさはそのままに、それでも前を向ける気がした。おなかを見せて甘えてきたシュクレの姿は、今でも僕の宝物です。
盲導犬は、ただ道を案内してくれる存在ではありません。「外に出る理由」そのものを、僕に与えてくれました。見えない世界で一歩を踏み出すのは、本当はとても怖い。でも、隣にシュクレがいると、その一歩が踏み出せるんです。名前の由来はフランス語で「砂糖・甘い」。シュークリームの「シュー」と同じ言葉で、なんとも甘えん坊なあの子にぴったりの名前でした。
そもそも、なぜ僕が盲導犬と歩くことを選んだのか。その理由を、ここで正直に書いておきたいと思います。
盲導犬を持つ前は、白い杖(白杖)で歩いていました。白杖はとても大切な道具で、今でも場面によっては使います。でも、何度も怖い思いをしました。歩いていて人とぶつかったり、足元の段差につまずいたり。視野が狭い僕にとって、横から来るものや、足元の小さな変化は、本当に見えないんです。
決定的だったのは、駅のホームでの出来事でした。電車を待っているつもりで立っていた場所が、思っていたよりずっと、線路側のふちに近かった。一歩、足を踏み出した先に、地面がなかったんです。ヒヤッと足の裏から血の気が引いて、とっさに身体を引き戻しました。
あのとき、心臓がしばらく鳴りやみませんでした。「このままだと、いつか取り返しのつかないことになる」。そう本気で思いました。もっと安心して、安全に歩きたい。その一心で選んだのが、盲導犬でした。
盲導犬は、白杖よりも周りの人に気づいてもらいやすく、障害物を避け、段差の手前で止まって教えてくれます。シュクレが来てから、外を歩くときの安心感が、まるで変わりました。ふちのある場所でも、シュクレが先に立ち止まってくれる。その小さな「待て」が、どれだけ僕を守ってくれているか分かりません。
特に、冬の朝。僕はスイムの日はプールに通っていて、6時すぎに家を出ます。冬のその時間は、まだ真っ暗。暗いところはほとんど見えない僕にとって、シュクレが隣にいてくれることが、どれだけ心強いか分かりません。真っ暗な世界の中で、シュクレの足音と、ハーネスから伝わってくる体の動きだけが、僕の道しるべになります。
では、シュクレは具体的に何をしてくれているのか。基本の仕事は、大きく3つです。
たったこの3つ。でも、この3つを組み合わせるだけで、僕は安全に歩けるんです。応用で、ドアや改札まで導いてくれることもあります。シュクレが段差の手前で止まると、僕は足先でそっと段の高さを確かめてから、足を上げる。この「止まる」「確かめる」の連携が、一日に何百回と繰り返されています。
よく勘違いされるのですが——盲導犬はカーナビではありません。「コンビニまで連れて行って」と言っても、連れて行ってはくれないんです。目的地までの地図は、僕が頭の中で描きます。「この道をまっすぐ、次の角を左」と僕が指示を出し、シュクレが角や段差や障害物を教えてくれる。
二人で協力して、はじめて目的地にたどり着く。これがリアルな盲導犬歩行です。どちらが欠けても、前には進めません。シュクレは僕の足元を、僕はシュクレの行き先を。お互いの「見えない部分」を補い合って歩いているんです。
だから、道を間違えるのも、たいてい僕のほうです(笑)。頭の中の地図がずれていて、「あれ、ここはどこだ」と立ち止まることもあります。そんなとき、シュクレは黙って僕の判断を待ってくれている。その辛抱強さに、何度も助けられてきました。
歩いているときのシュクレは、本当に真面目です。ハーネスを着けると、スイッチが切り替わったように集中します。あの初日に部屋を駆け回っていた甘えん坊と同じ犬とは思えないくらい、きりっとした顔で僕を導いてくれます。
ところが、家に帰ってハーネスを外すと——一瞬で、あの甘えん坊に戻ります。ゴロンとおなかを見せて、へそ天。しっぽをぶんぶん振って、撫でてほしそうに寄ってきます。ちゃんとオンとオフがあるんです。この切り替えの見事さに、僕はいつも感心してしまいます。
面白いのが、講演の場面です。僕が学校や企業でお話をするとき、シュクレも一緒に登壇することがあります。歩いて壇上まで行くまでは真剣そのもの。ところが、いざ僕が話し始めて、シュクレの出番が一段落すると——足元で、すーっと丸くなって、うとうと眠り始めるんです。
会場から、くすっと笑いが起きます。一生懸命に話している僕の足元で、相棒は気持ちよさそうに寝息を立てている。でも僕は、それでいいと思っています。シュクレが安心して眠れるということは、その場が穏やかで、シュクレにとって居心地のいい場所だという証拠だから。緊張している会場ほど、シュクレの寝顔が空気をやわらかくしてくれます。
仕事のときは全力で真面目、休むときは全力でだらける。このメリハリが、長く一緒に歩いていくためにはとても大切なんだと、シュクレを見ていて思います。ずっと気を張り続けることはできない。きちんと休むからこそ、いざというときに集中できる。これは、僕自身のトレーニングや生活にも、そのまま当てはまる教えでした。
シュクレと歩くたびに思うのは、この一頭がここに来るまでに、本当にたくさんの人が関わっているということです。
生まれてすぐは、母犬のもとで。その後、生後2ヶ月ごろからパピーウォーカーという育てのボランティア家庭で、約1年間、愛情をたっぷり受けて育ちます。ここで人を好きになり、社会のマナーを学びます。シュクレのあの「人が大好き」な性格も、きっとこの時期に育ててもらったものです。それから訓練施設に戻り、半年から1年かけて盲導犬の訓練を受け、適性が認められた子だけが、視覚障害者とペアを組みます。
