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📅 2026.09.09 | RYU NAKAZAWA
📖 物語・哲学

駅のホームから落ちそうになった日|盲導犬と生きると決めた理由

⏱ 約8分で読めます(4,922字)

一歩、踏み出した先に、思っていた地面がありませんでした。ホームの端だったんです。体がすっと前に傾く。立て直したあと、心臓はばくばくと鳴り、手のひらには、じっとりと汗をかいていました。ほんの数秒の出来事です。

もしあなたが、毎日の中で「ヒヤッとする瞬間」を、ひとりで抱え込んでいるなら——。

もしあなたが、「助けてもらうのは申し訳ない」と思って、声を上げられずにいるなら——。

もしあなたが、安心して暮らせる方法を、本当はずっと探しているなら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に歩きながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続け、年間50回前後の講演で全国を回っています。27歳で緑内障がわかり、31歳で視覚障害者になり、それでも今も挑み続けている、46歳のおじさんです。

今日は、僕が盲導犬と生きていくと決めた、そのきっかけの出来事についてお話しします。
きっかけは、ある駅のホームで起きた、ほんの数秒のできごとでした。
あの瞬間がなかったら、今の僕は、シュクレと一緒に歩いていなかったかもしれません。

📖 この記事の目次
  1. ある駅のホームで、ヒヤッとした
  2. 見えにくいまま歩くということ
  3. 「もっと安心安全に歩きたい」
  4. 助けを借りるのは、弱さじゃない
  5. 盲導犬と生きると決めた日
  6. 工夫が、不安をチャンスに変えた
  7. あなたへ

ある駅のホームで、ヒヤッとした

その日、僕はいつものように、ある駅のホームを歩いていました。

視覚障害B2の僕にとって、駅のホームは、いつも気を張る場所です。
人の流れ、点字ブロックの位置、電車の音。
いろいろな情報を頼りに、慎重に歩いているつもりでした。

ところが、そのときです。
一歩、足を踏み出した先に、思っていた地面がありませんでした。
ホームの端だったんです。
体が、すっと前に傾きました。

🔑 数秒の出来事

あとから振り返れば、ほんの数秒の出来事です。でも、その数秒の中で、背筋が凍るような感覚が、全身を駆け抜けました。
「あ、落ちる」と思った瞬間の怖さは、今でもはっきり覚えています。

幸い、僕は体勢を立て直すことができました。
大きな事故にはなりませんでした。
でも、心臓はばくばくと音を立て、手のひらには、じっとりと汗をかいていました。

あのとき、もし立て直せていなかったら。もし、ほんの少しタイミングがずれていたら。そう考えると、今でもぞっとします。電車のホームというのは、視覚に障害のある者にとって、本当に気をつけなければならない場所です。すぐそこに、線路という大きな段差がある。けれど、その境目が、僕にははっきりとは見えない。点字ブロックを頼りに歩いていても、人混みに押されたり、考えごとをしたりした一瞬の隙に、ふっと方向を見失うことがあるんです。あの日、僕が体験したのは、そういう「一瞬の隙」が呼び込んだ、ひやりとした出来事でした。

その場に立ち尽くしながら、僕は思いました。
「このまま、見えにくいまま、気合いだけで歩き続けるのは、本当に大丈夫なんだろうか」と。
あのときの、足元がふっと消えたような感覚は、今も忘れられません。それは、僕の生き方を見つめ直させてくれる、大切な問いになりました。

それまでの僕は、心のどこかで、「気をつけていれば、なんとかなる」と思っていました。注意力でカバーすればいい、慣れれば大丈夫だ、と。でも、あの日のホームで、その考えが、ぐらりと崩れました。どんなに気をつけていても、人間の注意力には限界がある。疲れている日もあれば、急いでいる日もある。気合いや根性だけに頼っていたら、いつか、本当に取り返しのつかないことが起きてしまう。そう、はっきりと感じたんです。


見えにくいまま歩くということ

視覚障害B2というのは、まったく何も見えないわけではありません。
ぼんやりと、見える部分もあります。
だからこそ、難しいところもあるんです。

「少しは見えているんだから、大丈夫だろう」
そう思って無理をすると、さっきのホームのような場面で、ヒヤッとする。
見えているようで、肝心なところが見えていない。
そのギャップが、思わぬ危険につながることがあります。

