30代で学び直して、留年もせず卒業して、それでも三つの国家試験のうち、鍼師と灸師には落ちました。受かったのは、あん摩マッサージ指圧師だけ。国家試験は容赦がありません。受かったか、落ちたか、それだけです。
もしあなたが、今、挑戦の結果が、全部はうまくいかなかったなら——。
もしあなたが、「落ちた」という事実だけを見て、自分を責めているなら——。
もしあなたが、「自分はもう、終わったのかもしれない」と感じているなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど、全国でお話をさせてもらっています。
今日お伝えしたいのは、僕が「全部には受からなかった」話です。30代で学び直した大学。その先に待っていた国家試験で、僕はすべてに合格したわけではありませんでした。でも、そのとき僕が手にしたものは、合格という言葉では言い表せない、もっと大事なものだった気がします。一次情報でお届けします。
30代で人生初の大学受験を経て、僕は鍼灸の学科で学ぶことになりました。人の体を、鍼やお灸、マッサージで助ける。その技術と知識を学ぶ場所です。
その大学での日々は、とにかく緊張感に満ちていました。なにせ、単位を一つでも落とすと、留年。そういう厳しさの中での学びだったんです。一つのつまずきが、そのまま一年の遅れになる。だから、どの授業も、どの試験も、気を抜けませんでした。
見えにくさを抱えながらの勉強は、健常な頃の何倍も時間がかかります。教科書を読むのも、ノートを取るのも、人より手間がいる。それでも、留年だけは避けたい。その一心で、僕は毎日、必死に食らいついていきました。
鍼灸の勉強は、覚えることが、本当にたくさんあります。体のつくり、ツボの位置、その一つひとつを、頭に叩き込んでいく。人の体を扱う以上、いいかげんは許されません。曖昧なままにできない知識を、見えにくさと闘いながら、一つずつ自分のものにしていく。正直、何度も「間に合うだろうか」と思いました。でも、立ち止まっている余裕はなかった。一日サボれば、その分が、そのまま留年のリスクになって返ってくる。だから、とにかく前に進み続けるしかなかったんです。
視覚障害があると、勉強の仕方そのものを、工夫し続けなければなりません。普通にやっていたら間に合わない。だから僕は、自分なりのやり方を、一つずつ探りながら進めていきました。
正直、しんどい時期でした。仕事を失った頃に味わった、あの「昨日できたことが、今日できない」という感覚を、勉強の場面でも、何度も思い出しました。でも大学では、それを嘆いている時間はありませんでした。できないなら、できるやり方を探すしかない。間に合わないなら、間に合わせる工夫をするしかない。
気合いだけでは、乗り切れませんでした。必要だったのは、気合いより、段取りでした。いつ、何を、どの順番でやるか。どこに時間をかけて、どこを効率化するか。毎日を、設計して過ごす。僕が今も大事にしている「気合いより段取り」という合言葉は、思えば、あの大学の日々で鍛えられたものなのかもしれません。
「留年したくない」という必死さだけでは、空回りします。その必死さを、具体的な段取りに翻訳できたとき、初めて前に進めました。焦りは、行動の計画に変えて初めて、力になるんです。
そして僕は、留年することなく、大学を卒業することができました。
これは、僕にとって、本当に大きなことでした。単位を一つ落とせば留年という緊張感の中を、最後まで走り抜けた。見えにくさを抱えながら、毎日必死に積み上げて、ゴールまでたどり着いた。卒業証書を手にしたとき、僕は、退職して先が真っ暗だった頃の自分には、想像もできなかった場所に立っていました。
あの頃、「もう何もない」と思っていた僕が、新しいことを学び、最後までやり遂げた。それだけで、もう十分に意味があったと、今でも思います。卒業は、僕が「やり直せる」を、確かに形にできた瞬間でした。
そして、この卒業という経験は、僕に一つの確信をくれました。「見えにくくても、必死にやれば、最後までたどり着ける」。この手応えは、お金には換えられない財産でした。仕事を失ったときにすっかり萎んでいた自信が、卒業という事実によって、少しだけ、息を吹き返した。「自分は、まだやれる」。そう思えるようになったことが、卒業証書そのものより、ずっと大きな収穫だったのかもしれません。
でも、物語は、ここで終わりませんでした。卒業の先には、国家試験が待っていたんです。
鍼灸の道には、いくつかの国家資格があります。鍼を扱う鍼師。お灸を扱う灸師。そして、あん摩・マッサージ・指圧を扱う、あん摩マッサージ指圧師。僕は、これらすべての合格を目指して、試験に挑みました。
結果を、正直に書きます。僕は、すべてには受かりませんでした。
合格できたのは、あん摩マッサージ指圧師。一方で、鍼師と灸師には、落ちました。全部に受かって、晴れやかにすべての道を手にする——そんな、絵に描いたような結末には、ならなかったんです。
落ちた、と知ったときの気持ちは、複雑でした。あれだけ必死にやって、留年もせずに卒業して、それでも届かなかったものがある。悔しさが、なかったと言えば嘘になります。国家試験は、それまでの努力を、はっきりとした合否で突きつけてくる。グレーがない。受かったか、落ちたか、それだけです。その容赦のなさが、こたえました。
「全部に受かりたかった」という気持ちは、確かにありました。もし三つすべてに合格していたら、どんなに胸を張れただろう、と。落ちた二つのことを思うと、自分の足りなさを突きつけられるようで、しばらくは、その事実とどう向き合えばいいのか、分かりませんでした。