そして驚くことに——日本に盲導犬は、約1000頭しかいません。候補の子犬のうち、盲導犬になれるのは10頭中4頭ほど。盲導犬を希望しても、1年から2年待ちと言われています。街で盲導犬に出会う確率は、アイドルに会うより低いかもしれません。
たくさんの人の手と、長い時間と、たくさんの「想い」をかけて、ようやく一頭の盲導犬が誕生する。シュクレと歩くたびに、その背景にいる顔も知らない人たちのことを思います。パピーウォーカーさん、訓練士さん、そして募金で支えてくれている人たち。僕は今、その人たちの想いをハーネス越しに握って歩いているんだと思うと、自然と背筋が伸びます。
街で盲導犬を見かけたとき、知っておいてほしいことがあります。少しだけ、お願いを聞いてください。
盲導犬は「かわいいペット」ではなく、視覚障害者の目となり、生活を支えるパートナーです。かわいいのは本当です。僕も世界一かわいいと思っています(笑)。でも、ハーネスを着けて歩いているときは、仕事の真っ最中。そっと見守ってもらえると、それだけで僕たちの世界はずっと歩きやすくなります。
信号を待っているとき。実は、盲導犬には信号の色は分かりません。目の不自由な人は、車の流れる音などで判断しています。だから、「青になりましたよ」「今は赤ですよ」の一言が、本当に大きな安心になります。耳をすませて車の音を聞いている横で、その一言をもらえると、心からほっとします。
道に迷っている様子のとき。曲がり角を間違えたり、覚えていた道が工事で変わっていたりして、迷うこともあります。さっきも書いたとおり、迷うのはたいてい僕のほうです。困っている様子を見かけたら、ぜひ声をかけてください。大切なのは、いきなり腕や肩にさわるのではなく、まず「人」に声をかけること(盲導犬にではなく)。「何かお手伝いしましょうか?」——その一言から、すべてが始まります。
盲導犬が入店を断られて、悲しい思いをすることも、まだあります。「犬はちょっと……」と言われると、やっぱり胸がきゅっとなります。でも僕は、それは「知らないから怖い」だけなんだと思うようにしています。見えない人のこと、盲導犬のことが正しく伝われば、その壁はきっと少しずつ減っていく。だから僕は、こうして発信し、講演で話し続けています。
シュクレと歩いて、改めて教わったことがあります。それは、「信頼して、誰かに身を委ねる」ことの大切さです。
見えない僕は、シュクレを100パーセント信じて歩きます。シュクレも、僕の指示を信じて動く。お互いを疑っていたら、一歩も進めません。半信半疑のまま足を出せば、その迷いはハーネスを通じてシュクレにも伝わってしまう。だから僕は、信じきって足を出す。すると、シュクレもまっすぐ進んでくれる。信頼は、まず自分から差し出すものなんだと、シュクレが体で教えてくれました。
これは、競技で僕の目になってくれるガイドとの関係と、まったく同じです。トライアスロンでは、伴走ロープ一本で、あるいはタンデム自転車のうしろで、僕はガイドに命を預けて進みます。見えない下り坂を、ガイドの「ここ、ブレーキ」の声だけを信じて駆け下りる。あの感覚と、シュクレに身を委ねて歩く感覚は、根っこのところでつながっています。
かつての僕は、「強くなる」とは、何でも自分の力だけでできるようになることだと思っていました。誰にも頼らず、弱音も吐かず。それが強さだと思い込んでいました。
でも、違いました。信頼できる相手をつくり、安心して頼れること。支えてくれる人やシュクレと、繋がる輪の中で前に進めること。それこそが、本当の強さなのかもしれません。シュクレは、それを毎日、足音とぬくもりで教えてくれます。
そして、信頼は一方通行ではありません。僕がシュクレを信じるのと同じくらい、シュクレが安心して僕に身を委ねられるように、僕も整えていく。お互いがお互いを信じ合って、はじめて二人で一つのチームになる。人と人との関係も、本当は同じなんじゃないかと、僕は思うんです。
僕の講演テーマのひとつが「盲導犬と歩む人生」です。シュクレの話をするのは、かわいいからだけではありません。
「信頼して、誰かと一緒に進む」——これは、見える・見えないに関係なく、すべての人に必要な力だと思うからです。僕がシュクレを信頼し、シュクレが僕を信頼する。その関係は、競技のガイドとの関係とも、人と人との関係とも、まったく同じ形をしています。
学校では、子どもたちが目を輝かせて聞いてくれます。足元で眠るシュクレを見て笑い、駅のホームの話で息をのみ、信頼の話で静かにうなずいてくれる。企業では、「チームの信頼とは何か」「安心して頼り合えるチームとは何か」を考えるきっかけになります。一頭の犬と一人の人間が、どうやって一つのチームになっていくのか。その物語が、聞いてくれる人それぞれの「自分のチーム」に重なっていくのを感じます。
最後に、もう一度だけ。盲導犬は、特別な犬ではありません。たくさんの人に育てられ、訓練され、そして一人の人間と信頼を積み重ねてきた、ただの——でも、かけがえのない相棒です。あなたがもし街でシュクレに、あるいはどこかの盲導犬に出会ったら、そっと心の中で「いってらっしゃい」とつぶやいてもらえたら。それだけで、僕たちは今日も、安心して一歩を踏み出せます。ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける