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📅 2026.08.20 | RYU NAKAZAWA
📖 物語・哲学

緑内障の手術を何度も受けた頃|「信じるしかない」を選んだ時間

⏱ 約8分で読めます(4,905字)

27歳のあの夜、静かな部屋で画面の光だけが顔を照らしていました。そこに並んでいたのは、「治る」という言葉ではありませんでした。

もしあなたが、良くなる保証のない何かを、それでも信じようとしているなら——。

もしあなたが、努力しても結果が変わらない現実の前で、立ちすくんでいるなら——。

もしあなたが、大切な人の病気を前に、祈るような気持ちで日々を過ごしているなら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。

今日は、僕が緑内障の手術を何度も受けていた頃の話をします。
手術の医学的なことは、専門家ではないので書きません。何回目にどんな処置をしたか、といった細かいことも書きません。いいかげんなことを言って、誰かを不安にさせるわけにはいかないからです。

その代わりに書きたいのは、の話です。良くなる保証なんてどこにもない中で、それでも「これで良くなるはず」と信じたかった。いや、信じるしかなかった。あの時間を、僕がどんな気持ちで過ごしていたか。変えられない現実の前に立っている誰かに、そっと届けばと思って書きます。

📖 この記事の目次
  1. 27歳、照明の周りが虹色に見えた
  2. 「治る」ではなく「進行を遅らせる」だった
  3. 目薬、飲み薬、手術——できることは、全部やった
  4. 「これで良くなるはず」と、信じたかった
  5. 悔しくて、情けなくて、誰にも言えなかった
  6. 信じることは、弱さじゃなかった
  7. 信じた時間が、次の一歩を準備していた
  8. これを読んでいるあなたへ

27歳、照明の周りが虹色に見えた

始まりは、27歳のときでした。

天井の照明の周りが、虹色に見える。目が痛くて、霞んで、頭も痛い。
おかしいなと思って病院に行ったら、「緑内障です」と言われました。

正直、最初の感想は「へ〜、そんな病気があるんだ〜」でした。
深刻さなんて、まったく分かっていませんでした。名前を聞いたこともなかったし、まさか自分の人生をまるごと変えるような病気だなんて、思いもしません。その病気が、これからどんな時間を僕に連れてくるのか、27歳の僕は、何ひとつ想像していなかったんです。

本当の意味を知ったのは、医者からではありませんでした。
自分でパソコンで調べた、ある夜です。「一度失った視野は、回復しない」。その文字を画面で見たとき、はじめて「ヤバイ」と思いました。一人で画面の前で、本当の意味を知ってしまったんです。

静かな部屋で、画面の光だけが顔を照らしている。
そこに並んでいたのは、「治る」という言葉ではありませんでした。診察室で先生から告げられるより、自分で検索して、自分の目でその事実に行き着いたことのほうが、ずっと重く、ずっと怖かった。誰かに説明されたのではなく、自分で見つけてしまった現実は、逃げ場がないんです。あの夜の、足元がすっと冷たくなるような感覚は、今でも忘れられません。


「治る」ではなく「進行を遅らせる」だった

調べていて、いちばんこたえたのは、この事実でした。

緑内障は、視野が少しずつ狭くなっていく病気で、治療でできるのは「進行を遅らせる」こと。失われた視野が「元に戻る」わけではない。

この違いは、言葉にすると小さいようで、とても大きいんです。

「治る」なら、ゴールがあります。がんばれば、元に戻る。痛みも、努力も、「いつか終わる」と思えれば、人は耐えられます。
でも「進行を遅らせる」は、ゴールが見えません。どんなにがんばっても、良くなるわけではなく、ただ「悪くなるのを、できるだけゆっくりにする」。前に進むためじゃなく、後ろに下がるのを、少しでも遅らせるための努力なんです。

坂道を、ずるずると下りながら、その速度を少しでもゆるめようと、必死に踏ん張る。
踏ん張っても、坂は登れない。ただ、落ちるのが遅くなるだけ。そんなイメージでした。報われ方が、普通の努力とは違うんです。

