30年ぶりに開いた3枚の通知表に書かれていたのは、僕が覚えているのとは、別の子どもでした。
もしあなたが、自分の子ども時代を「なにもできなかった」とまとめているなら——。
もしあなたが、自分にだけ、ずっと低い点をつけて生きてきたなら——。
もしあなたが、今まさに、子どもの通知表を書いている先生や、読んでいる親御さんなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。
今日は、中学3年分の通知表を読み返した話をします。僕の記憶と、先生が残した記録が、どれくらいずれていたか、という話です。少し長くなりますが、手紙を読むつもりで、最後までお付き合いいただけたらうれしいです。
僕が自分の中学時代をどう覚えているか、先に書いておきます。
勉強はできませんでした。運動もできませんでした。バドミントン部は1年で辞めて、2年からは部員が僕だけの農園部にいました。好きな子には何も言えないまま卒業しました。
ひとことでまとめると、「なにもできない子」です。そう思っていましたし、大人になってからも、中学のことを聞かれたら、だいたいそう答えていました。
その3年間の通知表が、3枚、残っていました。
開いてみて、静かに驚きました。そこに書かれていたのは、僕が覚えているのとは、別の子どもだったからです。
中学1年。部活はバドミントン部。係は、前期が理科係、後期が英語係。
通信欄には、こう書いてありました。
部活動では、大変よく努力していました。理科係の仕事もしっかりと行っていた様です。
学年の終わりには、こうあります。
進級おめでとう。一年間よく努力しました。
僕の記憶にある中学1年は、飛ばないシャトルと、「向いてない」という結論だけです。「大変よく努力していました」と書かれた1年は、僕の記憶の中に存在していませんでした。
中学2年。部活は農園。係は、前期が技術係、後期が理科係。
1学期の通信欄。
おおらかな性質の持ち主であり、毎日楽しそうに生活しています。遅くまで校庭の草花の手入れをしていた姿が印象的でした。この姿勢を忘れないで欲しいと思います。
2学期。
遠足の実行委員会や学芸発表会で、一つのことを粘り強く取り組む姿をみることができました。さらなる活躍を期待します。
3学期。
進級おめでとう。球技大会のバスケットボールでは、コートの中を元気に走りまわり、ボールを追っていた姿に力強いものを感じました。
ここで、手が止まりました。
「コートの中を元気に走りまわり」。運動ができない子だと思っていた自分のことです。徒競走はいつも後ろのほうで、体育の時間は早く終わってほしいと思っていた。その僕が、球技大会ではボールを追って走っていたことになっています。
「粘り強く」「力強いものを感じました」。どれも、僕が自分に一度も使ったことのない言葉でした。
中学3年。部活は農園部。係は、前期が社会科係、後期が技術係。
通信欄より先に、目が行ったのは出欠の欄でした。
中学2年は、授業日数230日に対して、欠席10日、遅刻13回。
中学3年は、授業日数227日に対して、欠席2日、遅刻5回、早退3回。
1年で、欠席が10日から2日に減っています。遅刻も13回から5回に減っている。
この数字のことは、まったく覚えていませんでした。「学校に行くのがつらかった」という記憶のほうが強いからです。でも、記録の上では、僕は3年生のあいだ、ほぼ毎日そこにいたことになります。
だから僕は、この数字を、自分で自分に見せる証拠として持っておくことにしました。行き続けた、という記録です。
もうひとつ、読み返して初めて気づいたことがあります。
係の欄です。理科、英語、技術、理科、社会科、技術。3年間、前期も後期も、空欄がありません。
どれも、目立つ役ではありません。学級委員でも、部長でもない。教室の後ろで、誰かがやらなければならない仕事を引き受けて、それを半年ごとにずっとやっていた、というだけのことです。
そして中学1年の通信欄には「理科係の仕事もしっかりと行っていた様です」と書いてあります。やっていただけでなく、やり方まで見られていた。
僕はこれを、大人になってから、「頼まれたことを最後までやる」という形で仕事にしてきました。現場の仕事でも、今の講演でもそうです。始まりはここだったのか、と思いました。
いいことばかり書いてあった、という話にはしたくありません。
中学3年の1学期には、こうあります。
情緒的には安定していましたが、学校生活では、意欲の面であと一歩欲しい所です。当番活動や提出物などに充分気を付けて…基礎的な部分の反復学習しっかり!
厳しいことも、ちゃんと書いてあるんです。
でも、読み返して思ったのは、これも「見ていた人の言葉」だということでした。「この子はここが足りない、だから気をつけなさい」と書くのは、その子をあきらめていない人の書き方です。
そして卒業のときは、こうです。
卒業おめでとう。高校生活も努力の連続です。目標を持って、がんばろう。
「努力の連続」。その先の僕の人生を、ずいぶん正確に言い当てた一行でした。
3枚を読み終えて、はっきりしたことがあります。
僕の記憶は「自己採点」で、通知表は「他人が見ていた記録」だったということです。
自己採点のほうは、結果だけを見ていました。点数、順位、速さ。そこが下のほうだったので、僕は自分に「なにもできない子」という評価をつけて、それを30年持ち歩きました。
記録のほうは、過程を見ていました。よく努力した。粘り強い。力強い。毎日楽しそうに生活している。遅くまで手入れをしていた。しっかりと係をやっていた。——ぜんぶ、点数にならない部分です。
僕は自分に低い点をつけながら、ずっと、通知表の中では高く評価されていた。紙のほうが、本人より僕をよく見ていたことになります。
僕の記憶:なにもできない子/部活は続かなかった/勉強も運動もだめ
通知表の記録:「大変よく努力していました」/「一つのことを粘り強く取り組む姿」/「力強いものを感じました」/欠席10日→2日/係は3年間ずっと空欄なし
ずれているのは、記録ではなく、僕の自己採点のほうでした。
最後に、先生や親御さんに向けて書かせてください。
通信欄の一行は、その場では、たぶん何も起こしません。僕も当時、読んで何かが変わった記憶はありません。中学生は、自分の点数のほうばかり見ています。
でも、紙は残ります。そして30年後、本人が、自分の人生をもう一度見直そうとしたときに開かれます。そのとき、そこに過程が書いてあるかどうかで、本人の中の過去の採点が変わります。
「よく努力していた」「粘り強い」「力強い」。この三つは、僕が自分では一度も自分に使えなかった言葉です。使えるようになったのは、紙に書いてあるのを見たからでした。
だから、点数にならない部分を、どうか書き残してあげてください。その一行は、時間をかけて届きます。
僕は今、見える範囲が狭くなっていく世界の中にいます。それでも、支えてくれる人たちの言葉を持って、繋がる輪の中で挑み続けています。30年前の3枚の紙も、僕を支えている側にありました。
僕は自分に「なにもできない子」という点をつけていた。記録には「よく努力」「粘り強い」「力強い」と書いてあった。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人