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📅 2026.07.17 | RYU NAKAZAWA
📖 物語・哲学

30代で人生初の大学受験、視覚障害者として学び直した日々

⏱ 約8分で読めます(4,982字)

「大学、行ってみたら?」——先が真っ暗だった31歳の僕に、相談相手がくれたのは、たったその一言でした。

もしあなたが、今、これまで積み上げてきたものを、失ってしまったなら——。

もしあなたが、この先どう生きていけばいいのか、まったく見えないなら——。

もしあなたが、「もう、やり直すには遅すぎる」と感じているなら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど、全国でお話をさせてもらっています。

今でこそこんな毎日を送っている僕ですが、30代のはじめ、僕は一度、人生の行き止まりに立ちました。そこから、思いもよらない形で道がひらけていった話を、今日は一次情報でお伝えします。30代で、人生初めての大学受験に挑んだ日々の話です。

📖 この記事の目次
  1. 退職後、先が真っ暗だった
  2. 「大学、行ってみたら?」の一言
  3. 30代、人生で初めての大学受験
  4. 同じ立場の仲間がいる、という安心
  5. 「もう一回、ここからやり直せるかも」
  6. やり直しに、年齢は関係なかった
  7. 今、行き止まりに立っているあなたへ

退職後、先が真っ暗だった

31歳の頃、僕は13年間勤めた会社を、事実上クビになりました。電気工事の現場監督の会社です。18歳で入って、たくさんのことを覚えて、自分の居場所だと思っていた場所でした。でも、視覚障害が進んで、図面を読む仕事が、だんだんできなくなっていった。やる仕事が一つ、また一つと減っていって、最後には「もう、このまま続けるのは難しいよね」と告げられました。

退職したあとの僕の前には、何もありませんでした。本当に、先が真っ暗だったんです。

13年かけて積み上げてきた経験は、現場の仕事に根ざしたものでした。図面を読み、現場を回す。その力を、僕はもう活かせない。じゃあ、これから何ができるのか。何を仕事にして、どうやって生きていけばいいのか。考えても、考えても、答えが見つかりませんでした。視界が狭くなっていくのと同じように、人生の見通しも、どんどん狭まっていくようでした。

世の中には、たくさんの仕事があります。でも、そのほとんどが、目を使う仕事でした。僕がこれまで身につけてきた力は、見えることを前提に組み立てられていた。その前提が崩れたとき、僕の手元には、何も残っていないように感じました。31歳。働き盛りと言われる年齢で、僕は、自分の使い道が分からなくなっていたんです。朝起きても、やることがない。一日が、ただ長く、空っぽに過ぎていく。あの「何もない」感覚は、痛みよりも、ずっと人を弱らせるものでした。


「大学、行ってみたら?」の一言

そんな僕に、転機をくれたのは、相談に乗ってくれていた方の、たった一言でした。

「大学、行ってみたら?」

最初に聞いたとき、正直、ぴんときませんでした。大学。僕の人生に、それまで一度も登場したことのない言葉です。僕は工業高校を出て、そのまま現場の世界に入った人間です。勉強だって、得意なほうではなかった。大学なんて、自分とは違う世界の人が行くところだと、どこかで思っていました。

でも、その一言は、不思議と、僕の中に小さな光を灯しました。閉じきっていた道に、ひとつだけ、考えてもみなかった扉があるのを教えてもらった気がしたんです。行き止まりだと思っていた壁に、誰かが「こっちに道があるよ」と指をさしてくれた。その感覚でした。

🔑 道は、自分一人では見えないことがある

あのとき、もし誰にも相談していなかったら、「大学」という選択肢は、一生僕の頭に浮かばなかったと思います。行き止まりに立っているとき、自分の視野はとても狭くなります。だからこそ、誰かに話す。誰かの一言が、自分には見えなかった道を、照らしてくれることがあるんです。


30代、人生で初めての大学受験

こうして僕は、30代にして、人生で初めての大学受験に挑むことになりました。

選んだのは、視覚障害のある人が学びやすい環境が整った大学でした。学んだのは、鍼灸の学科です。鍼やお灸、マッサージで人の体を助ける、その技術と知識を学ぶ場所でした。現場監督だった僕が、人の体に向き合う勉強を始める。自分でも、人生って分からないものだなと思いました。

受験を決めてからは、必死でした。なにせ、人生で初めての受験です。勉強のやり方も、手探りでした。学生時代、勉強が得意だったわけでもない僕が、30代になって、また机に向かう。最初は、自分にできるんだろうかと、不安でいっぱいでした。文字を読むにも、見えにくさのせいで人より時間がかかる。一ページ進むのにも、工夫が必要でした。

それでも、不思議と、苦しいだけではありませんでした。退職してから感じていた、あの「何もない」感覚が、勉強を始めたことで、少しずつ「やることがある」感覚に変わっていったんです。目標に向かって手を動かしている時間は、真っ暗だった頃よりも、ずっと呼吸がしやすかった。たとえ大変でも、「今日、ここまでやった」と言える一日には、ちゃんと手応えがありました。空っぽの一日と、必死の一日。どちらがつらいかと聞かれたら、僕は迷わず、空っぽのほうだと答えます。


同じ立場の仲間がいる、という安心

その大学で、僕がいちばん救われたのは、勉強の中身そのものよりも、「同じ立場の仲間がいる」という事実でした。

そこには、僕と同じように、見えにくさを抱えながら学んでいる人たちがいました。それまでの僕は、自分の不自由を、誰にも言えずに一人で抱えていました。職場では「早くしなきゃ」と思うほど手が止まる自分が、悔しくて、情けなくて。その気持ちを、分かってもらえる相手がいなかった。

でも、その環境には、僕の不自由を「説明しなくても分かってくれる」人たちがいたんです。同じ苦労を知っている。同じ工夫をしている。同じ場所でつまずいて、同じように乗り越えようとしている。その人たちと同じ教室にいるだけで、僕は、ずっと張りつめていた肩の力が、すっと抜けていくのを感じました。

それまで、自分の見えにくさは、僕にとって「隠さなきゃいけないもの」でした。職場では、できないことが知られるのが怖くて、必死に隠していた。でも、その大学では、見えにくさは隠すものではなく、ただ「みんなが持っているもの」でした。誰も、それを特別扱いしない。だから僕も、初めて、自分の状態を、肩の力を抜いて受け止められるようになっていったんです。一人で「自分だけがこんな目に」と思っていた頃と比べて、世界がまるで違って見えました。

一人で抱えていた不自由を、「説明しなくても分かってくれる」人がそばにいる。それだけで、世界はこんなにも生きやすくなるのか——。あの教室で、僕は初めてそれを知りました。

「もう一回、ここからやり直せるかも」

その環境に身を置くうちに、僕の中に、長いあいだ忘れていた感情が、少しずつ戻ってきました。

「もう一回、ここから、やり直せるかもしれない」

退職したときには、すべてが終わったような気がしていました。13年の積み重ねが消えて、先は真っ暗で、自分にはもう何もないと思っていた。でも、大学という新しい場所で、新しいことを学び、同じ立場の仲間と過ごすうちに、「終わった」と思っていた人生に、もう一度、続きがあるかもしれないと思えてきたんです。

これは、僕にとって、本当に大きな転換でした。失ったものを数えるのをやめて、これから手にできるものに目を向け始めた。後ろを振り返るのをやめて、前に足を向け始めた。あの大学での日々は、僕にそのきっかけをくれました。

🔑 「やり直せるかも」は、希望の入口

「やり直せる」という確信ではなく、「やり直せるかも」という、ほんの小さな可能性。それで十分でした。真っ暗な中に、ひとつだけ灯った「かも」。その小さな灯りを頼りに、人は、また歩き始められるんです。


やり直しに、年齢は関係なかった

30代で大学受験と聞くと、「いい歳して」と思う人もいるかもしれません。僕自身、最初はそう思っていました。今さら、と。

でも、実際にやってみて分かったのは、やり直しに年齢は関係ない、ということでした。学び始めるのに、遅すぎるということはない。新しい場所に飛び込むのに、何歳だからダメ、ということはない。むしろ、いろんなことを経験してきた30代だからこそ、学ぶことの意味を、より深く受け止められた気もします。

このことは、今の僕の生き方の土台になっています。僕は46歳の今も、IRONMANのサブ11という、まだ手にしていない景色に挑み続けています。「もう歳だから」とは思いません。なぜなら、僕は30代で、人生がもう一度始まることを、自分の体で知ったからです。やり直しに年齢が関係なかったことを、知っているからです。

もし、あの日「大学なんて、今さら」と尻込みして、受験から逃げていたら。今の僕は、たぶん、まったく違う人生を歩いていたと思います。先が真っ暗なまま、過去を振り返ってばかりの日々だったかもしれない。30代での挑戦は、勇気のいることでした。でも、その一歩を踏み出せたからこそ、僕の人生は、もう一度、前に向かって動き出した。「今さら」という言葉で自分の可能性に蓋をしてしまうのは、本当にもったいないことなんだと、僕はあの経験を通じて、心から思うようになりました。

僕がいつも大事にしている合言葉に、「人生現役」という言葉があります。何歳になっても、まだ途中。まだ続きがある。あの30代の大学受験は、僕にとって「人生現役」という生き方の、本当の始まりだったのかもしれません。

それに、30代で一度すべてを失って学び直した経験は、その後の僕に、ある強さをくれました。「ゼロから始めても、なんとかなる」という感覚です。一度どん底まで落ちて、そこから立ち上がった人間は、次に何かを失っても、「また、あそこから登ればいい」と思える。大学での日々は、僕に知識や資格だけでなく、「やり直せる」という、生き方そのものの自信をくれたんです。これは、目が見えていた頃の僕には、決して持てなかった種類の強さでした。失ったものは大きかったけれど、その代わりに手に入れたものも、確かにあったんです。


今、行き止まりに立っているあなたへ

もし今、あなたが、人生の行き止まりに立っているなら。積み上げてきたものを失って、先が真っ暗に見えているなら。あの頃の僕の隣に立つような気持ちで、これを書いています。

真っ暗に見えるのは、視野が狭くなっているからかもしれません。行き止まりだと思っている壁の、すぐ脇に、まだ気づいていない扉があるかもしれない。だから、一人で抱え込まずに、誰かに話してみてください。あなたには見えない道を、誰かが指さしてくれることがあります。僕にとっての「大学、行ってみたら?」が、あなたにも訪れるかもしれません。

それから、新しい場所に飛び込むときは、「同じ立場の人がいる場所」を探してみるのも、一つの手です。僕が大学で救われたのは、勉強そのものより、同じ見えにくさを抱えた仲間がそばにいたことでした。同じ悩みを持つ人の中にいると、自分の状況を、ありのまま受け止めやすくなる。一人で頑張り続けるより、似た境遇の人と並んで歩くほうが、ずっと遠くまで行けます。あなたにとって、肩の力を抜ける場所が、どこかに必ずあるはずです。

そして、もし新しい一歩を踏み出すとき、「今さら」「もう遅い」と思っても、その気持ちは、いったん脇に置いてみてください。やり直しに、年齢は関係ありません。必要なのは、「やり直せるかも」という、ほんの小さな可能性を信じて、一ミリだけ動くこと。それだけです。

僕は、弱さと行動は両立すると信じています。先が見えなくても、不安でも、人は新しい一歩を踏み出せる。その一歩が、終わったと思っていた人生に、もう一度続きを連れてきます。たくさんの人に支えられながら、繋がりの中で歩いていけば、行き止まりは、いつか曲がり角に変わります。あの真っ暗だった僕が、今こうして前を向いて歩いているように。

行き止まりに見える壁の脇に、まだ気づいていない扉がある。誰かに話せば、その扉を指さしてもらえることがあります。やり直しに、年齢は関係ありません。「やり直せるかも」を信じて、一ミリ動こう。

あなたの行き止まりが、いつか曲がり角になりますように。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。


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「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人