そんな努力を、人はどうやって続ければいいんだろう。
27歳の僕の前に、いきなり、その大きな問いが置かれました。当時の僕には、答えなんて、まったく見えていませんでした。


目薬、飲み薬、手術——できることは、全部やった

それでも僕は、できることを全部やりました。

目薬を差し、飲み薬を飲み、そして手術も、何度も受けました。

手術が何回目で、どんな処置だったか——医学的なことを、ここで細かく書くつもりはありません。専門家でもない僕が、いいかげんなことを言ってはいけないからです。緑内障の治療は人それぞれですし、僕の経験が誰かの正解になるわけでもありません。

ただ、ひとつだけ、はっきり言えることがあります。
治療を受けるたびに、僕の心の中には、いつも同じ願いがありました。「今度こそ、これで良くなるはずだ」。

手術の日が近づくたびに、僕はその願いを握りしめていました。
これでまた、見えるようになるかもしれない。前のように、図面が読めるようになるかもしれない。目薬を差す朝も、薬を飲む夜も、同じ願いを心の中でくり返していました。すがるように、祈るように。それくらいしか、僕にできることはなかったんです。


「これで良くなるはず」と、信じたかった

でも、現実は、なかなか思うようにはいきませんでした。

できることを全部やっても、視力は、少しずつ、しかし確実に進行していきました。
仕事への影響も出始めました。図面を見る仕事なのに、その細かい字が見えなくなっていく。1回で済んでいた確認が、2回、3回に増える。昨日できたことが、今日できない。

それでも僕は、信じることをやめませんでした。
というより——信じるしかなかったんです。

🔑 「信じたかった」と「信じるしかなかった」

あの頃の僕の気持ちを、正直に言葉にすると、こうです。「これで良くなるはずと、信じたかった。信じるしかなかった。」——希望に満ちて信じていた、というのとは少し違います。信じないと、立っていられなかった。前を向く理由が、それしかなかった。だから信じた。これが、あの時間の本当のところです。

良くなる保証なんて、どこにもありませんでした。
それでも「信じる」を選ばなければ、心が真っ暗になってしまう。だから僕は、保証のない希望を、自分の意志で握り続けたんです。


悔しくて、情けなくて、誰にも言えなかった

信じ続けながらも、現実は、容赦なく進んでいきました。

僕は電気工事の現場で、図面を見る仕事をしていました。
ところが、その図面の細かい字が、だんだん見えなくなっていったんです。仕事の中心にあるものが、少しずつ、霧の向こうに消えていく。これが、どれだけこたえたか。

1回で済んでいた確認が、2回、3回に増える。
早くしなきゃ」と思えば思うほど、焦って、かえって手が止まる。昨日まで当たり前にできていたことが、今日はできない。その繰り返しでした。

一番つらかったのは、それを誰にも言えなかったことです。
悔しくて、情けなくて、「目が見えなくなってきています」の一言が、どうしても言えませんでした。弱さを見せたら、終わってしまう気がして。だから僕は、見えないことを必死に隠しながら、人知れず確認を重ねて、なんとか仕事に食らいついていました。

そういう昼間を過ごしながら、夜にはまた、「これで良くなるはず」と信じようとする。
現実は進行し、心はすり減り、それでも希望を手放さない。あの頃の僕は、その両方を、毎日抱えて生きていました。


信じることは、弱さじゃなかった

当時は、こんなふうに思ったこともありました。
「結果が変わらないのに信じ続けるなんて、現実から目をそらしているだけじゃないか」と。

でも、今ははっきり言えます。
信じることは、弱さでも、逃げでもありませんでした

結果が見えない中で、それでも「良くなるはず」と信じて、今日も目薬を差す。手術を受ける。
それは、現実から逃げる行為じゃなくて、現実に立ち向かうための、心の段取りでした。信じる力がなければ、僕はあの時間を、立って歩くことすらできなかったと思います。

