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📅 2026.07.16 | RYU NAKAZAWA
💪 挑戦

アジア選手権2連覇から世界ランキング6位までの歩み|続ける力で来た道

⏱ 約8分で読めます(4,919字)

世界ランキング6位。その出発点は、プールで25メートルも泳げなかった31歳の僕でした。

もしあなたが、「自分には特別な才能なんてない」と思っているなら——。

もしあなたが、スタートラインに立つ前から、結果を想像してあきらめているなら——。

もしあなたが、コツコツ続けることに、意味を感じられなくなっているなら——。

この記事は、あなたのためのものです。

こんにちは。視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・中澤 隆(なかざわ りゅう)です。盲導犬シュクレと暮らしながら、IRONMAN(226km)のサブ11時間挑戦と、年間50回前後の講演を続けています。

今日は、僕がアジア選手権2連覇、そして世界ランキング最高6位まで歩いた道の話をします。
華やかに聞こえるかもしれません。でも、その出発点は、プールで25メートルも泳げなかった、本当に何もできない僕でした。

だからこの記事は、「すごい選手の成功談」ではありません。
特別な才能がなくても、続ける力で、人はここまで行ける」——そのことを、僕自身の歩みを通して伝えたいんです。今、自分には何もないと感じている人にこそ、読んでほしい話です。

📖 この記事の目次
  1. 25メートルも泳げなかった所から、すべては始まった
  2. 初レースの先に、世界が見えてきた
  3. アジア選手権2連覇——「続けてきたこと」が形になった
  4. 世界ランキング、最高6位という景色
  5. 一人では泳げない僕を、世界へ連れていってくれた仲間
  6. 特別な才能じゃない。続ける力で、ここまで来た
  7. 世界を見たからこそ、今もIRONMANで挑み続ける
  8. これを読んでいるあなたへ

25メートルも泳げなかった所から、すべては始まった

最初に、いちばん大事なことを言っておきます。

僕は、特別な才能を持った人間ではありません。
むしろ逆です。子どもの頃の成績は「1が2」、徒競走はビリ。運動も勉強も、本当に苦手でした。

トライアスロンを始めたのは31歳。
そのときの僕は、プールで25メートルも泳げませんでした。1キロ走るだけで、膝が痛くなる。やり方も分からない。視力も落ちている。「こんな僕に、本当にできるのか」と、何度も思いました。

だから、もしあなたが今「自分には何もない」と思っているなら、当時の僕と同じです。
世界ランキング6位という話は、その「何もない」場所から始まったんだ、ということを、まず知っておいてほしいんです。


初レースの先に、世界が見えてきた

25メートルも泳げなかった僕は、伴走してくれる仲間や、コーチに支えられながら、少しずつ前に進みました。

泳げる距離が、25メートルから、50メートルになる。
膝が痛くて走れなかったのが、少しずつ走れるようになる。1ミリずつ、できることが増えていきました。

そして、始めてから半年後の初レースで、僕は思いがけない結果を出すことができました。(この初レースの話は、別の記事でじっくり書いています。)

大事なのは、そのです。
初レースは、ゴールじゃありませんでした。むしろ、そこから「もっと先に行けるかもしれない」という、新しい道が見えてきたんです。一人では泳げない僕が、仲間と一緒なら、世界が見える場所まで行けるかもしれない——そう思えるようになっていました。

「できない」が当たり前だった僕にとって、「もっと先に行けるかもしれない」と思えること自体が、大きな変化でした。
かつての僕は「どうせ無理」が口グセでした。それが、競技を通じて「やってみたら、できた」を一つずつ積むうちに、「次も、できるかもしれない」に変わっていった。下を向いていた目線が、少しずつ前に、そして上に向いていったんです。

🔑 1ミリの積み上げは、いつか世界に届く

25メートルが50メートルになる。その50メートルが、いつか何キロにもなる。1ミリの積み重ねは、それ自体は小さくても、続けるととんでもない所まで連れていってくれる。世界ランキング6位は、特別な飛躍で手に入れたものじゃありません。小さな前進を、やめなかっただけです。


アジア選手権2連覇——「続けてきたこと」が形になった

積み重ねの先で、僕はアジア選手権で2連覇することができました。

「2連覇」と書くと、強い選手の話に聞こえるかもしれません。
でも僕の実感は、ぜんぜん違います。これは、才能で手に入れたものではなく、「続けてきたこと」が、たまたま形になって見えた瞬間でした。

毎日の練習は、本当に地味です。
プールで、決められた距離を、ただ淡々と泳ぐ。タンデム自転車で、ガイドと呼吸を合わせる練習を、何度も繰り返す。派手なことは、何もありません。誰も見ていない朝の時間に、ただコツコツと積む。その積み重ねの先に、たまたまアジアの舞台があった、というだけなんです。だから僕は、結果よりも、「その地味な毎日を、よく続けてこられたな」と、自分の継続のほうを誇りに思っています。

アジアの舞台で結果を出せたのは、僕ひとりの力ではありません。
一緒に泳いでくれるガイド、自転車を二人で漕ぐ仲間、支えてくれるコーチや家族。繋がる輪の中で、はじめてたどり着けた場所です。視覚障害B2の僕は、文字どおり一人では競技が成り立ちません。スイムは伴走ロープで、バイクはタンデム自転車で、いつも誰かと体を合わせて進んでいます。だからこそ、この結果は「みんなで積み上げてきたもの」だと感じています。

2連覇という言葉も、僕にとっては「2年続けて、積み上げを止めなかった」という意味のほうが近いです。
一度きりのまぐれではなく、次の年も、同じように準備して、同じように仲間と挑んで、また同じ場所に立てた。続けられたこと自体が、僕にはうれしかったんです。

25メートルも泳げなかった僕が、アジアの舞台に立っている。
あのプールサイドで膝を抱えて、「こんな僕に本当にできるのか」と不安だった頃の自分に、「大丈夫、ちゃんとここまで来られるよ」と教えてあげたいくらいでした。


世界ランキング、最高6位という景色

そして、その歩みの先で、僕の世界ランキングは、最高で6位まで上がりました。

世界で、6番目。
「1が2」で、徒競走ビリだった子どもが立つには、ずいぶん遠い場所まで来たな、と思います。

でも、ここでも正直に言わせてください。
6位という数字そのものより、僕がうれしかったのは、「続けてきた道が、ここまで続いていた」という事実のほうでした。

世界6位は、才能のごほうびじゃない。やめなかった人間が、たどり着ける場所だった。

才能がある人は、もっと速く、もっと若くして、ここに来るのかもしれません。
でも僕は、遠回りでも、25メートルから始めて、一段ずつ階段をのぼって、この景色まで来ました。31歳で始めた、目の見えづらい僕が、です。だから、この6位は、僕にとって「続ける力」そのものの証明なんです。

そして、世界の上位で戦う選手たちと同じ舞台に立てたことで、僕の中の「どうせ無理」は、完全に消えました。
「自分なんて」と思っていた人間が、世界で6番目の場所に立っている。この事実は、それまでの僕の思い込みを、根っこからひっくり返してくれました。


一人では泳げない僕を、世界へ連れていってくれた仲間

ここで、どうしても伝えておきたいことがあります。

この歩みは、最初から最後まで、一人の力ではなかったということです。

視覚障害B2の僕は、競技の中で、文字どおり一人では進めません。
スイムは、ガイドと体を伴走ロープでつないで、合図をもらいながら泳ぎます。バイクは、タンデム自転車に二人で乗って、前のガイドと呼吸を合わせて漕ぐ。ランも、ロープでつながって、横並びで走ります。どの場面でも、隣に、信頼できる仲間がいてくれました。

正直に言うと、最初は「助けてもらう側」になることが、情けなくてたまりませんでした。
ずっと「できない側」で生きてきた僕にとって、人の手を借りるのは、また自分の弱さを突きつけられるようで、つらかったんです。

でも、ガイドと一緒に泳ぎ、漕ぎ、走るうちに、気づきました。
これは、一方的に助けてもらう関係じゃない。僕とガイドは、一つのゴールを目指す、対等なチームなんだ、と。僕にしかできない役割があり、ガイドにしかできない役割がある。二人で一つになって、初めて前に進める。そう思えたとき、「助けてもらう情けなさ」は、「一緒に挑む心強さ」に変わりました。

世界6位は、一人でつかんだ記録じゃない。ロープ一本で繋がった仲間と、二人で漕いだ自転車と、支えてくれたすべての人との、合作だった。

だから僕は、この歩みを「自力で勝ち取った」とは、言いたくないんです。
正しくは、「繋がる輪の中で、みんなと一緒にたどり着いた」。それが、僕の本当の実感です。


特別な才能じゃない。続ける力で、ここまで来た

ここまで読んでくださって、伝わっていたらうれしいことがあります。

僕は、特別な才能で、ここまで来たわけではありません
来たのは、「続ける力」です。

振り返れば、その力は、ずっと前から僕の中にありました。
消去法で選んだ工業高校を、クラスがいくつも消えていく中で、留年せず卒業した。あれも「続ける力」でした。図面が見えなくなっても、確認を2回3回と重ねて、仕事に食らいついた。あれも「続ける力」でした。

派手じゃない。一気に変わるわけでもない。
でも、毎日、自分の席に座り続ける。1ミリでも前に進む。それをやめない。
その地味な力が、25メートルも泳げなかった僕を、世界6位まで運んでくれました。

🔑 才能がないと思う人ほど、続ける力で戦える

「才能がない」と感じている人は、がっかりする必要はありません。むしろチャンスです。なぜなら、続ける力は、才能と違って、誰でも今日から積み上げられるから。スタート地点が低くても関係ない。低い所から積んだ分だけ、その階段は、あなただけの財産になります。


世界を見たからこそ、今もIRONMANで挑み続ける

アジア選手権や世界ランキングの舞台を経験して、僕は今、IRONMAN(226km)のサブ11時間に挑戦し続けています。46歳になった今もです。

世界を見たから、もう満足してもよかったのかもしれません。
でも僕は、メダルを取ったら引退する、というタイプではありませんでした。むしろ、世界を見たことで「まだ先がある」と思えるようになったんです。

競技は、いつか結果が出る日も、出ない日もあります。
それでも、僕が大事にしているのは結果そのものよりも、「挑み続けている」という事実のほうです。続ける力で世界6位まで来た僕にとって、挑戦をやめないことが、いちばん自分らしい生き方なんです。


これを読んでいるあなたへ

もし今、あなたが「自分には特別な才能がない」とあきらめかけているなら。

あるいは、スタートラインに立つ前から、結果を想像して足が止まっているなら。

どうか、思い出してください。

世界ランキング6位の僕の出発点は、プールで25メートルも泳げない自分でした。それも、目が見えづらくなっていく中での、ゼロからのスタートです。
そこから世界が見える場所まで連れていってくれたのは、才能ではなく、「続ける力」と、支えてくれた仲間たちでした。だから、才能のあるなしで、自分の可能性を決めつけないでください。

一気に世界を目指さなくていいんです。
まず今日、1ミリだけ前に進む。それを、明日もやめない。気がついたら、思ってもみなかった景色の中に立っている。それが、僕が自分の足で確かめてきたことです。

そして、もう一つ。
一人でがんばろうとしなくて、いいんです。僕が世界の舞台に立てたのは、伴走ロープでつながってくれたガイドや、二人で自転車を漕いでくれた仲間がいたから。「助けてもらうのは情けない」なんて、思わなくていい。誰かと一緒に進むことは、一人で進むより、ずっと遠くへ行ける方法です。それを、25メートルも泳げなかった僕が、身をもって知りました。

あなたのスタート地点が、どんなに低くても大丈夫です。
低い所から積んだ階段は、ぜんぶ、あなただけの財産になります。僕は、あなたが今日積む1ミリを、心から応援しています。

25メートルも泳げなかった僕が、世界6位まで来られた。特別な才能じゃない。続ける力と、繋がる輪の中で、ここまで来た。

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「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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