朝、出勤するのが、苦じゃなかった。あの輪の中に、自分の席がある。18歳のあの日、僕は生まれて初めて、そう思えたんです。
もしあなたが、今、新しい環境で、自分の居場所を見つけられずにいるなら——。
もしあなたが、「ここに、自分がいてもいいのかな」と、心のどこかで思っているなら——。
もしあなたが、これまで一度も、心からの居場所を持てたことがないなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど、全国でお話をさせてもらっています。
今日は、僕の人生の「原点」とも言える、温かい時間の話をさせてください。18歳で社会に出た僕が、ある会社で、生まれて初めて「自分の居場所ができた」と思えた——その話を、一次情報でお伝えします。
僕は、高校を卒業して、電気工事の現場監督の会社に就職しました。18歳でした。
正直に書くと、学生時代の僕は、運動も勉強も得意なほうではありませんでした。何かで人より秀でた経験も、あまりなかった。どちらかというと、目立たない、自信のない子どもだったと思います。失敗するのが怖くて、逃げてしまうようなところもありました。そんな僕が、社会という、まったく知らない世界に飛び込んでいったんです。
18歳で社会に出るというのは、心細いものです。学校という、慣れた場所を離れて、大人ばかりの環境に、一人で入っていく。ちゃんとやっていけるんだろうか。受け入れてもらえるんだろうか。期待よりも、不安のほうが大きかったのを覚えています。
しかも、就職した先は、電気工事の現場監督という、まったくの未知の世界でした。学生の頃に思い描いていた「働く」とは、何もかもが違いました。現場には、年上の職人さんたちがいて、専門の言葉が飛び交って、覚えなきゃいけないことが山のようにある。最初のうちは、自分が何の役にも立っていない気がして、ただそこにいるだけで申し訳ないような、居心地の悪さがありました。「自分なんかが、ここにいていいんだろうか」。心の片隅で、いつもそう感じていたんです。
でも、その会社には、心強い存在がいました。同じ高校を出た先輩が、3人いたんです。
知らない世界に飛び込んだとき、そこに「同じ場所から来た人」がいる。それが、どれだけ心の支えになるか。同じ高校で過ごした時間がある、というだけで、まったくの他人とは、距離の縮まり方が違いました。共通の話題があって、共通の景色を知っていて、なんとなく、最初から少しだけ打ち解けられる。
その3人の先輩が、新入りの僕を、よく気にかけてくれました。右も左も分からない18歳の僕にとって、その存在は、暗い海に浮かぶ、灯りのようでした。
新しい環境のすべてが知らないものだらけのとき、たった一つの「共通点」が、大きな安心になります。同じ高校、というだけのつながりが、僕を支えてくれました。人は、ほんの小さな共通点から、心を開いていけるんです。
その3人の先輩たちは、僕のことを、本当にかわいがってくれました。
仕事のことを、一から教えてくれる。分からないことを聞けば、面倒がらずに答えてくれる。時には厳しく、時には優しく。仕事の合間に声をかけてくれて、新入りの僕が孤立しないように、輪の中に入れてくれました。「かわいがってもらう」というのは、こういうことなんだと、僕はそのとき、肌で知りました。
誰かにかわいがってもらえる、ということが、人にとってどれだけ大きいか。それは、「あなたは、ここにいていい」と、態度で伝えてもらえることだからです。自信のなかった僕にとって、先輩たちがかけてくれる一つひとつの言葉や気遣いは、「お前は、ここにいていいんだぞ」という、無言のメッセージでした。
たとえば、僕が失敗したとき。先輩たちは、ただ叱るだけじゃなく、「次はこうすればいいよ」と、その先を教えてくれました。僕がうまくできたときには、ちゃんと見ていて、声をかけてくれた。新入りの小さな成長を、面白がって、喜んでくれる人たちでした。誰かが自分のことを、ちゃんと見てくれている。その安心が、どれだけ僕を支えてくれたか分かりません。人は、見られていないと不安になり、見守られていると、力が湧いてくるものなんだと、あの頃、肌で教わりました。
自分という存在を、誰かが気にかけてくれている。受け入れてくれている。その実感が、不安でいっぱいだった18歳の僕の心を、少しずつ、ほどいてくれました。
そして、ある時、僕は、生まれて初めての感覚を抱きました。
「自分の居場所が、できた」。
これは、僕にとって、本当に大きな出来事でした。それまでの僕は、正直、どこにいても、どこか「自分の居場所だ」と思いきれずにいた気がします。学生時代も、心から「ここが自分の場所だ」と感じられたことは、あまりなかった。いつも、少しだけ、自分の居場所を探しているような感覚がありました。
それが、この会社で、先輩たちにかわいがってもらううちに、初めて「ここが、自分の場所だ」と思えたんです。朝、出勤するのが、苦じゃなかった。あの輪の中に、自分の席がある。自分を待っていてくれる人がいる。その安心感は、それまでの人生で、味わったことのないものでした。
居場所というのは、立派な肩書きや、すごい実績から生まれるものではないんだと思います。僕に居場所をくれたのは、特別な何かではなく、ただ「気にかけてくれる人がいる」という、それだけのことでした。仕事ができるから、いていいんじゃない。そこにいるだけで、受け入れてもらえる。その感覚こそが、居場所の正体だったんです。何者でもなかった18歳の僕を、そのまま受け入れてくれた先輩たちに、僕は今でも、心から感謝しています。
「自分の居場所ができた」。生まれて初めてそう思えた瞬間、世界の見え方が変わりました。自分がいてもいい場所が、この世界に一つある——それだけで、人はこんなにも前を向けるんです。
