35キロ地点で、時計が電池切れになりました。ペースも、残りの距離も、全部消えました。残ったのは、平川さんの声だけでした。
もしあなたが、今、準備してきたことが、本番で何ひとつ通用しなかったところに立っているなら——。
もしあなたが、もう戻れないと分かっているものを、手から落としてしまったばかりなら——。
もしあなたが、数えられるものが全部消えたとき、自分はまだ前に進めるのだろうかと考えたことがあるなら——。
この記事は、あなたのために書きました。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと一緒に、IRONMAN(226kmのトライアスロン)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど、学校や企業でお話をさせてもらっています。
2026年9月13日、IRONMAN JAPAN(ジャパンみなみ北海道)を完走しました。記録は14時間43分54秒。PCクラス——障害のある選手のクラスで、2位でした。
SNSには、短く書きました。ここでは、書ききれなかったところを書きます。海の中でつながりが切れた数十秒のこと。手からボトルが離れていった瞬間のこと。そして、時計が消えてからの時間のこと。少し長くなりますが、お付き合いください。
先に、数字を全部出します。
過去の記録と並べると、こうなります。
去年より、約25分速くなりました。
数字だけを見れば、前に進んだ一年です。でも、正直に書きます。この日、思いどおりにいったことは、ひとつもありませんでした。
ここから先は、その中身です。
朝6時29分。海に入りました。
僕とガイドの平川さんは、ロープ1本でつながっています。伴泳ロープといいます。結ぶのは、お互いの太ももの付け根です。手ではありません。手は、泳ぐために空けておくからです。ぴんと張ったり、ふっと緩んだり。その張り具合が、僕にとっての方角です。
水の中では、僕の視界はほとんど使えません。ゴーグルの向こうにあるのは、明るいか暗いかくらいの差でしかない。だから僕は、太ももの付け根に伝わってくる引きだけを読んでいます。少し右へ引かれたら、右へ。テンポが速くなったら、速く。
このロープが、僕の目です。たとえではなく、そのままの意味です。
スタートの合図。腕を回し始めます。息継ぎのたびに口に入ってくる、しょっぱい水。耳のすぐ内側で鳴り続ける泡。前を行く選手が蹴り上げる水の振動が、胸のあたりにぶつかってくる。そういうものが、いっぺんに押し寄せてきます。
それでも、ロープさえ張っていれば、僕は進めます。3.8キロの先に、必ずスイムアップがある。そう思って、腕を回していました。
その間に、ほかの選手が入ってきました。
つながりが、切れる。
まず、太ももが軽くなりました。
さっきまであった張りが、ない。引かれる感触が、ない。ロープは太ももに結ばれたままなのに、その先に、何もない。
残ったのは、音だけでした。自分の呼吸。耳の内側の泡。遠くで誰かが吹いている笛。水面を叩く、たくさんの腕。どれも、方向を教えてくれません。水の中では、音はあちこちから同時に来ます。右も左も、同じ大きさで届いてしまう。
体の向きが、分からなくなりました。今、自分はコースのどちらを向いているのか。沖へ向かっているのか、岸へ戻っているのか。足を下ろして立とうとしても、底はありません。一瞬、上と下の区別さえあやしくなりました。
海の真ん中で、進む向きが分からなくなるというのは、そういうことです。
目が見えていれば、顔を上げれば済む話です。ブイを探せばいい。人の流れを見ればいい。僕には、その一手がありません。腕を回しながら、太ももに来るはずの張りが戻るのを待つ。それだけです。
何秒だったのかは、分かりません。たぶん、数十秒。僕の体感では、もっとずっと長い時間でした。あの瞬間の怖さは、今でもうまく言葉にできません。
それでも、平川さんは、僕を見つけてくれました。
太ももに、また張りが戻ってきます。ぴん、と。
あのとき、ロープが張り直された感触を、僕の太ももは今でも覚えています。
3.8キロ、1時間16分46秒。記録の上では、たった一行です。
バイクに乗って、2周目。
補給用のボトルを、落としました。
ボトルケージから抜いて、口へ運ぼうとした、その途中でした。指の内側を、つるっと何かが通り過ぎていきました。
あ、と思ったときには、もう後ろです。
路面に当たる、乾いた音。それが一度、二度と跳ねて、みるみる遠ざかっていきます。小さくなっていくその音を、背中で聞いていました。
振り返ることは、しませんでした。というより、できません。タンデムは、前へ進むための乗り物です。二人で漕いでいる自転車を止めて、拾いに戻るという選択肢は、この日のコースの上にはありませんでした。
226キロのレースで、エネルギーを失うということが何を意味するか。頭で考えるより先に、体が知っていました。この先に残っている時間の重さが、脚にすとんと落ちてきた感じでした。
でも、そこで終わりにはしませんでした。
エイドで配っている補給食をもらいました。手元に持っていたジェルと、固形物を口に入れました。計画していたものとは、違います。味も、量も、入れるタイミングも、全部ずれています。それでも、つなぎました。
僕はいつも、講演で「ピンチをチャンスに変えるカギは、気合いではなく工夫です」とお話ししています。この日のバイクは、まさにそれを自分で試された時間でした。
落としたものは、戻ってきません。あるもので、進むしかない。
前半は、時速32キロで走れていました。
後半は、25キロまで落ちています。
ペダルが、少しずつ重くなっていくのが分かります。同じ力で踏んでいるつもりなのに、前に出ていく感じが薄くなる。前に座る平川さんの呼吸のリズムも、僕の呼吸と少しずつずれていきます。
数字は、正直です。言い訳を、ひとつも聞いてくれません。落としたボトルの分だけ、時速が落ちた。そう書かれているだけです。