もし、あの頃に「どうせ良くならない」と、信じることを完全にやめていたら。
僕はきっと、目薬を差す気力も、病院に通う気力も、なくしていたでしょう。何より、その先のトライアスロンに踏み出す力なんて、残っていなかったはずです。信じることは、ただの気休めじゃなくて、次の行動を生み出すための、エンジンだったんです。

良くなる保証がなくても、信じることはできる。信じることは、現実に立ち向かうための、いちばん最初の一歩だった。

結果はコントロールできません。視力が進行するかどうかは、僕の力ではどうにもならなかった。
どれだけ願っても、どれだけ治療を受けても、視野が戻るかどうかは、僕には決められない。それは、本当に無力な感覚でした。

でも、「信じるかどうか」は、僕が選べました。
コントロールできないことの中で、唯一、自分で選べたのが、「それでも信じる」という心の姿勢だったんです。結果は手の中になくても、心の向きだけは、自分で決められる。あの頃の僕は、そこに、最後の足場を見つけていたんだと思います。


信じた時間が、次の一歩を準備していた

結果として、僕は31歳で視覚障害者になりました。
信じ続けても、視野は戻りませんでした。その意味では、願いは叶わなかったのかもしれません。

でも、不思議なんです。
あのとき「信じるしかない」を選び続けた時間は、決して、無駄ではありませんでした。

保証のない希望を握り続けた経験は、その後の僕の土台になりました。
トライアスロンを始めて、25メートルも泳げなかったとき。「いつか泳げるようになるはず」と信じて、プールに通い続けられたのは、あの頃に「信じる練習」をしていたからです。IRONMANの長い長いレースの途中で、ゴールが見えなくても足を止めずにいられるのも、同じ力です。

信じるしかない」を選んだ時間は、結果こそ変えられなかったけれど、次の一歩を踏み出す僕を、静かに準備していてくれたんです。


これを読んでいるあなたへ

もし今、あなたが、良くなる保証のない何かを、それでも信じようとしているなら。

あるいは、努力しても結果が変わらない現実の前で、立ちすくんでいるなら。
あるいは、大切な人の病気を前に、祈るような毎日を過ごしているなら。

僕は、あなたに「絶対に良くなるよ」とは言えません。
無責任なことは、言いたくないからです。緑内障の僕の視力は、結局、進行しました。手術を何度受けても、目薬を欠かさず差しても、坂道は止まりませんでした。だから、安易な希望は、口にしたくないんです。

でも、これだけは言えます。
結果が変えられなくても、「信じる」を選んだ時間は、決して無駄になりません。
信じることは、現実から逃げることじゃない。現実に立ち向かうための、心の段取りです。そして、その時間に培った「信じる力」は、あなたが次の一歩を踏み出すとき、必ずあなたを支えてくれます。

結果は選べなくても、「それでも信じる」という姿勢は、あなた自身が選べます。
あの夜、画面の前で「ヤバイ」と思った僕も、それでも信じることを選んで、今ここにいます。46歳になった今、盲導犬シュクレと暮らし、IRONMANに挑み続けながら。

あの頃の僕は、視野が戻ることだけが「救い」だと思っていました。
でも、本当の救いは、別の形でやってきました。視野は戻らなかったけれど、信じ続けた力が、その後の僕を支える土台になった。願ったものとは違う形で、あの時間は、ちゃんと報われていたんです。だから、今あなたが握りしめている希望も、たとえ思った通りにならなくても、決して無駄にはなりません。

どうか、信じることを、自分を責める材料にしないでください。
「信じたのに叶わなかった」と、自分を責める必要はありません。信じたその時間そのものが、あなたを前に進ませてくれていた。僕は、そう思っています。

「これで良くなるはず」と信じたかった。信じるしかなかった。その時間は、結果を変えなかったけれど、次の一歩を歩く僕を、たしかに準備してくれていた。

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「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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