ハーネスを外した瞬間、シュクレは仰向けにひっくり返り、手足を投げ出してぐにゃぐにゃに脱力します。目で見えない僕にも、触れば分かる。さっきまで僕の命を背負っていた相棒の、その見事な力の抜き方が、僕の生き方を変えてくれました。
もしあなたが、頑張ることはできるのに、休むのが下手で、いつも気を張り続けているなら——。
もしあなたが、「休む=サボり」だと、どこかで思ってしまっているなら——。
もしあなたが、オンとオフの切り替えがうまくいかなくて、心も体もすり減っているなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。相棒の盲導犬は2頭目のシュクレ。フランス語で「砂糖」、甘いという意味の名前です。僕は今、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど講演でお話をしています。
今日は、僕の相棒・シュクレの「オンとオフ」の話をします。ハーネスを着けている時のシュクレと、外した時のシュクレは、まるで別の犬みたいなんです。そしてその切り替えが、いつのまにか、僕自身の生き方を変えてくれました。がんばることは得意なのに、休むのが下手で、すり減ってしまう。そんな人に、シュクレの背中が教えてくれたことを、お裾分けしたい。頑張り続けて疲れているあなたに、どうしても伝えたい話です。
盲導犬には、ハーネスという胴輪があります。これを背中に着けると、シュクレは「さあ、仕事だ」というスイッチが入ります。
ハーネスを着けたシュクレは、とても真面目です。
段差の手前で止まる。曲がり角を教える。人混みの中でも、僕を守るように歩く。よそ見をしないし、道に落ちているものにも興味を示しません。僕の命を、文字どおり背中で預かってくれているからです。
見えない僕にとって、シュクレのこの集中は、本当にありがたいものです。ハーネスを握っているあいだ、僕は安心して前に進めます。それは、シュクレが「いま自分は働いている」と分かっているからこそ、成り立つ安心なんです。
盲導犬と歩くようになる前、僕は白杖だけで街を歩いていました。けれど、駅のホームから落ちそうになったことがあって、「もっと安心して、安全に歩きたい」と、盲導犬と暮らすことを選びました。
だから、ハーネスを着けたシュクレが見せる、あの真剣な集中は、僕にとって、ただありがたいというだけでなく、「もう一度、安心して外を歩けるようになった」という、人生の大きな変化そのものなんです。その集中を、僕は心から信頼しています。
シュクレは、四六時中ずっと気を張っているわけじゃありません。ハーネスという「合図」があるから、そこから集中に入れる。集中とは、ずっと続けるものじゃなくて、入って、抜けるもの。シュクレを見ていると、それがよく分かります。
では、ハーネスを外すとどうなるか。
シュクレは、それはもう、だらしないくらいにゆるみます。
仰向けにひっくり返って、お腹を上に向けて寝る。いわゆる「へそ天」というやつです。あの真面目だったシュクレはどこに行ったんだ、というくらい、ぐにゃぐにゃに脱力します。
僕は目で見ることはできませんが、触れば分かります。お腹を上にして、手足を投げ出して、すっかり安心しきっている。さっきまで僕の命を背負っていた相棒が、いまは「ただの甘えん坊の犬」に戻っている。その落差が、たまらなく愛おしいんです。
そして気づきます。シュクレは、オフの時にちゃんと休めるから、オンの時にあれだけ集中できるのだと。もし一日中ハーネスを着けたままだったら、あの真面目さは続かないでしょう。
シュクレと初めて会ったのは、1頭目の盲導犬デネブが引退する日でした。別れと出会いが、同じ日にやってきた。正直、悲しい気持ちのほうが大きかった日です。
その日、訓練士さんは僕にこう言いました。「シュクレは、ちょっと繊細な子です」と。
緊張しやすいのかな、気をつけてあげなきゃな、と僕は身構えました。
ところが、です。
初対面のその日から、シュクレはさっそくへそ天で寝転がっていました。「どこが繊細だよ!」と、思わず心の中でツッコミました。
でも今になって思うのは、これがシュクレの強さなんだということです。繊細だからこそ、休む時はしっかり休んでバランスを取る。気を張る時間と、ゆるめる時間を、自然に使い分けている。緊張しやすい子だからこそ、オフの上手さが、仕事を支えているのかもしれません。
シュクレと暮らしていて、いちばん教わったことはこれです。
オフがあるから、オンが続く。
ハーネスを着けている時の、あの集中。
あれは、ハーネスを外した時の、あのだらけた休息があってこそ、毎日くり返せるものです。休まずに働き続けたら、どんなに優秀な盲導犬でも、いつか集中は切れてしまう。
シュクレにとって、へそ天で休むことは、サボりではありません。次にハーネスを着けた時、また全力で僕を守るための、大事な準備です。休むことが、働くことを支えている。これは犬の話に見えて、じつは僕たち人間にもそのまま当てはまる話だと思うんです。
「ピンチはチャンス、カギは工夫」。これは僕の合言葉です。気を張りっぱなしで消耗してしまうのは、根性の問題じゃありません。オンとオフを切り替える工夫が、まだ足りていないだけ。シュクレは、それを身をもって教えてくれました。
シュクレを見ていて、もうひとつ気づいたことがあります。
あの見事なオンとオフの切り替えは、シュクレが安心しきっているから、できるのだということです。
初対面の日から、シュクレはへそ天で寝ていました。お腹を上に向けるというのは、犬にとって、いちばん無防備な格好だそうです。つまりシュクレは、出会ったその瞬間から、「この人のそばなら、すっかり力を抜いても大丈夫だ」と、僕を信じてくれていた。
