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📅 2026.09.30 | RYU NAKAZAWA
💪 挑戦

15時間08分45秒と、PCオープンの盾|タイムが落ちた年に手にしたもの

⏱ 約8分で読めます(3,935字)
ガイドと並走する中澤隆(BLIND NAKAZAWAのゼッケン)

15時間08分45秒。その数字を、僕は今でもはっきり覚えています。前の年より、二時間近く遅い。記録だけを見れば、明らかに後退した一日でした。

もしあなたが、前より結果が落ちて、自分の積み重ねを疑いそうになっているなら——。

もしあなたが、数字でしか自分を測れなくなっているなら——。

もしあなたが、思いどおりにならない条件の中で、それでも最後まで続けようとしているなら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(スイム3.8km・バイク180km・ラン42.195km、合計226km)に挑み、年間50回前後、学校や企業で話をしています。今日書くのは、2025年9月、北海道の道南で走った二度目のIRONMANの話です。うまくいかなかった一日のはずなのに、僕にとっては、忘れられない一日になりました。

📖 この記事の目次
  1. 数字だけを見れば、後退した一日
  2. 荒れた海から、始まった
  3. 道具が、言うことを聞かなかった
  4. 20kmから、股関節が痛みだした
  5. その年から、表彰式ができた
  6. 手の中の、重さ
  7. 落ちたのは数字で、過程は落ちていない
  8. 挑み続けられるのは、支えてくれる人がいるから

数字だけを見れば、後退した一日

まず、数字を並べます。

同じ大会。同じ距離。隣には、同じガイドの河原さんがいました。それなのに、出てきたタイムは、二時間近く遅くなっていました。

普通に考えれば、うまくいかなかった一日です。それなのに、この一日が、僕にとって大切な一日になりました。なぜなのか。順番に書きます。

荒れた海から、始まった

その年のレースは、始まる前から違っていました。前日、試泳をするはずだった日に、嵐が来たんです。

雨が強く降り、風が唸っていました。波が高すぎて、試泳は中止。目が見えにくい僕にとって、海はただでさえこわい場所です。波の高さも方向も、自分の目では分からない。その海が荒れていて、予習もできない。

当日の朝。3時半に起きて、4時20分に宿を出て、4時半のバスでスイムのスタート地点へ向かいました。海は、前日の嵐の影響で、まだ波が高いままでした。

僕が出たのはPCオープンというカテゴリーで、一般の選手より少し早い、6時25分のウェーブでした。河原さんと一本のロープで繋がって、その波の高い海に飛び込みました。

一周目から、波と、選手同士のぶつかり合いです。前へ進んでいるのか、押し戻されているのか、自分でもよく分からなくなる。それでも、ロープだけを信じて腕を回し続けました。

二周目には、もっと大変なことが起きました。コースの目印になるブイが、波で流されてしまっていたんです。本来あるはずの場所に、目印がない。コースが変則になる。目の見える選手でも戸惑う状況を、僕は河原さんの判断を頼りに泳ぎきりました。

スイムのタイムは、1時間27分53秒。前の年より、七分ほど遅くなっていました。

でも、思いました。この波の中を、止まらずに泳ぎきれた。それだけで、もう十分じゃないか、と。

道具が、言うことを聞かなかった

海から上がって、タンデム自転車で180km。前に河原さん、後ろに僕。

僕は目で時計の画面を見るのが難しいので、骨伝導イヤホンでGPSウォッチの音声を聞きながら走ります。ところがその時計が、バイクの途中でランのモードに切り替わってしまいました。まだ漕いでいるのに、時計の中では「走っている」ことになっている。

そして後半、今度はバッテリーが切れました。頼りにしていた耳の中の声が、消えました。

実は、これは前の年にも起きたことでした。2024年も、バイクの後半で同じように電池が切れています。だから、慌てませんでした。「ああ、また来たか」と。

道具は、いつも思いどおりにはなりません。それでも、僕の脚は止まっていませんでした。時計が動かなくても、河原さんは前にいて、ペダルは回り続けている。数字が分からなくても、僕たちは前に進んでいる。それだけは確かでした。

バイクのタイムは、6時間06分53秒。これも前の年より遅くなりました。近くに競り合う選手もいなくて、河原さんと二人、黙々と180kmを刻む。長い、長いバイクでした。

20kmから、股関節が痛みだした

最後は、42.195kmのランです。

走り出したときは、まだ体が動いていました。でも、20kmを過ぎたあたりで、股関節に違和感が出はじめました。

最初は「あれ、なんだかおかしいな」くらいのものでした。でもその違和感は、一歩進むごとに、はっきりとした痛みに変わっていきました。脚を前に出すたびに、付け根が痛む。走れば走るほど、強くなる。

