手のひらに伝わる、一本のロープの、ほんのわずかな引きとゆるみ。その向こうにはいつもガイドがいます。でも、「ちょっときついから、落としてほしい」——その一言だけは、僕はよく、のどの奥に飲み込んでしまっていました。
もしあなたが、相手に気をつかいすぎて、本当に言いたいことを飲み込んでしまうなら——。
もしあなたが、「波風を立てたくない」と、いつも率直になれずにいるなら——。
もしあなたが、遠慮することが、優しさや思いやりだと思っているなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。相棒は盲導犬のシュクレ。僕はIRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど講演でお話をしています。
今日は、僕がスイムやランで使う伴走ロープと、ガイドとの声かけ・合図の話をします。見えない僕がガイドとつながって進むとき、遠慮して言わないことが、ときに危険につながります。「信頼は、遠慮じゃなく、率直さで作るんだ」。チームで進むことから学んだ、大切な話です。
スイムやランのとき、僕はガイドと伴走ロープでつながって進みます。
輪になったロープを、ガイドと僕がそれぞれ握り、同じ方向へ、同じペースで進んでいく。たった一本のロープですが、これが僕とガイドをつなぐ、いのち綱です。
水の中でも、地面の上でも、このロープが、僕とガイドの「同じ方向・同じペース」を保ってくれます。ロープがゆるみすぎてもいけないし、張りすぎてもいけない。ちょうどいい張りを、二人で保ちながら進む。
その絶妙な距離感は、何度も一緒に練習する中で、少しずつ作られていくものです。一本のロープの向こうに、いつもガイドがいてくれる。その安心が、僕の前へ進む力になっています。
このロープを通して、いろいろなことが伝わります。ガイドが少しペースを上げれば、ロープを通して、それが僕に伝わる。僕が少し遅れれば、それもまた、ロープを通してガイドに伝わる。
一本のロープで、二人は文字どおり、ひとつになって動いているんです。
このロープは、ただ二人をつないでいる紐ではありません。手のひらに伝わる、ほんのわずかな引きや、ゆるみ。その小さな変化から、僕は「いま、相手がどう動こうとしているか」を感じ取ります。
逆に、僕の状態も、ロープを通してガイドに伝わっている。言葉を交わさなくても、ロープ一本で、これだけ多くのことが伝わり合うのかと、走るたびに、いまでも驚かされます。それくらい、このロープは、僕とガイドにとって特別なものなんです。
でも、ロープだけでは、伝えきれないこともあります。これから何があるのか。どっちに曲がるのか。いま速いのか、遅いのか。
そうした細かいことは、ロープに加えて、声と合図で伝え合います。
とくに、これから先に何が待っているのかは、ロープだけでは、どうしても伝わりません。カーブが近いのか、人とすれ違うのか、足元に段差があるのか。見えない僕には、それを前もって知る方法が、ガイドの声しかないんです。
だからこそ、声でのやりとりは、僕にとって「あったほうがいいもの」ではなく、「ないと進めないもの」。ロープと声、その両方があってはじめて、僕は安心して、前へ足を踏み出せるんです。
僕とガイドは、走りながら、泳ぎながら、たくさんの言葉を交わします。これは、おしゃべりではありません。安全に、速く進むための、大事な情報のやりとりです。
たとえば、ガイドからは、こんな声が飛んできます。
「この先、右に曲がるよ」。「段差があるよ」。「人とすれ違うよ」。
見えない僕にとって、この一つひとつの声が、目のかわりになります。ガイドの声を信じて、僕は前へ進みます。
そして、伝えるのはガイドだけではありません。僕からも、伝えます。
「もう少しペースを上げられる」。「ちょっときついから、落としてほしい」。「いまの合図、聞き取れなかった」。
この双方向のやりとりがあってはじめて、二人は安全に進めるんです。
ガイドが僕に伝えるだけでは、足りません。僕からガイドに伝えることも、同じくらい大事です。
いま自分がどう感じているか、どうしてほしいか。それを率直に伝えることで、はじめて二人の歩調はそろう。チームで進むとは、声を両方向に交わし続けることなんです。
ところが、です。この「自分から伝える」ことが、思いのほか、難しいんです。
とくに、「ペースが速すぎる」「ちょっときつい」というような、相手にお願いするような言葉は、つい飲み込んでしまいがちでした。
なぜか。遠慮です。
「せっかく一緒に走ってくれているのに、注文をつけたら悪いな」。「自分がもっと頑張れば、合わせられるんじゃないか」。「弱音だと思われたくないな」。
そんな気持ちが、僕の口を重くしました。
かつての僕は、「助けてもらう側」になることが悔しくて、できるだけガイドに負担をかけたくない、と思っていました。だから、多少きつくても、我慢して合わせようとした。
その遠慮は、一見すると、相手への思いやりのように見えます。でも、実はまったく逆だったんです。
思い返せば、僕には昔から、「失敗したくない」「だめなやつだと思われたくない」という気持ちが、人一倍強くありました。見えにくくなってからは、なおさらです。
「弱音を吐いたら、迷惑をかけてしまう」。「我慢して合わせられない自分は、情けない」。そんな思いが、伝えるべき言葉を、のどの奥で押しとどめてしまっていた。でも、その遠慮こそが、いちばん危ないものだったと、あとになって思い知ることになります。
はっきり言います。伴走において、遠慮は、危険です。
もし僕が「きつい」と言えずに無理を続ければ、フォームは乱れ、足元はおぼつかなくなります。見えない中で、無理なペースのまま進めば、転倒につながりかねません。