白杖を使って歩いてはいました。
白杖は、僕にとって大切な道具です。
でも、白杖だけでは、どうしても拾いきれない情報がある。
あの日のホームで、僕はそれを痛いほど実感しました。

「見えにくい」は、「見えない」とはまた違う難しさがある。
少し見えるからこそ、油断が生まれることもあるんです。

それまでの僕は、どこかで「自分の力でなんとかしなきゃ」と思い込んでいた気がします。
人に頼らず、なるべく自分で歩く。
それが自立だと、勘違いしていたのかもしれません。
でも、本当の自立とは、何でもひとりでやることではなく、必要なときに必要な力を借りて、安心して生きていくことなのだと、今は思います。


「もっと安心安全に歩きたい」

ホームでの一件のあと、僕の中に、はっきりとした願いが生まれました。

それは、「もっと安心安全に歩きたい」という、シンプルな願いでした。

毎日、ヒヤッとしながら歩くのは、もう嫌だ。
神経をすり減らしながら、びくびくと一歩を踏み出すのは、もうやめたい。
もっと、安心して、胸を張って外を歩きたい。
そう、心から思いました。

🔑 願いが、選択を生んだ

「安心安全に歩きたい」——この願いが、僕を盲導犬という選択へと導いてくれました。
怖い思いをしたからこそ、前を向く方法を真剣に探すようになったんです。

怖い経験は、できればしたくないものです。
でも、あのホームでのヒヤッとした瞬間がなければ、僕はきっと、「まだ大丈夫」と無理を続けていたと思います。
あの怖さが、僕に行動を起こさせてくれました。
ピンチは、まさにチャンスの入り口だったんです。今振り返れば、あの一日が、僕の人生を確かに前に動かしてくれました。


助けを借りるのは、弱さじゃない

盲導犬という選択を考えたとき、正直、少しだけ迷いもありました。

「盲導犬に頼るというのは、自分の弱さを認めることなんじゃないか」
そんな気持ちが、心のどこかにあったんです。

でも、考えれば考えるほど、その思い込みは間違っていると気づきました。

助けを借りるのは、弱さじゃない。
安心して生きるための、前向きな工夫なんです。

たとえば、目がいい人だって、眼鏡やコンタクトを使います。
足を痛めたら、杖をつくし、車にも乗る。
それを「弱さ」だなんて、誰も言いません。
安心して暮らすために道具や仲間の力を借りるのは、ごく当たり前のことなんです。

盲導犬と歩くことも、それと同じです。
相棒の力を借りて、安心して、安全に、行きたい場所へ行く。
それは弱さではなく、自分の人生を自分で選び取る、強さなのだと、今ははっきり言えます。

むしろ、僕はこう考えるようになりました。本当の弱さとは、助けを借りられずに、ひとりで無理を続けて、行きたい場所にも行けなくなってしまうことなのではないか、と。安心して外に出られなければ、人と会うことも、仕事をすることも、挑戦することも、だんだん遠ざかってしまいます。逆に、助けを上手に借りられれば、世界はぐっと広がる。盲導犬と歩くという選択をしたことで、僕は、行きたい場所へ自分の意思で出かけられるようになりました。それは、誰かに連れて行ってもらうのとは違う、自分の足で人生を進んでいく感覚です。助けを借りることが、結果として、僕の自立をいちばん支えてくれている。これは、あの日のホームで怖い思いをしなければ、たどり着けなかった気づきでした。

🔑 ピンチはチャンス、カギは工夫

ホームで落ちそうになったピンチを、僕は「盲導犬と歩く」という工夫で、チャンスに変えました。
気合いで乗り切ろうとするのではなく、仕組みと仲間で安全を作る。
これが、僕の生き方の核にある考え方です。


盲導犬と生きると決めた日

こうして僕は、盲導犬と生きていくことを決めました。

この決断は、僕の毎日を大きく変えてくれました。
相棒が隣にいてくれるだけで、一歩を踏み出すときの不安が、ぐっと小さくなる。
あのホームで感じた恐怖が、少しずつ、安心へと変わっていきました。