32kmを過ぎたあたりからは、もう走り続けることができなくなりました。そこで、決めました。

1km走って、1kmパワーウォークで歩く。それを、交互に繰り返す。

走れるだけ走って、痛みが限界に近づいたら歩く。歩いて少し落ち着いたら、また走る。1km走って、1km歩いて。それを何度も繰り返しました。

正直に書きます。このランは、苦しかったです。

痛みを抱えて、1kmごとに走ると歩くを繰り返す。一歩が重い。前の年ならもう終わっているはずの時間を、まだ僕は進んでいる。「遅い」という事実が、ずっと、のしかかっていました。

それでも、止まろうとは一度も思いませんでした。沿道に、声があったからです。

「中澤さん!」「ナカザワ!」「がんばれ!」

姿は、はっきりとは見えません。でも、声は届く。歩いている僕に、走り出した僕に、たくさんの声がかけられる。その声が、僕の脚を、もう一度前に出させてくれました。

ランのタイムは、7時間17分39秒。そして合計で、15時間08分45秒。僕はその年も、226kmをたどり着きました。

その年から、表彰式ができた

ゴールしたあと、ひとつ、大きな知らせを受け取りました。

その年から新しく、PCオープン表彰式というものが設けられたんです。PCオープンは、僕のような選手が出場するカテゴリー。これまで、表彰する場が特別にあるわけではありませんでした。それが、その年から初めてできました。

そして、僕はそのカテゴリーで2位でした。

前の年は、PC・IDクラスで3位。その年は、2位。タイムは二時間近く落ちているのに、順位はひとつ上がっていました。それだけ、その年は条件の厳しい一日だったということなのかもしれません。荒れた海。黙った道具。痛む股関節。そういう一日を、最後まで進みきった結果としての2位でした。

手の中の、重さ

表彰の場で、僕は盾を受け取りました。手のひらに、ずしりとした重さがありました。目では、その形を細かくは見られません。でも、重さと、硬さと、ひんやりとした感触で、「ああ、僕は今、盾を持っているんだ」ということが、はっきり分かりました。

前の年のゴールは、音でした。四方八方から押し寄せる、声と拍手の壁。でも、この年のこの瞬間は、音ではなく、手の中の盾の重さでした。

込み上げてきたのは、飛び上がるようなものではありません。もっと奥のほうから、じわりと広がってくる、静かな何かでした。心のいちばん深いところで、静かに「やりきったな」とつぶやくような。

落ちたのは数字で、過程は落ちていない

ここで、僕は自分に聞いてみました。タイムは二時間近く落ちた。それなのに、なぜこの一日に値打ちがあると思えるんだろう、と。

答えは、はっきりしています。

どんなに条件が悪くても、何ひとつ思いどおりにならなくても、僕は止まらなかった。この「過程」に、値打ちがあるんだ。そう思えたんです。

タイムという数字は、その日の海や、風や、体の調子で、いくらでも変わってしまいます。良い日もあれば、悪い日もある。それは、僕の力だけではどうにもならない部分です。

でも、「最後まで止まらなかった」という事実は、誰にも変えられません。僕が自分の脚で、自分の意志で積み上げてきた、確かなものだからです。

数字は、落ちました。でも、過程は落ちていない。むしろ、条件が厳しかったぶん、その過程は前の年より重いものになっていました。手の中の盾の重さは、きっと、その過程の重さでもあったんだと思います。

挑み続けられるのは、支えてくれる人がいるから

そして、もうひとつ。この一日を振り返って、いちばん強く思うことがあります。

僕がこうして挑み続けられるのは、支えてくれる人たちがいるからこそだ、ということです。

荒れた海では、河原さんが一本のロープで繋がって導いてくれました。時計が黙ったバイクでも、前で漕いでくれているから、僕は後ろで安心してペダルを回し続けられました。股関節が痛んで歩いたランでも、沿道にはたくさんの声がありました。

僕は、自分の力だけでは、一歩も進めません。海も泳げない。自転車もまっすぐ漕げない。道だって走れない。でも、だからこそ、僕の周りにはいつも誰かがいてくれます。

その人たちがいるから、僕は挑める。何度でも、挑める。

盾は、家に持って帰りました。あの重さを、僕はこれからも忘れないと思います。二時間遅くなった一年の重さ。荒れた海と、黙った道具と、痛む股関節を最後まで越えていった、過程の重さ。そして、支えてくれたたくさんの人たちの重さでした。

翌年の2026年9月、僕は同じコースを14時間43分54秒で走り、PCクラス2位でした。数字は戻りましたが、僕の中で軸になっているのは、やっぱりあの盾の重さのほうです。

見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。


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「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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