高架の下に入ると、足音がこもって、ぐっと近く返ってくる。広場に出ると、今度は四方に抜けていく。その音の返り方だけで、僕は「今、どんな場所にいるか」がわかります。僕にとって街は、景色ではなく、音の風景なんです。
もしあなたが、いつもの帰り道を、ただぼんやりと歩いているなら——。
もしあなたが、目を閉じたとき、世界がどんなふうに聞こえるか、想像したことがないなら——。
もしあなたが、見えない人がどうやって街を歩いているのか、不思議に思ったことがあるなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。
今日は、少し詩のような話をさせてください。僕が街を歩くとき、耳が拾っている情報のこと。見えにくい僕にとって、世界は、音と気配でできています。その世界を、あなたにおすそ分けしたいんです。
街を歩くとき、僕がいちばん頼りにしているのは、目ではありません。耳です。
視覚障害B2の僕は、霞んだ視界の中で、細かいものははっきり見えません。だから、目で見て歩くというより、耳で聞いて歩いている。そう言ったほうが、僕の歩き方には近いんです。盲導犬シュクレと一緒のときも、白杖だけのときも、僕の耳はいつも、街の音を拾い続けています。
歩いているとき、僕の意識はずっと耳に集まっています。前から来る音、横を過ぎる音、遠くで鳴る音。それらを同時に聞き分けながら、頭の中で「今、自分はどこにいるか」を組み立てていく。見える人が、無意識に景色を眺めながら歩くように、僕は無意識に音を聞きながら歩く。最初は意識しないとできなかったことが、今では呼吸をするように自然になりました。耳で歩く——それは、僕にとってもう、特別なことではなく、当たり前の日常なんです。
見える人は、街を「景色」として見ているのだと思います。でも僕にとって、街は「音の風景」です。同じ道を歩いていても、僕とあなたが受け取っている世界は、たぶんずいぶん違う。今日は、その僕の世界を、言葉にしてみます。
思えば、見えていた頃の僕は、音をほとんど聞いていませんでした。目から入る情報があまりに多くて、耳は後回しになっていたんだと思います。街を歩いていても、看板を見て、人を見て、信号を見て——目だけで、ほとんどのことを済ませていた。だから、足音の反響も、車の音の流れも、気にしたことすらなかった。見えにくくなって初めて、僕は耳の存在に気づいたんです。ずっとそこにあったのに、使っていなかった感覚。それが、見えにくくなったことで、ぐっと前に出てきてくれました。
世界は、見るものだと思っていた。でも、見えにくくなって気づいた。世界は、聞こえるものでもあったんだ。
まず、僕が耳をすませているもののひとつが、自分や周りの人の足音です。
歩いていると、足音が壁に当たって返ってくる。その反響のしかたで、僕はなんとなく、今いる場所の広さや、近くに壁や建物があるかどうかを感じ取っています。音がすぐ近くで返ってくると、狭い場所や壁のそば。音が遠くまで抜けていくと、開けた場所。耳に返ってくる音の質感が、空間のかたちを描いてくれるんです。
これは、特別な能力というより、見えにくいぶん、自然と耳が音を拾うようになった結果だと思います。毎日歩いているうちに、足音の返り方と、その場所のかたちが、頭の中でだんだん結びついていく。音が、目に見えない地図になっていくんです。
たとえば、トンネルや高架の下を通るとき。音がこもって、ぐっと近く返ってくる。「あ、今、屋根のある場所に入ったな」と耳でわかる。広い駅前の広場に出ると、今度は音が四方に抜けていって、開けた感じが伝わってくる。建物のすぐ脇を歩いているときは、片側だけ音が近い。こうした音の表情の違いが、僕に「今どこにいるか」を教えてくれます。見える人が景色の移り変わりを目で追うように、僕は音の移り変わりを耳で追っているんです。
次に、街でいちばん大きな音といえば、やはり車の音です。
車が通り過ぎる音、エンジンの音、信号で止まる音、また走り出す音。これらは、僕にとって道のかたちを教えてくれる、大切な情報です。車の音が左から右へ流れていけば、そこに道がある。音が止まれば、信号や交差点が近い。音の流れの向きで、道がどちらに伸びているかを感じ取ります。
もちろん、車の音は危険を知らせる音でもあります。だから僕は、街を歩くとき、絶対にヘッドフォンはしません。耳を塞いでしまったら、車の音も、足音も、街の声も、全部聞こえなくなる。僕にとって、耳は安全装置そのもの。開けた耳で、街の音を全部受け取りながら歩いています。
そういう意味で、最近の静かな車は、僕にとって少しだけ難しい相手です。音が静かなのは、街にとってはいいことだと思います。でも、見えにくい僕にとっては、近づいてくる車に気づきにくくなる、ということでもある。だから、横断するときはいつも以上に耳をすませて、気配を探します。便利になることと、見えにくい人が困ることは、ときどき背中合わせ。だからこそ、僕はこうして、自分の歩き方を言葉にして伝えたいんです。知ってもらえれば、街は少しずつ、誰にとっても歩きやすい場所になっていくはずだから。
見えにくい僕にとって、耳を塞ぐことは、目を閉じて歩くのと同じくらい危ないこと。だから僕は、いつも耳を開けています。街の音を全部受け取る。それが、僕が安全に、そして豊かに歩くための、いちばんの工夫です。見える人にとっては何気ない音が、僕にとっては命綱。だから僕は、街の音のひとつひとつに、静かに感謝しています。
音だけではありません。僕は、人の気配も感じ取りながら歩いています。
前から人が近づいてくる気配、横をすっと通り過ぎていく気配、近くに誰かが立ち止まっている気配。これは、足音や衣擦れの音もあるし、空気の動きや、なんとなくの感覚もある。言葉にするのは難しいのですが、目に頼れないぶん、肌や全身で、人の存在を感じ取っているように思います。