人は、こういうとき、つい「落ちた部分」だけを大きく見てしまいます。受かった一つより、落ちた二つのほうに、目がいってしまう。手に入らなかったものの形ばかりが、くっきりと見えてしまうんです。僕も、最初はそうでした。
しばらくの間、僕は、落ちた二つのことを、ずっと引きずっていました。「あそこを、もっとこうしていれば」「あの分野が、最後まで詰めきれなかった」。後悔のような気持ちが、頭の中をぐるぐると回り続けました。せっかく卒業まで漕ぎ着けたのに、やり遂げた充実感よりも、届かなかった部分の悔しさのほうが、心の中で大きな顔をしていたんです。たった一つの合格を、素直に喜べない。そんな自分が、また少し情けなくもありました。
人は、手に入れたものより、手に入らなかったもののほうを、はっきりと見てしまう。受かった一つより、落ちた二つに、心が引っぱられる。でも、そこに留まり続ける必要は、なかったんです。
でも、しばらく経って、僕の中で、この出来事の意味が、少しずつ変わっていきました。
確かに、僕は鍼師と灸師には落ちた。でも、あん摩マッサージ指圧師には、合格した。一つは、確かに手にしたんです。そして、ある日ふと、こう思えたんです。これは、単なる「資格に一つ受かった」という話じゃないんじゃないか、と。
視覚障害者になって、13年の居場所を失って、先が真っ暗で、「もう自分は終わったのかもしれない」と思った僕が——30代で学び直して、必死に卒業して、そして国家資格を一つ、自分の手で掴んだ。これは、合格というより、もっと大きな意味を持っていました。
あの、仕事を失った頃の僕を思い出してみてください。図面が見えなくなって、「昨日できたことが、今日できない」と落ち込んで、自分にはもう価値がないんじゃないかと、本気で思っていた。そんな僕が、新しい分野で、国家試験という、はっきりとした基準のある関門を、一つ突破した。これは、「お前はまだ何かを成し遂げられる人間だ」という、世の中からの、確かな返事のように感じられたんです。誰かに認めてもらうためじゃない。自分で自分に「まだ大丈夫だ」と言ってあげるための、何よりの根拠でした。
「まだ、自分は終わってない」。その証明を、一つ手に入れた感覚だったんです。
三つ全部に受かることが目的だったわけじゃない。本当に欲しかったのは、「終わったと思っていた自分に、まだ続きがある」という確かな手応えでした。そして、たった一つの合格でも、それを証明するには十分だったんです。落ちた二つは、その事実を、少しも曇らせませんでした。
そう思えたとき、僕の中で、落ちた二つの意味も、変わっていきました。あれは「失敗」ではなく、「まだ伸びしろがある」というサインなんだ、と。全部に受かっていたら、僕はそこで「終わり」にしていたかもしれません。でも、届かなかった部分があったからこそ、「まだ先がある」「まだ学べることがある」と思えた。完璧じゃなかったことが、かえって、僕に「次」を残してくれたんです。今の僕が、何歳になっても挑み続けていられるのは、あのとき、全部を手にしてしまわなかったからなのかもしれません。
三つのうち二つに落ちても、一つの合格が持つ意味は、減りませんでした。なぜなら、僕が欲しかったのは「全部を完璧にそろえること」ではなく、「まだ終わってない」という証明だったからです。何のためにそれを目指したのか。原点に立ち返れば、結果の受け止め方は、まるで変わります。
もし今、あなたが、挑戦の結果が全部はうまくいかなくて、落ち込んでいるなら。「落ちた」という事実だけを見て、自分を責めているなら。あの頃の僕の隣に座る気持ちで、これを書いています。
まず、伝えたいことがあります。全部に受からなかったからといって、あなたの挑戦が無意味だったわけでは、決してありません。手に入らなかったものに目を奪われていると見えなくなりますが、あなたは、その過程で、確かに何かを積み上げてきたはずです。最後までやり遂げた、その事実自体が、もう一つの「証明」なんです。
そして、もう一度、思い出してみてください。あなたは、何のためにそれに挑んだのでしょうか。「全部に受かること」が、本当のゴールでしたか。それとも、その先にある、もっと大事な何か——「自分にもできる」という手応えや、「まだ終わってない」という証明——のためではなかったでしょうか。もし後者なら、たとえ一つでも、あなたが掴んだものは、それを十分に証明してくれます。
うまくいかなかった部分は、「失敗」だと決めつけないでみてください。それは、「まだ伸びしろがある」というサインかもしれません。全部がうまくいってしまったら、人はそこで歩みを止めてしまう。届かなかったものがあるからこそ、「次がある」と思える。僕にとって落ちた二つが、結果的に「まだ先がある」という希望になったように、あなたの届かなかった部分も、いつか、次へ進むための入口に変わるかもしれません。だから、今は素直に、掴んだものを誇ってください。届かなかったものは、その先で、ゆっくり取りに行けばいいんです。
僕は、弱さと行動は両立すると信じています。落ちても、悔しくても、人は前に進める。全部はうまくいかなくても、その中で掴んだ一つを、ちゃんと自分の手柄として抱きしめていい。それは、あなたが「まだ終わってない」ことの、確かな証明です。たくさんの人に支えられ、繋がりの中で挑み続ければ、落ちた経験すら、いつかあなたの物語の一部になります。あん摩マッサージ指圧師に受かったあの日の僕が、今こうして前を向いているように。
全部に受からなくても、掴んだ一つが「まだ終わってない」を証明してくれる。落ちた部分ではなく、何のために挑んだのかを思い出そう。あなたが積み上げた過程は、決して無意味ではありません。
あなたが、自分の掴んだ一つを、誇れますように。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人