ゴールテープを切ったとき、周りから聞こえてきた拍手と声援。景色は見えなくても、あの音を、僕は今でも覚えています。
もしあなたが、「思い出の場所」と聞かれて、すぐに景色が浮かばないことに少し戸惑うなら——。
もしあなたが、写真には写らない何かを、心のどこかで大切にしているなら——。
もしあなたが、誰かと一緒に何かを越えた瞬間を、ずっと忘れられずにいるなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。
今日は、講演でよく聞かれる質問のひとつ、「行った場所で、一番の思い出は何ですか?」に、僕なりの答えを書いてみます。実は、目が見えにくい僕にとって、この質問の答えは、ちょっと特別な意味を持っているんです。
講演に行くと、子どもからも大人からも、よくこの質問をもらいます。
「いろんな所に行ってますよね。一番の思い出はどこですか?」
たしかに、トライアスロンの大会や講演で、僕はいろんな土地に足を運んできました。
だから、この質問をしてくれる気持ちは、とてもよく分かります。
きっと、絶景の話とか、有名な観光地の話を期待してくれているんだと思います。
でも、正直に答えると、僕は景色がほとんど見えません。
だから、「あの山がきれいだった」「あの海が青かった」という思い出の持ち方は、僕にはできないんです。
最初は、「見えないから、思い出も少ないのかな」と思った時期もありました。
目が見えていた頃の僕なら、きっと「あの観光地が良かった」とか、写真に撮った景色を答えていたと思います。それができなくなったとき、ぽっかり穴が空いたような気持ちになったのも、正直なところです。
でも、今ははっきり言えます。見えなくても、忘れられない「風景」は、ちゃんとあると。
むしろ、見えなくなってからのほうが、心に深く刻まれる風景が増えたくらいです。今日は、その理由も含めて、ゆっくり書いていきます。
僕にとっての思い出は、目で見た景色じゃありません。
耳で聞いた音。肌で感じた風。隣にいてくれた人の声。
そして、「ここまで来た」という、体の奥から込み上げてくる感覚です。
景色は見えないけれど、ゴールの音と、仲間の声。それが、僕にとっての一番の風景です。
目をつぶっても、何度でも思い出せる。だから僕の思い出は、写真より色あせないんです。
そう考えると、僕の一番の思い出は、「どこに行ったか」じゃなくて、「誰と、何を越えたか」で決まっていることに気づきました。
場所の名前は思い出せなくても、そのとき隣にいてくれた人の声や、込み上げてきた気持ちは、何年経っても色あせない。僕の思い出は、そういうつくられ方をしているんです。
ここからは、その中でも特に忘れられない3つの場面を書きます。
どれも、観光地ではありません。でも、僕にとっては、世界中のどんな絶景よりも大切な「風景」です。
ひとつ目は、トライアスロンを始めて半年後、初めて出場した大会です。
僕がトライアスロンを始めたのは31歳。始めた頃は、25メートルも泳げませんでした。1キロ走るだけで膝が痛い。やり方も分からない。
「こんな自分が、レースに出られるんだろうか」と思いながら、それでも練習を積み重ねていました。
そもそも、僕がトライアスロンを始めたのは、テレビで全盲の女の子が泳いで、漕いで、走っている映像を見たからでした。
「僕より見えない子がやってる。僕はまだ見えてる。だったら、僕もできるかもしれない」。その一心で、ゼロから始めたんです。
そして迎えた、初めてのレース。
ゴールテープを切ったとき、周りから聞こえてきた拍手と声援。あの音を、僕は今でも覚えています。
視覚障害があるので、僕は一人では泳げないし、走れません。あのレースも、スイムとランは伴走ロープでガイドと繋がり、隣で支えてもらいながらゴールしました。
だから、あの拍手は、僕一人に向けられたものじゃなくて、僕とガイドの「チーム」に向けられたものでした。
結果として、その大会では優勝することができました。
でも、嬉しかったのは順位そのものより、「25メートル泳げなかった自分が、ここまで来た」という事実のほうでした。半年前の自分が、まさかゴールの音を聞ける日が来るなんて、想像もしていなかったからです。
景色は見えなかったけれど、あのゴールの音は、僕の一番古い「風景」のひとつです。
今でも、目をつぶれば、あの日の音と空気を思い出せます。
ふたつ目は、アジア選手権の舞台です。
初レースのあと、僕はありがたいことに、アジア選手権で2連覇、世界ランキングは最高で6位まで行くことができました。
はっきり言って、学生時代の僕からは想像もできない場所です。
成績は「1が2」、徒競走はいつもビリ。そんな僕が、アジアという舞台に立っている。
そこに立てたのは、僕一人の力じゃありません。
一緒に泳ぎ、漕ぎ、走ってくれるガイドがいて、支えてくれる人たちがいて、その繋がりの真ん中に、僕がいました。
もし、僕が一人で戦わなければならなかったら、アジアの舞台になんて、絶対にたどり着けませんでした。
見えない僕が前に進めるのは、いつも、誰かが目になってくれるからです。その事実を、大きな舞台に立つたびに、かみしめてきました。
大きな舞台の景色は見えませんでした。
でも、「支えられて、ここまで連れてきてもらった」という感覚は、はっきりと残っています。それが、僕にとっての「アジアの風景」です。
華やかな表彰台の色は見えなくても、繋がりの温かさは、目をつぶっても見えるんです。
そして三つ目。やっぱりこれを外すことはできません。IRONMAN(226km)の完走です。
スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km。合わせて226km。
見えない僕は、一人ではこの距離を進めません。スイムとランは伴走ロープでガイドと繋がり、バイクは2人乗りのタンデム自転車で、前にガイド、後ろに僕が乗ります。
2024年、僕はこの226kmを13時間14分17秒で完走し、PCクラスで3位をいただきました。ガイドは河原さんでした。
2025年も、15時間08分45秒で走り切りました。今は、サブ11時間という目標に向けて、挑み続けているところです。
226kmを完走するということは、丸一日、ガイドとずっと一緒にいるということでもあります。
泳いでいる間も、漕いでいる間も、走っている間も、僕とガイドは、一本のロープや一台のタンデム自転車で繋がっています。途中、何度も声をかけ合い、励まし合い、補給のタイミングを確認し合う。長い一日を、二人で一つのチームとして越えていくんです。
226kmは、本当に長い一日です。朝、暗いうちにスタートして、ゴールするころには、すっかり日が傾いていることもあります。
体は限界に近づき、何度も「もう無理かもしれない」という考えが頭をよぎります。それでも足を止めないでいられるのは、隣にガイドがいて、声をかけ続けてくれるからです。
長い長い一日の果てに、ゴールが近づいてくる。
すると、たくさんの声が聞こえてくるんです。名前を呼んでくれる声、拍手、鈴の音。
ゴールラインは見えません。でも、近づくほどに音が大きくなる。
あの音の壁の中に飛び込む瞬間が、僕の人生で一番の風景です。
隣には、一日中ずっと一緒に進んでくれたガイドがいます。
「やりましたね」と交わす、その一言。あれ以上の景色を、僕はまだ知りません。
ここで、ひとつ気づいたことを書かせてください。
目で見た景色って、実は、けっこう簡単に忘れてしまうものだと思うんです。
旅行に行って、たくさん写真を撮っても、数年経つと「あれ、どこだったかな」となること、ありませんか。きれいだったはずの景色が、だんだんぼんやりしていく。
でも、僕が音と感覚で覚えた風景は、不思議と、色あせないんです。
たぶん、理由があります。
僕は景色が見えないぶん、その瞬間に、ものすごく集中しているんです。今、どんな音が聞こえているか。どんな風が吹いているか。隣の人が、どんな声をかけてくれたか。全身で、その瞬間を受け取ろうとしている。
目だけで見た景色は、忘れることがある。
でも、耳と肌と心の全部で受け取った瞬間は、何年経っても消えない。
見えないことは、その瞬間に深く集中する力を、僕にくれました。
だから、初レースのゴールも、アジアの舞台も、226kmの果ても、僕はいつでも、ありありと思い出せます。
これは、見えなくなったからこそ手に入れた、ひとつの力なのかもしれません。
こうして並べてみて、改めて思います。
僕の一番の思い出は、有名な場所にあるんじゃなくて、人と一緒に、何かを超えた瞬間にあるんだ、と。
初レースのゴール。アジアの舞台。226kmの果て。
どれも、一人で立った場所じゃありません。誰かと繋がって、支えられて、その輪の真ん中でたどり着いた場所です。
もし僕が、景色を全部見えていたら、逆に「人の声」をここまで覚えていなかったかもしれません。
見えなくなったことで、僕は「音の風景」「人の風景」を、深く心に刻めるようになったんだと思います。耳をすませ、肌で空気を感じ、隣の人の声に集中する。見えないからこそ手に入れた、受け取り方です。
これって、失ったことばかりじゃないんですよね。
目で見る風景を手放したかわりに、僕は、心で覚える風景を手に入れました。
これも、ピンチはチャンス。チャンスに変えるカギは、気合いじゃなくて工夫です。
見えないという「ピンチ」を、忘れられない風景という「宝物」に変えてくれたのは、いつもそばにいてくれた人たちでした。
最後に、あなたに聞いてみたいです。
あなたの一番の思い出は、どんな景色ですか。
それは、絶景でしたか。それとも、誰かと一緒にいた、なんでもない場所でしたか。
僕は思います。本当に心に残る思い出は、たいてい「誰かと一緒に、ちょっと頑張った場所」にあるんじゃないかと。
有名な観光地で、一人でぼんやり眺めた絶景よりも。
誰かと一緒に、汗をかいて、励まし合って、何かを乗り越えたあの瞬間。そういう時間のほうが、ずっと長く、心の真ん中に残る。少なくとも、僕の人生はそうでした。景色が見えない僕だからこそ、はっきりと、そう言い切れます。
もし今、あなたが「最近、心に残る場所がないな」と感じているなら。
大きな旅に出なくて大丈夫です。遠くの絶景を探しに行かなくてもいい。誰かと一緒に、小さな何かを越えてみてください。
その瞬間が、写真より色あせない、あなたの一番の風景になります。
僕は、目が見えなくなって、たくさんの景色を手放しました。
でもそのかわりに、「人と一緒に超えた瞬間」という、消えない風景の集め方を覚えました。これは、見えていた頃の僕が、気づけなかったことです。
あなたの人生にも、きっと、まだ気づいていない風景がたくさんあります。それは、有名な場所ではなく、すぐ隣にいる人との時間の中に、隠れているのかもしれません。
景色は見えないけれど、ゴールの音と仲間の声が、僕の一番の風景。思い出は、場所じゃなくて「誰と超えたか」で決まる。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ2026年9月13日、IRONMANジャパンみなみ北海道(225.8km)に挑みます。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。日々の練習やレースの様子を発信しているので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人