「いまの合図、聞こえなかった」を飲み込めば、曲がるべきところで曲がれず、ぶつかってしまうかもしれない。
つまり、僕が遠慮して言葉を飲み込むことは、自分だけでなく、一緒に走るガイドまで危険にさらすということなんです。
遠慮は、優しさのつもりでも、結果として二人の安全を脅かす。これに気づいたとき、僕の考え方は、根っこから変わりました。
「言ったら悪いかな」と飲み込んだ一言が、取り返しのつかない事故につながることがあります。とくに、命に関わる場面では。
遠慮して黙ることは、優しさではなく、情報を隠すこと。隠された情報は、相手を守るどころか、危険に近づけてしまうんです。
「遠慮せず、率直に伝えよう」。
そう心に決めても、いざ走り出すと、やっぱり言い出しにくい——。これが、人間の正直なところです。だから僕は、気持ちの問題にせず、仕組みで解決することにしました。
具体的には、走る前に、ガイドと合図の言葉を決めておくんです。
「きつくなったら、この一言を言う」。「ペースを上げられそうなら、この一言」。「合図が聞こえなかったら、この一言」。
あらかじめ短い言葉を決めておけば、いざという時に、長いお願いの文章を考えなくてすみます。決めた一言を、ただ口に出すだけ。これなら、遠慮する隙も生まれません。
これは、僕の合言葉「気合いより段取り」そのものです。「勇気を出して言おう」と気合いに頼るのではなく、言いやすい段取りを、先に作っておく。
そうすれば、本番では、気持ちの強さに関係なく、大事なことをちゃんと伝えられます。率直さも、根性ではなく、工夫で引き出せるんです。
「率直に言えない」のは、心が弱いからではありません。たいていは、言いにくい状況を、そのままにしているからです。
だから、言いやすい合図を、前もって決めておく。伝えるハードルを、本番が来る前に下げておく。この準備があるかないかで、いざという時の一言が、出るか出ないかが決まります。
そこで僕がたどり着いた答えが、これです。
信頼は、遠慮じゃなく、率直さで作る。
遠慮して、言いたいことを飲み込むのは、一見、相手を立てているように見えます。でも実際には、「自分の本当の状態を、相手に渡していない」ということ。それでは、二人のあいだに、本当の信頼は育ちません。
逆に、「いまきつい」「ペースを落として」と率直に伝えれば、ガイドは僕の本当の状態を、正確に知ることができます。だから、的確に合わせてくれる。そうやって、安全に、速く進めるようになる。
率直なやりとりの積み重ねこそが、「この人になら、本音を言える」という、深い信頼を作っていくんです。
遠慮は、距離を作ります。率直さは、距離を縮めます。
チームで進むとき、本当に必要なのは、気をつかって黙ることではなく、率直に伝え合うことだったんです。
もうひとつ大事なのは、率直に伝えるときの「言い方」です。率直であることと、ぶっきらぼうであることは、まったく別もの。
「きついから、落としてほしい。いつも一緒に走ってくれて、ありがとう」。そんなふうに、感謝を添えて、まっすぐ伝える。本当のことを、相手を大切にしながら言う。これができると、率直さは、相手を傷つけるどころか、二人の関係を、もっとあたたかいものにしてくれます。伝える中身は正直に、伝え方はやさしく。これが、チームで進むための、僕なりの心がけです。
もうひとつ、大切なことに気づきました。
率直に伝えるというのは、じつは相手を信頼している証でもある、ということです。
「きつい」「落としてほしい」と本音を言えるのは、「この人なら、ちゃんと受け止めてくれる」と信じているからこそ。
相手を信じていないと、人は本音を言えません。だから、率直さは、相手への信頼があってはじめて出てくるものなんです。
そして、率直に伝え合うほど、信頼はさらに深まっていく。信頼が率直さを生み、率直さが信頼を深める。この良い循環が、強いチームを作ります。
いまでは僕は、遠慮なく「きつい」と言えるガイドとの関係を、何より誇りに思っています。それは、深く信頼し合えている証だからです。
遠慮は距離を作り、率直さは距離を縮める。信頼は、本音を伝え合う中で深くなる。
もしあなたが、相手に気をつかいすぎて、本当に言いたいことを飲み込んでしまうなら。
その遠慮は、もしかすると、相手のためになっていないかもしれません。
あなたが本当の状態を伝えないと、相手は、あなたに合わせることができません。率直に伝えることは、わがままでも、弱音でもない。相手を信じて、チームとして前に進むための、大切な技術です。
そして、本音を言えることそのものが、あなたが相手を信頼している証でもあるんです。
僕は、一人では泳げないし、走れません。だからこそ、ガイドに支えられ、繋がる輪の中で、率直に伝え合うことを覚えました。
遠慮を手放して、率直に伝え合えるようになってから、僕とガイドは、もっと安全に、もっと遠くまで、進めるようになりました。
もし、いきなり口に出すのが難しければ、さっきお話ししたように、「困ったときに言う、ひとことの合図」を、相手と先に決めておくのもおすすめです。
気合いで言おうとせず、言いやすい段取りを、先に作っておく。それだけで、いざという時の一言が、ずいぶん出やすくなります。率直さは、性格ではなく、工夫で身につけられるものなんです。
飲み込んできた一言を、今度は、そっと口に出してみてください。
その率直さが、あなたと、あなたの大切な人との信頼を、もっと深いものにしてくれるはずです。
遠慮を手放した分だけ、あなたのチームは、きっと、もっと強く、もっとあたたかくなっていきます。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人