それでも、脚は止めませんでした。止めたら、その分だけ、この日が長くなるだけだからです。
180キロ、6時間30分11秒。
そしてラン。42.195キロ。
20キロを過ぎたあたりから、気持ち悪くなりました。
胃が受けつけない。補給を入れたいのに、入らない。口まで運んで、喉の手前で止まる。飲み込もうとすると、体のほうが押し返してくる。
走っているのに、前に進んでいる感じがしません。脚は動いているのに、聞こえてくる音の景色が、ずっと同じところに留まっているような感覚です。あの感覚は、何度味わってもきついです。
28キロで、預けていたバッグを受け取りました。
このあたり、1キロ11分48秒まで落ちています。歩くのと、変わらない速さです。
骨伝導のイヤホンから入ってくるラップの数字が、じわじわ悪くなっていく。それを聞きながら走る時間は、正直に言って、長いです。次の給水所まで。次のカーブまで。区切りを小さくして、そこまでだけ、と自分に言い聞かせていました。
35キロ。
時計が、電池切れになりました。
スタートのときは、75パーセントあったんです。
去年も、150キロで時計が止まりました。2年連続です。なんでこのタイミングなんだ、と思いました。
耳から入ってきていた音声が、途切れます。
ペースが分かりません。残りの距離も、時間も、全部消えました。
見えない僕から、数字まで見えなくなった。
ここで、そのとき僕に残っていたものを、書き出してみます。
アスファルトを踏む、自分の足音。夜になってひんやりしてきた空気が、汗の乾いた腕をなでていく感触。手の中の、少し湿ったロープ。それから、隣を走る平川さんの呼吸。
そして、平川さんの声です。
残ったのは、平川さんの声だけでした。
声が少し右から聞こえれば、体はそちらへ寄っていきます。声のテンポが上がれば、脚もそれに合わせます。数字ではなく、声に合わせて走る。この日の最後の数キロ、僕がやっていたのは、それだけでした。
あと何キロなのかは、分かりません。今、何分で走っているのかも、分かりません。分からないまま、足を前に出しました。
目が見えなくなっていく中で生きるというのは、こういう時間の連続です。確かめられるものが、少しずつ手元から減っていく。それでも、隣に声がある限り、次の一歩は置ける。この日の35キロからの時間は、それを僕自身がもう一度なぞり直した時間でもありました。
ゴールしたのは、夜の9時13分でした。
僕にとって、フィニッシュは「見える」ものではなく、「聞こえる」ものです。近づいてくるアナウンス。大きくなっていく拍手。平川さんの声。それが重なって、ゲートが近いことを教えてくれます。
レースが終わってから、記録を見ました。こう残っていました。
最後の3.6キロ、1キロ6分45秒。
その手前は、12分7秒でした。
時計が消えてから、いちばん速く走っていたんです。
あとから数字を見て、自分でも驚きました。
ずっと数字を追いかけていた時間より、数字が全部消えた時間のほうが、速かった。どう説明すればいいのか、僕にもまだ分かりません。ただ、事実として、記録にそう残っています。
ボトルを落として、気持ち悪くなって、時計も止まって。
思いどおりにいったことなんて、ひとつもありませんでした。
それでも、ゴールできました。そして2位という結果まで、あとからついてきました。
ここからは、あなたの話です。
準備したものが本番で通用しない日は、競技の外にもあります。何ヶ月も仕込んできた企画が、当日の朝にひっくり返る日。もう取り返せないと分かっているものを、手から落としてしまう日。頼りにしていた数字や見通しが、急に当てにならなくなる日。
そういう日、僕たちはつい「もうだめだ」と考えます。でも、実際に起きているのは「予定どおりにいかなくなった」ということだけです。進めなくなったわけではありません。ここは、はっきり分けて考えていいところだと思っています。
僕がこの日ゴールできたのは、強かったからではありません。
ロープの向こうに平川さんがいて、沿道に声があって、画面の向こうで待っていてくれる人がいたからです。見えないところで支えてくれた方が、本当にたくさんいました。名前も知らないまま僕の名前を呼んでくれた沿道の方、前日まで準備を手伝ってくれた仲間、そして留守番をして待っていてくれたシュクレ。この226キロは、僕だけの力では、どうやっても進めなかった距離です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。最後に、ひとつだけ提案させてください。
いつか、あなたの計器も止まります。数字が見えなくなる日、見通しが立たなくなる日は、必ず来ます。
その日のために、今のうちに書き出しておいてほしいものがあります。
あなたにとっての「声」は、誰ですか。
3人でいいです。名前を書いてみてください。数字が消えたとき、最後に残るのは、その人たちの声です。僕にとってのそれが、この日は平川さんの声でした。書き出しておくと、いざその日が来たときに、探さずに済みます。
もうひとつ。落としたものを数えるのを、やめてみてください。代わりに、今あるものを数える。エイドで配っているものでいい。手元に残っているものでいい。あるもので、進めます。
ボトルは、また落ちます。時計も、また止まるでしょう。それでも僕は、来年もスタートラインに立ちます。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
2026年9月13日のIRONMAN JAPAN(ジャパンみなみ北海道)は、14時間43分54秒で完走しました。けれど、ここが終点ではありません。サブ11時間へ、そして次のレースへ、これからも挑み続けます。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。日々の練習やレースの様子を発信しているので、そばで見届けてもらえたら心強いです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける