「右いきます」「段差」。ロープ1本の向こうから飛んでくるガイドの声だけを頼りに、25メートルも泳げなかった僕は、半年後、初めてのレースのゴールテープを切りました。
もしあなたが、何かを始めて3日で「向いてない」と思ったことがあるなら——。
もしあなたが、「始めるには遅すぎる」と思っているなら——。
もしあなたが、泳げないし走れないけど、トライアスロンがちょっと気になっているなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。
今日は、僕がトライアスロンを始めた最初の半年の話を、手紙のように書かせてください。先に結論を言うと、25メートル泳げなかった僕は、半年後に初めてのレースで優勝しました。でも、この話のいちばん大事なところは、「優勝」じゃありません。いちばん大事なのは、半年で記録より先に、生活そのものが変わったことです。その変化のほうを、あなたに渡したくて、この記事を書いています。
まず、スタート地点の僕がどんな人間だったか、正直に書きます。かっこいいところは、ひとつもありません。
31歳。視覚障害者になったばかり。当時の僕のスペックを並べると、こんな感じでした。
よく「すごい人がトライアスロンを始めて、世界に行きました」みたいな話があります。でも僕の場合は、ぜんぜん違います。
「すごい人が始めた」んじゃないんです。
何も持っていない人が、何も持たないまま始めたんです。
泳げるようになってから始めたんじゃない。走れるようになってから始めたんじゃない。25メートルで沈む状態のまま、1キロで膝が痛い体のまま、とりあえず水に入った。それだけです。だから、いま「自分には何もない」と感じている人がいたら——スタート地点は、それでいいんです。むしろ、それが普通のスタートです。
泳げないのに、なぜトライアスロンだったのか。順番が逆に見えますよね。ここだけは、先に書いておきたいんです。
視覚障害者になったばかりの頃、僕は夜になるのが怖かった。眠って、朝起きたら、もっと見えなくなっているんじゃないか——そう思うと、布団に入るのが怖い夜が、いくつもありました。先のことを考えると、目の前が真っ暗になる。そんな時期です。
そんなある日、テレビで、全盲の女の子がトライアスロンをしている映像を見ました。画面の前で、僕は動けなくなって、気づいたら涙が出ていました。そして、こう思ったんです。
「僕より見えない子が、やってる。僕は、まだ見えてる。だったら、僕もできるかもしれない」
このひと言が、最初の一歩でした。「強くなりたい」とか「優勝したい」とか、そんな大きな話じゃありません。ただ、真っ暗だった気持ちに、ほんの少しだけ「かもしれない」という明かりがついた。その明かりを消したくなくて、泳げないまま、走れないまま、トライアスロンの世界に足を踏み入れた。それが、すべての始まりでした。
だから、僕がプールに入った理由は「泳ぎたかったから」じゃないんです。このまま下を向いて終わりたくなかったから。理由なんて、それで十分でした。
とはいえ、始めると決めてから実際に動くまでには、長い距離があります。その間、僕の頭の中は「やらない理由」でいっぱいでした。
見えづらい中で体を動かすのは、想像以上に怖さがあります。
ぶつかるかもしれない。転ぶかもしれない。プールで人にぶつかって、迷惑をかけるかもしれない。そもそも、視覚障害のある自分を、受け入れてくれる場所なんてあるんだろうか。笑われるんじゃないか。続かなかったら、もっと自分が嫌いになるんじゃないか。
やらない理由のリストは、書こうと思えば、いくらでも長くできました。一つ思いつくたびに、足が止まる。納得できる理由ばかりだから、たちが悪いんです。
でも、その「やらない理由」を眺めているうちに、あることに気づきました。やらない理由は、全部「うまくいかなかったらどうしよう」という未来の心配だったんです。まだ起きてもいないことを、先回りして怖がって、今日を止めていた。
そこで、考え方を一つだけ、変えてみました。
「強くなるためじゃなくていい。誰かと比べるためでもなくていい。まず、今日を生きるためにやってみよう」
半年後にどうなるか、なんて分からない。1年後に続いているかも分からない。でも、「今日プールに入る」なら、できる。「今日の25メートルに挑む」なら、できる。ゴールを遠くに置くと足がすくむけど、目標を「今日」まで引き寄せると、急に動けるようになりました。未来の大きな心配は、今日の小さな一歩には勝てない。これは、今でも僕が大事にしている考え方です。
ここで、僕の競技のことを少しだけ説明させてください。視覚障害のある僕は、競技の構造として、一人では泳げないし、走れません。これは弱音じゃなくて、ルールであり、事実です。
視覚障害B2クラスのトライアスロンは、ガイドと二人で一つのチームになって進みます。種目ごとに、繋がり方が違います。
つまり、僕のトライアスロンは、最初から最後まで「二人で一つ」なんです。ロープ1本、自転車1台で、二人の呼吸が繋がっている。スタートからゴールまで、ずっと誰かと一緒にいる競技なんです。
始めたばかりの頃は、この「繋がって進む」感覚に、まったく慣れませんでした。ロープ越しに伝わってくる相手のペース、声で飛んでくる「右いきます」「段差」という合図。最初は情報が多すぎて、頭がいっぱいになる。でも、回数を重ねるうちに、ロープが「不自由をつなぐ綱」から「信頼をつなぐ綱」に変わっていきました。
ここは、当時のいちばん正直な気持ちを書きます。
正直、最初は、悔しかったんです。
それまでの人生で、僕は「自分のことは自分でやる」のが当たり前でした。電気工事の現場で13年間、自分の手で図面を見て、自分の足で現場を歩いてきた人間です。それが、目が見えにくくなって、一つ、また一つと、人に頼らないとできないことが増えていく。
「一人でできない自分」を認めるのが、つらかった。
助けてもらう側になるのが、情けなく感じる日が、確かにありました。ロープを持ってもらうたびに、心のどこかで「迷惑をかけている」と思っていた。お礼を言いながら、自分が小さくなっていくような気がしていたんです。
でも、ガイドと一緒に何度も練習を重ねるうちに、その気持ちが、少しずつほどけていきました。あるとき、はっきりと気づいたんです。
助けてもらうって、弱さじゃない。
一緒にゴールを目指す、対等なチームなんだ、って。
泳ぐとき、走るとき、相手は僕の目になってくれる。そのかわり、僕は相手を信じて、同じ方向へ、持てる力のすべてで進む。どちらが上でも下でもない。役割が違うだけで、二人で一つのゴールに向かう、まったく対等な関係だったんです。
考えてみれば、ガイドだって、僕がいなければこのレースは走れません。僕が信じて全力で進むから、ガイドの声が意味を持つ。僕が体をあずけるから、ロープが綱になる。「助けてもらっている」んじゃなくて、「お互いがいないと成立しない」関係だった。そう気づいた瞬間に、肩の力が、すっと抜けました。
このことに気づけたのは、トライアスロンが僕にくれた、いちばん大きな贈り物の一つです。それまで「人に頼るのは負け」だと思っていた僕が、「頼ることは、チームを組むことだ」と思えるようになった。これは競技だけの話じゃなくて、その後の僕の生き方そのものを変えました。
そこからは、ひたすら積み重ねの日々でした。劇的な特訓も、根性論も、ありません。25メートルで沈んでいた僕が、少しずつ50メートル、100メートルと泳げる距離を伸ばしていく。1キロで痛かった膝が、ガイドと並んで少しずつ走れる距離を伸ばしていく。昨日できなかったことが、今日ほんの少しできる。その繰り返しでした。
そして、練習を重ねた半年後。僕は、初めて出場した大会で、優勝することができました。
ゴールテープを切った瞬間のことは、今でもよく覚えています。もちろん、嬉しかった。25メートルも泳げなかった自分が、ガイドと二人で、最後まで進みきった。その事実が、信じられませんでした。隣には、ずっと声をかけ続けてくれたガイドがいて、二人で笑い合いました。自分の力だけでたどり着いた結果じゃありません。繋がる輪の中で、支えられて届いた結果でした。
でも——ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
あの半年を振り返って、僕にとっていちばん大きかったのは、順位でも、優勝という結果でもありませんでした。賞状でも、メダルでもない。もっと地味で、もっと深いところで、僕の毎日が変わっていたんです。
半年で僕に起きた、本当の変化。それは、競技の記録じゃなくて、生活そのものでした。具体的には、3つあります。
視覚障害者になったばかりの頃、僕は家にこもりがちでした。外に出るのが怖い。何をしていいか分からない。一日が、ただ過ぎていく。でも、トライアスロンを始めてからは、「今日は練習がある」という予定が、僕を家の外に連れ出してくれるようになりました。
不安が消えたわけじゃありません。今でも不安はあります。でも、不安を抱えたままでも、「練習がある」という一点があるだけで、人は外に出られる。動き出せる。予定が、背中を押してくれる。これは、想像していなかった効果でした。
ガイドという、かけがえのない仲間ができました。さっき書いた通り、最初は「助けてもらう側」の悔しさからのスタートでした。でも、対等なチームだと気づいてからは、ガイドは僕にとって、一緒に同じ景色を目指す仲間になりました。
見えにくくなってから、僕は「人とのつながりが減っていくんじゃないか」と怖がっていました。でも実際は、逆だったんです。トライアスロンを通して、ガイドと出会い、仲間と出会い、つながる輪が、むしろ広がっていきました。
これが、いちばん大きいかもしれません。視覚障害者になってからの僕は、「昨日できたことが、今日できない」という現実に、毎日自分を責めていました。できないことが増えるたびに、自分を許せなくなる。
でもトライアスロンは、僕に「積み上げる感覚」をくれました。今日25メートルしか泳げなくても、昨日より1メートル長く泳げたなら、それは前進です。できない日があっても、1ミリでもやれたら前進。そう思えるようになってから、自分を責める時間が、はっきりと減りました。
この3つ——外に出る理由、仲間、自分を責めない心——は、優勝の賞状には1文字も書かれていません。でも、僕の人生を本当に立て直してくれたのは、こっちのほうでした。だから僕は、いつも言うんです。
記録より先に、生活が変わったんです。
最後に、この手紙を、いま何かを始めて「全然できない」と落ち込んでいる人に向けて、書かせてください。
始めた日の自分は、人生でいちばん下手な自分です。当たり前です。まだ何も積み上がっていないんだから。25メートルで沈むのも、1キロで膝が痛いのも、何も恥ずかしいことじゃありません。それは「ダメな自分」じゃなくて、「スタートに立った自分」です。
そして、比べる相手を、間違えないでください。比べる相手は、隣にいるすごい人じゃない。SNSで見かける、もうゴールしている誰かでもない。比べる相手は、昨日の自分だけでいい。昨日より1メートル、昨日より1分、昨日より1ミリ。それだけ進んでいたら、あなたはもう、ちゃんと前に進んでいます。
それから、もう一つ。もし「自分には頼れる人がいない」「一人じゃ無理だ」と感じているなら——頼ることを、弱さだと思わないでください。僕は、頼ることを「チームを組むこと」だと知ってから、世界が変わりました。あなたの隣にも、きっと、ロープを一緒に持ってくれる誰かがいます。
あの日、25メートルも泳げなかった僕は、今思えば、人生でいちばん大事な25メートルを泳いでいました。記録には残らない、誰も拍手してくれない25メートル。でも、あそこから、すべてが始まったんです。
25メートル泳げなかった日の僕が、いちばん大事な25メートルを泳いでいた。
だから、あなたの「いちばん下手な今日」も、きっと、いちばん大事な一日です。焦らなくていい。比べなくていい。今日の1ミリを、ただ積んでいきましょう。僕も、まだ途中です。一緒に、進み続けましょう。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人
2026年9月13日、IRONMANジャパンみなみ北海道(225.8km)に挑みます。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。日々の練習やレースの様子を発信しているので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
新しい記事が出たら、メールでお知らせします。すぐ下のフォームから登録できます ↓
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人