2人乗りの自転車の、後ろの席。そこにハンドルはありません。見えない僕にできるのは、前のガイドを信じて、ただ全力でペダルを踏むことだけです。
もしあなたが、誰かに任せるのが怖くて、いつも自分でハンドルを握っていないと不安なら——。
もしあなたが、人を信じたい気持ちはあるのに、最後の一歩で力を抜けないなら——。
もしあなたが、見えない先に向かって、全力を出すことを、ためらってしまうなら——。
この記事は、あなたのためのものです。
こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。相棒は盲導犬のシュクレ。僕はIRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦を続けながら、年に50回ほど講演でお話をしています。
今日は、僕がバイクで使っているタンデム自転車の話をします。2人乗りの自転車で、前にガイド、後ろに僕。見えない後ろの席で、全力を出すには、ある大きなものが必要でした。それは、信頼です。タンデムは、僕にとって「信頼という乗り物」なんです。
トライアスロンのバイクパート。IRONMANでは、その距離はなんと180kmにもなります。
見えにくい僕は、これを一人で走ることはできません。そこで使うのが、タンデム自転車——2人乗りの自転車です。
タンデムは、前と後ろにサドルがあって、二人で漕ぎます。前に座るのはガイド。後ろに座るのが僕です。二人でひとつの自転車を、同じ方向へ、同じ速さで進めていく。
長い長い180kmを、二人で漕ぎきる。これは、ただ体力があればいい、という話ではありません。前と後ろの、ふたりの呼吸が合っていないと、タンデムはまっすぐ進んでくれないんです。
二人の漕ぐタイミングがずれると、自転車には、ちぐはぐな力がかかります。前が踏み込もうとしているのに、後ろがゆるめていたら、スピードはのらないし、車体もふらつく。
逆に、二人のペダルがぴたりとそろうと、まるで一人の体が漕いでいるみたいに、自転車はすうっと、なめらかに進んでいきます。この「呼吸が合う」感覚を作るために、僕とガイドは、何度も何度も一緒に走り込みます。タンデムは、体力だけでなく、二人の息を合わせる競技でもあるんです。
タンデムでは、前の席と後ろの席で、役割がはっきり分かれています。
前に座るガイドは、ハンドルを握ります。そして、安全を確認します。道の状況、カーブ、前から来るもの、路面のでこぼこ。これらをすべて見て、判断して、自転車の進む方向を決めるのは、前のガイドの仕事です。
そして、後ろに座る僕の仕事は、ただひとつ。全力で漕ぐことです。
後ろの席には、ハンドルがありません。方向は決められません。僕にできるのは、前のガイドを信じて、ペダルに力を込めること。それだけです。
タンデムの美しさは、役割がきれいに分かれていることにあります。前は、見て、判断して、方向を決める。後ろは、ただ全力で漕ぐ。
どちらが欠けても、自転車は前に進みません。一人で全部やろうとしないこと。役割を分け合うことが、二人で速く、遠くへ進む秘訣です。
ここで、想像してみてほしいんです。
自分の目の前は、よく見えない。これから道がどう曲がるのか、前に何があるのか、自分では分からない。その状態で、全力でペダルを踏み込む。これが、どれだけ勇気のいることか。
人は、先が見えないと、本能的に体が縮みます。怖いから、無意識に力を抜いてしまう。いつでも止まれるように、心のどこかでブレーキに足をかけてしまうんです。
でも、それでは、二人のタンデムは、本当の速さを出せません。
くだり坂で、スピードが出てくる場面を思い浮かべてください。見えていれば、この先がまっすぐなのか、カーブなのか、自分の目で確かめられます。でも、後ろの僕には、それが見えません。
その状態で、スピードを落とさずに漕ぎ続けるというのは、正直、こわいです。体じゅうが「止まれ」と言ってくる。それでも漕ぎ続けられるのは、前のガイドが「大丈夫、このまま行こう」と言ってくれて、その言葉を、僕が信じきれているからにほかなりません。
後ろの僕が全力を出せるかどうかは、前のガイドを、どれだけ信じきれるかにかかっています。「この人なら、絶対に安全な方向へ連れていってくれる」。そう心から信じられたとき、はじめて僕は、見えない前に向かって、迷いなく全力を出せるようになります。
もし、前のガイドへの信頼が足りなかったら、どうなるか。
僕は、無意識のうちに、自分でブレーキを踏んでしまいます。
本気で漕いでいるつもりでも、心のどこかで「大丈夫かな」と疑っていると、体は正直で、ほんの少し力をゆるめてしまう。その小さなためらいが、二人のスピードを、確実に落とします。
前と後ろの力がそろわないと、自転車は最大の力を出せないんです。
これは、自転車だけの話ではないと、僕は思っています。仕事でも、暮らしでも、人と何かを成すとき、相手を信じきれないと、僕たちはどこかで力を抜いてしまう。
「自分が最後はなんとかしなきゃ」と、心のブレーキに足をかけたままだと、本当の力は出せないんです。
誰かに任せると言いながら、心のどこかで信じきれていない。そういう中途半端な状態が、いちばん、力を出せません。前にも進めないし、かといって自分で方向を変えることもできない。
見えない後ろの席は、その「中途半端さ」を、はっきりと教えてくれる場所でもあります。信じるなら、最後まで信じて、全力で漕ぐ。迷いを残したまま、そこそこの力で漕ぐのではなく。その覚悟が決まったとき、はじめて、二人は本当の速さを手にできるんです。
「信じている」と頭で思っていても、心のどこかに疑いがあると、それは体に出ます。ほんの少しの力の抜け、ほんの少しのためらい。
本当に信じきれたとき、人ははじめて、ブレーキから足を離して、全力を出せる。全力を出せるかどうかは、信頼の深さの証明でもあるんです。
では、その信頼は、どうやって作るのか。
気合いや、根性では作れません。信頼は、地道な言葉と段取りの積み重ねで作られます。
走る前に、コースの流れを、二人で確認しておく。カーブの手前では、前のガイドが「右に曲がるよ」と、声で教えてくれる。路面が変わるところでは、「段差くるよ」と合図がある。
こうした声かけと段取りの一つひとつが、「この人は、ちゃんと自分を守ってくれる」という確信を、少しずつ育てていきます。
信頼は、ある日いきなり生まれるものではありません。何度も一緒に走って、声をかけ合って、小さな約束が守られていく。その積み重ねが、気づけば、全力で漕げるだけの大きな信頼になっている。
「気合いより段取り」。僕のこの合言葉は、信頼の作り方そのものでもあるんです。
「カーブのたびに、ちゃんと声をかけてくれた」。「段差の前で、いつも教えてくれた」。そういう一つひとつの「守られた約束」が、僕の中に積み重なっていく。
そして、ある時ふと気づくんです。「あ、この人になら、目をつぶってでも全力を出せる」と。信頼は、感動的な一瞬で生まれるものではなく、こうした地味な約束の積み重ねの先に、静かにできあがっているものなんです。
正直に打ち明けると、トライアスロンを始めたばかりの頃の僕は、タンデムの後ろに乗ることが、どこか悔しかったんです。
ハンドルを握るのは、いつもガイド。方向を決めるのも、安全を守るのも、ガイド。僕は後ろで、ただ漕ぐだけ。
なんだか、自分が「助けてもらってばかりの側」になったみたいで、それが情けなくて、認めたくなかった。見えなくなる前の僕は、現場で人をまとめる仕事をしていたので、なおさら「支えられる側」になった自分を、受け入れられなかったのかもしれません。
でも、タンデムに乗る回数を重ねるうちに、その見方が、少しずつ変わっていきました。
前のガイドだって、後ろの僕が全力で漕いでくれなければ、自転車を前に進めることはできません。前と後ろ、どちらか一方だけでは、タンデムは1ミリも動かない。僕は「助けてもらっているだけ」じゃなくて、ちゃんと、二人で進むための半分を、担っていたんです。
「助けてもらう」というと、なんだか自分が下になったような気がして、悔しくなることがあります。
でも、タンデムが教えてくれたのは、助ける側と助けられる側に、上も下もない、ということ。それぞれが役割を果たして、二人でひとつの力を出す。助けてもらうことは、弱さじゃなくて、チームの形なんです。
そう気づいてから、後ろの席が、悔しい場所ではなくなりました。むしろ、誰かと一緒に、一人では出せない力を出せる、誇らしい場所に変わったんです。
前のガイドが方向を決め、後ろの僕が全力で漕ぐ。二人が、同じ方向へ、同じ速さで進む。
それがぴたりとそろったとき、タンデムは、一人では決して出せないスピードで、風を切って進んでいきます。あの感覚は、何度味わっても、心が震えます。
かつての僕は、「助けてもらう側」になることが、悔しくてたまりませんでした。ガイドがいないと進めない自分を、どこかで情けなく感じていた。
でも、タンデムに乗るうちに、考えが変わりました。これは、助ける側と助けられる側じゃない。前と後ろ、それぞれの役割を果たす、対等なチームなんだと。
前を信じるから、後ろで全力を出せる。後ろが全力を出すから、前も思いきり引っ張れる。
タンデムは、信頼を乗せて進む乗り物です。僕にとって、それは競技の道具であると同時に、人と生きることの縮図でもあります。
考えてみれば、人生も、これと同じかもしれません。僕たちは、誰も、自分ひとりの力だけで生きてはいません。見えるところで、見えないところで、たくさんの人に方向を示してもらい、支えてもらいながら、前に進んでいる。
大事なのは、支えてくれる人を信じて、自分の持ち場で、精いっぱい漕ぐこと。タンデムの後ろの席は、そのことを、走るたびに、僕の体に教えてくれます。ひとりで漕ぐより、誰かと漕ぐほうが、ずっと遠くへ行けるんだと。
前を信じるから、見えない先へ全力で漕げる。タンデムは、信頼という乗り物だ。
もしあなたが、人に任せるのが怖くて、いつも自分でハンドルを握っていないと不安なら。
どうか、思い出してほしいんです。一人で握れるハンドルには、限界があるということを。
誰かを信じて、後ろの席で全力を出す。それは、弱さでも、丸投げでもありません。前と後ろの役割を分け合う、対等なチームの形です。
そして信頼は、いきなり生まれません。言葉をかけ合い、小さな約束を重ねる中で、少しずつ育っていくものです。
僕は、一人では180kmを走れません。でも、前を信じて、後ろで全力を出すことを覚えてから、一人では決して届かなかった場所まで、進めるようになりました。
支えられ、繋がる輪の中で漕ぐから、遠くまで行ける。
もちろん、いきなり全力を出す必要はありません。まずは、ほんの少しだけ、力を込めてみる。相手が、ちゃんと方向を示してくれると分かったら、もう少しだけ強く。
そうやって、少しずつ信頼を確かめながら、自分の出す力を増やしていけばいい。信頼も、全力も、一段ずつ育てていくものです。焦らなくて、大丈夫です。
心のブレーキから、そっと足を離してみてください。
信じて全力を出した先に、一人では見られなかった景色が、きっと待っています。
僕は、前を信じて漕いだ先で、その景色に、何度も出会ってきました。一人では届かない場所へ、誰かと一緒に。次は、あなたの番です。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人