もちろん、盲導犬と暮らすことには、責任もあります。
相棒の健康を守り、毎日のケアをし、一緒に生活を作っていく。
それは簡単なことばかりではありません。
でも、その手間も含めて、僕は相棒との暮らしを、心から愛おしく思っています。盲導犬は、ただ僕を助けてくれる存在ではなく、僕が守り、大切にすべき、かけがえのない家族です。お互いに支え合い、お互いを思い合う。その関係があるからこそ、僕たちは安心して、同じ道を歩いていけるのだと思います。

今、僕の隣にいるのは、2頭目の盲導犬シュクレです。
シュクレと出会えたのも、あのホームでの出来事から始まった、一本の道の先にあった出会いでした。
あの日の恐怖が、今の安心につながっている。人生というのは、不思議なものだと思います。


工夫が、不安をチャンスに変えた

振り返ると、あのホームでの数秒は、僕にとって大きな分かれ道でした。

あのとき、「怖かったね」で終わらせていたら、何も変わらなかった。
でも、「だったら、どうすれば安心して歩けるだろう」と考えたことで、次の一歩が見えてきました。

できるか、できないか、じゃない。
どうやったら、安心してできるか。
そう問い直すことが、工夫の始まりです。

これは、視覚障害に限った話ではないと思います。
誰にだって、ヒヤッとする瞬間や、うまくいかない場面はあります。
そのとき、自分を責めて立ち止まるのか、「どうすればいいか」を探して動くのか。
その小さな違いが、その後の毎日を、大きく変えていきます。

仕事でも、暮らしでも、ヒヤッとすることや、うまくいかないことは、誰の人生にも必ず起きます。大事なのは、その出来事を「ただの怖い思い出」で終わらせるのか、それとも「次に活かす学び」に変えるのか、ということだと思うんです。あのホームでの数秒を、僕は怖いままにしておかず、「では、どうすれば安心して歩けるか」という問いに変えました。その問いが、盲導犬という答えにつながり、今のシュクレとの暮らしにつながっています。一つのピンチが、考え方ひとつで、人生を前に進める力になる。これを僕は、身をもって経験しました。

僕はいつも、「1ミリの行動」という言葉を大切にしています。
いきなり全部を変えなくていい。
まず、できることを1ミリだけやってみる。
盲導犬と歩くという僕の選択も、最初は、「相談してみよう」という1ミリから始まりました。


あなたへ

もしあなたが今、何かに「ヒヤッ」としながらも、ひとりで抱え込んでいるなら——。
どうか、助けを借りることを、弱さだと思わないでください。

誰かに頼ることは、逃げではありません。
安心して生きるための、立派な工夫です。
道具を使ってもいい。人の手を借りてもいい。相棒の力を借りてもいい。
ひとりで抱え込んで、つぶれてしまうより、誰かと一緒に、笑って前に進むほうが、ずっといい。僕はそう思っています。

大切なのは、あなたが安心して、前を向いて歩けること。
そのために使えるものは、遠慮なく使っていいんです。

僕は講演で、いつも「ピンチはチャンス、カギは工夫」という合言葉をお伝えしています。あのホームでの出来事は、間違いなくピンチでした。でも、そのピンチがあったからこそ、僕は盲導犬と歩くという工夫にたどり着き、今のシュクレとの幸せな毎日に出会えました。もし、あなたが今、何か怖い思いや、つらい経験をしているのだとしたら——それは、もしかしたら、これからの人生を変える工夫の、入り口なのかもしれません。怖さに飲み込まれず、「だったら、どうすればいいか」と一度だけ問い直してみてください。その問いが、あなたを次の一歩へと運んでくれます。

助けを借りるのは、弱さじゃない。
安心して生きると決めた、あなたの強さです。
僕は、あのホームの恐怖を、盲導犬という工夫で乗り越えました。
あなたにも、きっと、あなたなりの工夫が見つかります。

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「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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最後まで読んでくれて、ありがとうございます

中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人