駅や人混みの中では、この気配が特に大事になります。たくさんの足音と、たくさんの気配の中を、ぶつからないように歩いていく。見える人なら目で避けるところを、僕は耳と気配で読みながら進む。街の中の人の流れを、音と空気で感じながら歩いているんです。
人の声も、大切な情報です。前のほうで「いらっしゃいませ」と聞こえれば、お店の入り口が近い。子どもの声がすれば、公園や広場が近いかもしれない。誰かが話しながら歩いていれば、その声の動きで、人の流れの向きがわかる。街は、たくさんの声で満ちています。その声のひとつひとつが、僕にとっては、街の様子を教えてくれる手がかりなんです。見える人が看板や標識を目印にするように、僕は声を目印にして歩いています。
人は、音を立てなくても、そこにいる。その気配を感じ取ることが、見えない僕の、もうひとつの目です。
音と気配に加えて、僕の歩きを支えてくれる相棒たちがいます。
足の裏や白杖の先に伝わってくる、点字ブロックの感触。あのぼこぼこした凹凸は、見えにくい僕にとって、道しるべです。白杖を通して伝わる路面の変化、段差、縁石。手元から伝わる情報も、僕の歩きを助けてくれます。
そして、盲導犬シュクレ。シュクレと歩く日は、シュクレと耳の二人三脚。シュクレがお留守番の日は、白杖と耳。音と気配で街全体を把握しながら、点字ブロックの感触で足元を確かめ、シュクレや白杖と一緒に進んでいく。これらが全部そろって、はじめて僕は安心して歩けるんです。ひとつの感覚に頼るのではなく、いくつもの感覚と相棒を重ねていく。これが、僕の歩き方です。
面白いのは、これらがバラバラに働いているのではなく、ひとつにまとまって、僕の中で街の地図を作っている、ということです。耳が空間の広さを描き、足の裏が道の方向を確かめ、気配が人の流れを教え、シュクレが安全に導いてくれる。それぞれが少しずつ情報を持ち寄って、頭の中にひとつの立体的な街が立ち上がる。見える人が一目で景色を捉えるのとは違って、僕はいくつもの感覚を重ねて、少しずつ街を組み立てていく。時間はかかるかもしれない。でも、そうやって組み立てた街は、なんだかとても愛おしいんです。
こうしてお話ししてくると、ひとつのことに気づきます。それは、世界は見えるものだけでできているわけじゃない、ということです。
足音の反響、車の音、人の気配、点字ブロックの感触。僕が毎日歩いている街は、こうした音と気配の織物でできています。見える人が見落としているかもしれない、たくさんの情報が、街にはあふれている。僕は、見えにくくなったおかげで、その豊かさに気づくことができました。
もちろん、見えないことは不便です。それは間違いありません。でも、見えないからこそ開いた世界も、確かにある。失ったものの代わりに、別の感覚が、別の世界を見せてくれた。音と気配でできた世界は、見える世界に負けないくらい、深くて、豊かなんです。
雨の日には、雨の音が街を別の表情に変えます。地面を打つ雨の音、傘に当たる音、車が濡れた路面を走る音。晴れた日とは、まるで違う音の風景が広がる。風の強い日には、風が建物の間を抜けていく音がする。季節や天気で、街の音は移り変わっていく。見える人が紅葉や雪景色を楽しむように、僕は音の季節の移ろいを感じています。同じ道でも、毎日少しずつ違って聞こえる。だから、歩くことは、僕にとって今も飽きることのない、小さな冒険なんです。
見えなくなって、世界が狭くなると思っていた。でも、耳をすませたら、世界はむしろ広がっていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今日は、僕が音と気配で街を歩いている話をしました。足音の反響、車の音、人の気配、点字ブロックの感触。盲導犬シュクレと、白杖と一緒に、僕はこの音の風景の中を歩いています。
もし、あなたが今日、いつもの道を歩くなら、ほんの少しだけ、耳をすませてみてください。目を半分だけ閉じるような気持ちで、音に意識を向けてみる。すると、これまで景色の後ろに隠れていた、たくさんの音が聞こえてくるはずです。足音、車、風、人の声、街のざわめき。あなたの街も、本当はこんなにたくさんの音でできていたんだ、と気づくと思います。
世界は、音と気配でできている。見える人にも、見えにくい人にも、その音は同じように鳴っています。今日も僕は、その音の風景の中を、繋がる輪の中で、一歩ずつ歩いていきます。あなたの街の音も、どうか、聞いてみてください。
それでも、僕は一人で歩いているわけではありません。音と気配は、僕に街を教えてくれますが、安心して歩けるのは、盲導犬シュクレがいて、白杖があって、そして街で声をかけてくれる人たちがいるからです。耳がどれだけ音を拾っても、それだけでは足りない場面がある。そんなとき、横にいてくれる相棒や、すっと手を貸してくれる誰かの存在が、僕を支えてくれます。音で歩く、というのは、決して孤独な技ではなくて、たくさんの支えの上に成り立っている歩き方なんです。
もし、あなたが街で、白杖を持った人や盲導犬と歩く人を見かけたら、その人もきっと、耳をすませて歩いています。だから、もし声をかけてくれるなら、急に体に触れるより、まず「お手伝いしましょうか」と一声かけてもらえると嬉しい。その声も、僕らにとっては大切な「街の音」のひとつです。優しい声がひとつ増えるたびに、僕らの歩く街は、もっと安心できる場所になっていきます。音と気配と、人の優しさと。それらが重なって、僕の毎日の道はできています。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人