その安心があるからこそ、ハーネスを外した瞬間に、迷いなくゆるめるんです。
逆に言えば、安心できない場所では、生き物はオフになれません。どこかで気を張ったまま、本当の意味では休めない。人間も、まったく同じだと思います。
心から安心できる相手、安心できる場所があってはじめて、僕たちはちゃんと休める。オフの上手さは、根性ではなく、信頼から生まれるんです。
僕にとって、シュクレのそばは、そういう安心できる場所です。そしてきっと、シュクレにとっても、僕のそばがそうであってほしい。
お互いを信じ合えているから、二人とも、休む時はちゃんと休める。それが、長く一緒に歩いていける関係の、土台なんだと思います。
シュクレのオンとオフを毎日見ているうちに、僕自身の生き方も変わりました。
休む時間を、先に確保するようになったんです。
僕はアスリートですから、練習はもちろん大事です。でも、持久系の競技では、回復こそが競技力です。休まずに練習だけを積み重ねても、体は強くなりません。むしろ、疲れをためたまま動けば、ケガにつながってしまう。
体は、練習で刺激を入れて、休んでいるあいだに強くなる。つまり、休むことそのものが、強くなるための工程なんです。これは、IRONMANという長い長いレースに挑むようになって、骨身にしみて分かったことでした。若い頃のように、根性だけで押し切ろうとすると、体はかならずどこかで悲鳴を上げます。
だから僕は、予定を組むとき、まず休む時間と、回復の時間を先にカレンダーに置きます。そのうえで、空いた枠に練習や講演を入れていく。逆にしないことが大事です。
忙しいことから先に埋めてしまうと、いちばん大切な回復の時間が、いつのまにか消えてしまうからです。
これは、シュクレがハーネスを外してへそ天になる、あの時間を、僕が自分の一日の中にちゃんと作る、ということでもあります。相棒が当たり前にやっていることを、僕も真似しているだけなんです。
もうひとつ、僕が大切にしているのが「守りたい時間を、先に決めてしまう」ことです。回復の時間や、大切な人と過ごす時間を、あとから空いた隙間で取ろうとすると、たいていは取れずに終わってしまう。
だから、その時間を先に「ここは動かさない」と決めて、カレンダーの中に、ちゃんと居場所を作っておく。そこは「すでに埋まっている枠」として扱って、ほかの予定では上書きしません。
かつての僕は、「休む=サボり」だと、どこかで思っていました。止まっている自分が、なんだか後ろめたかった。
でも今は、はっきり言えます。回復は、サボりじゃない。
シュクレが、へそ天でだらしなく寝ているのを見て、「サボってるな」と思う人はいないでしょう。あれは、明日また僕を守るための、立派な仕事の一部です。
僕たちの休息も、まったく同じはずなんです。
頑張り続けることが偉い、止まらないことが強い——。そう信じて走り続けて、すり減ってしまう人を、僕はたくさん見てきました。でも、本当に長く続けている人ほど、休むのが上手です。オンとオフを、ちゃんと切り替えている。
僕の相棒は、言葉ひとつ話さないのに、それを毎日、背中で教えてくれます。
講演で、全国のいろいろな方とお会いします。その中には、まじめで、責任感が強くて、だからこそ、休むことに罪悪感を抱えている方が、たくさんいます。「自分が止まったら、迷惑をかけてしまう」と。
その気持ちは、痛いほど分かります。でも、あなたが倒れてしまったら、それこそ、まわりは困ってしまう。長く力を出し続けるために、休む。休むことは、まわりへの責任を果たすことでもあるんです。どうか、自分が休むことを、自分で許してあげてください。
休むことは、働くことを支えている。回復は、次の挑戦のための準備だ。
「ピンチはチャンス、カギは工夫」。すり減らずに長く挑み続けるための工夫として、僕はこの「休むことを、ちゃんと予定に組み込む」というやり方に、シュクレを通してたどり着きました。
相棒は、言葉を話せません。それでも、毎日の背中の切り替えだけで、僕にこれだけのことを教えてくれる。シュクレと暮らすというのは、生き方そのものを、となりで見せてもらうことなのかもしれません。
もしあなたが、休むのが下手で、いつも気を張り続けているなら。
どうか、一日のどこかに、ハーネスを外す時間を作ってあげてください。
それは、サボりではありません。明日もまた、あなたが大切な何かに向き合うための、立派な準備です。予定を埋める前に、まず休む時間を先に置く。それだけで、あなたの「オン」は、きっと長く続いていきます。
シュクレは今日も、ハーネスを着ければ真面目に僕を守り、外せばへそ天で甘えてきます。
そのゆるみがあるから、明日もまた、僕たちは二人で前に進んでいける。支えてくれる相棒がいて、休む時間があって、その繰り返しの中で、僕は今日も挑み続けています。
そして、もしできたら、その「ハーネスを外す時間」を、気が向いた時にとるのではなく、一日の中に、先に置いてしまうことをおすすめします。「この時間は、何もしない」「ここは、ゆるむ時間」と、あらかじめ決めておく。
そうしないと、忙しさにのまれて、ゆるむ時間は、いつまでたっても回ってきません。シュクレが、ハーネスを外せば迷わずへそ天になるように、あなたにも、迷わずゆるめる時間が、毎日あっていいんです。
あなたも、頑張る時間と同じくらい、ゆるむ時間を大切にしてください。
それが、長く挑み続けるための、いちばんの工夫だと、僕は思っています。
今日も、僕のとなりでお腹を出して眠っているこの相棒が、それを静かに、教えてくれています。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人