居場所ができると、人は変わります。僕も、変わっていきました。
自信のなかった僕が、少しずつ、仕事に前向きになっていきました。失敗を怖がって逃げるクセも、「ここでなら、もう少しがんばれるかもしれない」という気持ちに、押されていきました。なぜなら、ここには、自分を受け入れてくれる人たちがいる。多少つまずいても、見放されない。その安心が、僕に、一歩を踏み出す勇気をくれたんです。
学生時代の僕は、何かに挑戦する前に、「どうせ自分には無理だ」と決めつけて、逃げてしまうことが多い子どもでした。失敗するのが怖くて、最初の一歩が踏み出せない。でも、この会社で、僕は少しずつ変わっていきました。「失敗しても、ここなら大丈夫」と思えると、不思議と、挑戦が怖くなくなっていくんです。新しい仕事を任されたとき、以前の僕なら尻込みしていたかもしれない。でも、後ろに先輩たちがいてくれると思うと、前に足が出る。居場所は、僕の中の「逃げグセ」を、少しずつ「やってみようかな」に変えてくれました。
振り返ると、これは、今の僕の生き方にもつながっています。僕は今、トライアスロンを通じて、ガイドさんやたくさんの仲間に支えられながら、競技を続けています。一人では決して進めない道を、繋がりの中で進んでいる。「支えてくれる人がいるから、挑み続けられる」。その感覚の原点は、間違いなく、18歳のあの会社にありました。先輩たちにかわいがってもらったあの経験が、「人に支えられて生きる」ということの、最初の手本だったんです。
居場所があるから、人は挑戦できます。「失敗しても、ここに戻ってこられる」という安心が、一歩を踏み出す勇気を生むんです。挑戦は、孤独な強さからではなく、誰かに受け入れられている安心から始まります。
僕は、この会社に、13年間勤めました。
18歳から、長い時間を、ここで過ごしました。先輩たちにかわいがってもらった日々から始まって、たくさんのことを覚え、現場を任されるようになり、僕にとって、ここはかけがえのない場所になっていきました。僕の社会人としての土台は、すべて、この会社で作られたと言っていい。
そして、みなさんがご存じの通り、僕はこのあと、視覚障害が進んで、この大切な居場所を、いつか手放すことになります。その別れは、本当に、本当に悔しいものでした。でも、今日の話は、その別れの前の、温かい時間の話です。
失ったことばかりに目を向けると、つらくなります。でも、僕は思うんです。失って悔しいということは、それだけ大切な居場所だったということ。先輩たちが18歳の僕にくれたあの温かさは、たとえ場所を離れても、僕の中から消えることはありませんでした。今こうして、たくさんの人とのつながりの中で生きていられるのは、あの原点で「居場所がある」という幸せを知っていたからだと、僕は思っています。
もし、18歳のときにあの居場所を経験していなかったら、僕は、人を信じて頼ることが、できなかったかもしれません。視覚障害になって、トライアスロンを始めたとき、僕は最初、「助けてもらう側」になるのが、情けなくて仕方ありませんでした。でも、ガイドさんと一緒に進むうちに、それが対等なチームなんだと分かっていった。その変化を受け入れられたのは、心のどこかに、「人に支えられる温かさ」の記憶があったからだと思います。18歳で先輩たちにかわいがってもらった経験が、何十年も経って、まったく違う場面で、僕を助けてくれた。人の温かさは、こうして、ずっと先まで効いてくるものなんですね。
もし今、あなたが、新しい環境で居場所を見つけられずにいるなら。「ここに、自分がいてもいいのかな」と、心細く思っているなら。あの頃の18歳の僕の隣に座る気持ちで、これを書いています。
居場所というのは、いきなり完成した形で現れるものではありません。僕の場合も、入った初日から「ここが居場所だ」と思えたわけではなかった。同じ高校の先輩という小さな共通点から始まって、かわいがってもらう日々を重ねるうちに、少しずつ「自分の場所だ」と思えるようになっていきました。だから、今すぐ居場所が見つからなくても、焦らなくて大丈夫です。
そして、もし周りに、ほんの小さな共通点を持つ人がいたら、その人を、大切にしてみてください。同じ場所から来た、同じものが好き、同じことで笑える。そんな小さなつながりが、やがて、あなたの居場所の入口になるかもしれません。居場所は、一人で作るものではなく、誰かとのつながりの中で、少しずつ育っていくものだと、僕は思います。
それと、もう一つ。あなたが「ここにいていい」と思えたとき、今度は、あなたが誰かにとっての先輩になれます。新しく入ってきた人、不安そうにしている人に、ほんの少し声をかける。それだけで、あなたは、誰かの居場所を作る側になれるんです。僕が18歳のとき、3人の先輩がそうしてくれたように。温かさは、受け取るだけで終わらず、次の人へと手渡していける。そうやって、居場所は人から人へ、つながっていくんだと思います。
僕は、人は支えられて生きていくものだと信じています。18歳の僕に居場所をくれたのは、僕一人の力ではなく、かわいがってくれた先輩たちでした。あなたにも、いつか「ここにいていい」と思える場所が、きっと見つかります。誰かとの繋がりの輪の中で、その温かさに出会えますように。あの18歳の僕が、初めての居場所に出会えたように。
居場所は、いきなり完成した形では現れません。小さな共通点から始まって、つながりの中で少しずつ育っていくもの。今すぐ見つからなくても、焦らなくて大丈夫。あなたにも、「ここにいていい」と思える場所が、きっと見つかります。
あなたが、温かい居場所に出会えますように。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人